趙天佑にナンパされる



 鋭い一投がボードに突き刺さる。最後のダーツはボード内のトリプルリングへと吸い込まれていった。ダーツの行方を目で追う頃には、このゲームの決着を知る。カウントアップ、ダーツマシンのモニターに『THREE IN A BED』の文字が浮かび、華やかな演出に目を奪われていると、見事な腕前を披露した男がこちらを向いて満足気に笑っていた。このラウンドで三本のダーツを同じナンバーのトリプルにヒットさせた男は、知り合いや友人、恋人なんてものではなかった。偶然にもこの店で出会い、ゲームをしようと誘われただけだった。

「俺の勝ちね」

 どこか誇らしげである男は、このゲームを始める前に一つ条件を出していた。もし、自分が勝利したならば、今夜一緒に付き合って欲しいと。初めは軽い気持ちでゲームに参加したものの、いざ、ここまで鮮やかに勝敗が決まると不安が勝ってくる。男の目的は分からない、何故なら今夜初めて見た顔だからだ。下手なナンパよりもタチが悪い。初対面である男への警戒心が強まっていくのを察したのか、男は咄嗟に笑みを崩した。

「あ、もしかして、気を悪くさせちゃったかな」

 ツーブロックのオールバックにサングラス、両手には厳ついデザインの指輪が全ての指に嵌め込まれ、あまり穏やかではない風貌も相まって警戒をしていたのだが、男は自分が不機嫌であると誤解したのか、極めて優しい口調で悪くなった雰囲気を良くしようと健闘していた。

「今回は俺が勝ったけど、お姉さんも凄く上手かったよ」
「ありがとうございます」
「それに、今夜付き合ってって言ったのは、変な意味じゃなくて」

 本当に今夜だけ、一緒にいて欲しいだけなんだよね。と素直に明かした男からは下心が見えず、しかし、自分でなくてはならない理由は分からなかった。だが、勝負は勝負。なまえがこの男に負けた事実は変わらない。

「本当に今日だけですよ」
「たまには誰かとのんびりお喋りでもしながら、過ごしたかったんだよね」
「普段は一人で?」
「まあね、あんまり大勢でぞろぞろってのも好きじゃないし」

 男には派手な装いとは裏腹に、意外にも落ち着いた一面があるのだと知る。それでも、警戒を緩めることはせず、まずは男との会話を続けていく。男は、自身に関わる情報を漏らしたりはしなかった。今日限りの関係になるのだから、あまり互いを詮索しない方が後腐れがないだろうとのことだった。その言い分にはなまえも理解し、納得出来ていた。だからこそ、男はゲームを持ちかけてきたのだろうから。

「お兄さんはよくこの街に?」
「ほぼほぼ、居るかな」
「私は隣町からたまに遊びに来るんです」
「へえ、隣町から」
「ここには遊べる場所も美味しいお店も、観覧車に海だってありますから」
「いいね、今から行っちゃう?」

 何の気なしに持ちかけられた誘いに、弾かれたように男を見た。咄嗟の出来事だった。男は男で、なまえがまさかそのような反応を見せるとは思わず、サングラス越しに目を丸くする。勿論、無理強いはしない。ここでこのまま酒を飲んでもいいと告げる男に、それじゃあ折角の夜がつまらないからとなまえは海までの誘いを受ける姿勢を見せた。男はなまえの言葉に頷くと、ダーツバーを退店する支度を始める。

「今夜はのんびりと、ですもんね」
「そういうこと。海見に行く途中で中華街エリアに寄って何か買おっか」
「あ、私、甘天記のソフトクリーム食べたいです」
「あそこ、杏仁豆腐もうまいよね」
「そうなんです、マンゴープリンも美味しいですし、」
「俺は蒸酵房の肉まんでも食べようかな」

 店を出てすぐ二人の足は、まずは大黒天通り方面へと向かう。そこからは波戸通りを抜けて甘天記に立ち寄り、さん橋通りにある蒸酵房へ梯子する予定だった。ささやかな散歩のように、異人町を気軽に歩き回るのが心地よい。普段は忙しさに追われ、遊ぶのも、働くのも、休むのも、生きることさえも手短に済ませてばかりだった。贅沢な時間の使い方に心はふっと軽くなる。価値のあるものを食べることより、価値のある服やアクセサリーを身に纏うことより、価値のある時間に耽っていることより、幾分と健全的だったのだ。
 街のざわめきに身も心も預けて、他愛もない話に適当に相槌を打つだけの、この時間が酷く大切に思える。おかしいだろうか、素性も知れない相手と過ごしているだけだと言うのに。異人町は広い、向かう方面によって様々な顔を見せてくれる。それがなまえが異人町に遊びに来る理由の一つでもあった、ここまで多彩な顔を見せる街はそう多くない。だから、いつでも自分の知らない街に迷い込んでしまえる。それがなまえが異人町を好きな理由だった。

「少しは信じてもらえた?変な目的じゃないって」

 男の声が真隣から聞こえてくる。なまえは視線を男に向けると、先程まで強面に見えていた顔がどこか柔和に感じられた。素朴さが見え隠れする表情は、自分が思っているより男が無害であると訴えかけていた。人を見た目で判断してはいけないと言うが、信憑性は半分程度だ。

「でも、あのお店で腕の立つ人なんて、他にもいたじゃないですか」
「ううん、お姉さんじゃないとダメだったんだよ」
「私じゃないと、って」

 知りたい?と問われ、自然と頷く。何故、自分でなければならなかったのか、聞けるものなら聞きたい。なまえは男が次に口を開く瞬間を心待ちにしていたが、男が告げたのは予想外の言葉だった。

「じゃあ、続きは海に着いてからってことで」

 興味を引かれるだけ引かれて、行かない訳にはいかない。自惚れの類かもしれないが、自身にまつわることの殆どを知ってみたいと思うのが人間の性で、そして、なまえもまたこの男のことを知りたいと思い始めており、固めたつもりでいた決意の曖昧さに笑みをこぼす。よく見知った街を知らない相手と闊歩すると、知っているはずの街の顔が普段とは違って見えて、不思議と胸の奥が好奇心に震えていた。
 やがて二人は波戸通りを抜け、最初の目的地である中華街エリアに到着する。二人の寄りたい店である『甘天記』と『蒸酵房』に寄っては、なまえはソフトクリームを、男は肉まんを一つずつ買い込み、浜北公園へと向かって行った。さながら学生時代を彷彿とさせる、買い食いにうってつけの肉まんとソフトクリームを片手に二人は夜の繁華街を通り過ぎていく。時折、それらを口にし、味を確かめては談笑する。至って健全な時間だった。

 それから、そう遠くない距離にあるのが最終目的地だった浜北公園である。砂浜の代わりにアスファルトを踏み締め、黒々とした海を眺めながら、どこか腰を落ち着けるところを探していると、男が先に手頃なベンチを見つけたのか、自然な流れで手を引かれる。夜風と海風がひんやりとしていて冷たい時間に久しぶりに暖かなものに触れ、なまえもその離れがたさから敢えて口にすることはしなかった。二人は同時に腰を下ろすと、背もたれに寄りかかる。

「ほら、もう海着きましたよ」
「ね、あっという間だった」
「さっきの続き、教えてください」
「ああ、さっきのね」

 俺、滅多に知らない子に声かけたりしないんだけど。と男はあの店でなまえに声をかけた理由を話し始めた。ダーツバー自体はよく通っているのだが、今夜も息抜きがてらに立ち寄ってみれば、見慣れぬ女性がカウンターで一人酒を引っ掛けている。よくある光景に過ぎなかった、その見慣れぬ女性の横顔を見るまでは。

「あのさ、名前聞いてなかったけど、」

 ──── なまえちゃんでしょ。
 名乗らなかった女は、男の言葉に驚きを隠せなかった。男が言い当てた名は確かになまえの名だったからだ。しかし、何故この男は自身のことを知っているのか、見当もつかなかった。なまえは今夜初めてこの男と……。いや、違う。そうではない、この男と顔を合わせるのはこれが初めてではない。ぼんやりと過去の面影が甦る。誰だっただろうか、はっきりとは思い出せないが、以前になまえはこの男と出会ったことがある。

「思い出せなくてもしょうがないよ。だって、あの頃はお互いに学生だったから」
「学生……、もしかして、あなた、」

 サングラスの奥にある瞳と視線が重なる。すると、脳裏に過ぎる思い出があった。あれはなまえが高校生の時、同じクラスに街で有名なマフィアを父に持つクラスメイトがいた。彼は運動も勉強もそつ無くこなす、要領の良い男の子だった。だが、周囲は一枚壁を隔てたように接しており、彼も彼でその事情を汲んでか、物静かに過ごしていたのを覚えている。
 ある日、彼は学校を欠席した。理由は突然の熱による体調不良で。しかし、その時担任の教師や他のクラスメイトは大して気にかけもしなかった。どうせ、学校の授業がつまらないからサボっているのだろうと邪推する様に、怒りを抱いたことも覚えている。数日間の欠席で彼の机は学校からの手紙で溢れていた。授業のプリント、保護者に向けた連絡の書類、何もかもが放ったらかしにされていたのだ。

 なまえは当時、そのクラスの委員長を任されていた。元々、正義感の強い性格だったこともあり、今回の件については問題意識を抱いていたほどだ。個人を見て、話すのに、家柄のことなど関係ないだろうに。彼は家のことをひけらかさずに、淡々と学業に取り組んでいたと言うのに。同じクラスメイトであるにも関わらず、周囲の反応はとても冷たいものだった。それが一人許せず、なまえは彼の溜まりに溜まった手紙をまとめ、彼が休んで受けられなかった授業の要点をまとめ、明日、もしくは来週必要になるだろう持ち物などを取りまとめて、彼の自宅へと向かった。
 なまえがどんなに正義感の強い人間だろうと、初めは恐ろしかった。この街、異人町でも有名な中華系マフィアの元へ行くのだから、気が気ではない。しかし、見て見ぬフリも出来ず、なまえは真面目に彼の元へ行こうとした。結果としては、無事に家人に手紙類を渡すことが出来た。その際、ありがとうね。とごく当たり前の言葉を受け取り、やけに嬉しかったのを覚えている。お大事にしてください。長引くようなら、また明日も来ます。と添え、ようやく自身の帰路についた頃には周囲に抱いていた怒りを忘れていたほどに。

「趙、くん……?」
「やっと思い出してくれた」

 なまえは久方ぶりにその名を口にした。なまえのクラスメイトだった男の子の名は、趙天佑と言った。今、真隣で話をしている相手だ。趙となまえは良い友人だったように思う。なまえが両親の都合で学校を転校するまでは。

「まさか、あそこでまたなまえちゃんに会えるなんて思ってもみなかった」
「でも、どうして、私だって分かったの?もう何年も会ってないクラスメイトのことなんか」
「好きだったから」

 俺、なまえちゃんが授業受けてる時の、横顔が好きだったから。
 あの頃からもう何年経っただろうか、学生だった二人はいつの間にか成人し、社会の一員として生きている。互いのことなど、とうに忘れていたっておかしくない。しかし、この男は、趙は忘れられなかったのだと言う。なまえはすっかり記憶の奥底に眠らせてしまっていた男の子だったと言うのに。

「なまえちゃん、隣町から異人町に遊びに来てるんだっけ」
「うん。学校を卒業してから、こっちに戻ってきたの。本当は異人町に戻ってこられたら良かったんだけど、」
「そっか。なまえちゃんも大変なんだね、色々と」
「ねぇ、私、この話をされるまで趙くんだって思い出せなかった」

 ごめんなさい。と一言添えれば、趙は力なく首を横に振る。気にしてない、見た目だって全然違うんだし、しょうがないよ。とまで気遣ってくれる優しさに、なまえはどうにか埋め合わせをしたいと考えていた。もし、彼が望むのであれば。望むのであれば、差し出したい。

「……これって、」
「私の携帯の番号。趙くんもずるいよ、今夜だけ付き合ってだなんて」

 さざ波の間に呼吸が止まる。趙はなまえから差し出された携帯番号を口ずさんでは、自身の携帯を取り出し、十二桁を入力してすぐに電話を掛けた。たった一回の呼び出しで切れたそれは、なまえからのメッセージだった。また会いたい、と水面が凪いでいる。

「今日の埋め合わせ、させて欲しいの」
「いいよ、別に」
「ううん。折角、再会出来たのに、これじゃあ寂しいじゃない」
「なまえちゃんがそこまで言うなら」
「決まり。それにさ、放っておけなくなっちゃったから」
「……俺のこと?なんで?」

 なまえの言葉に趙は目を丸くして訊ねる。今は昔のような姿を見せていないというのに、何が彼女に引っ掛かりを作ったのか。趙自身は心当たりもない。

「格好良かった、勝負してる時の趙くん」

 だから、その次も嫌じゃなければ会ってほしい。なまえは学生時代には見せなかった、弱みをさらけ出すようにしおらしげに笑っていた。彼女もこんな顔をするのだと知ると、趙は自然と距離を詰めていく。なまえが意図を読めずに眉根を下げていると、後頭部に温かなそれが触れ、意識を奪われている間に影が視界に重なる。後頭部に添えられていたのは趙の手で、なまえの額に感じたのは趙の口付けだった。

「……これでも、結構抑えたつもり」
「趙くんって、その、そんな大胆な男の子だったっけ」
「なまえちゃんの知らないところ、いっぱいあるよ」

 もうそれ以上は言葉に出来ず、何度も小さく頷けば、頬の熱が抜け切るのをひたすらに待つ。その間にも趙は満足感が背筋を走り抜ける感覚に襲われていたが、夜風の冷たさに冷静でいられた。それから二人は元通りに戻るまで、浜北公園の風に身を任せていた。一刻も早く、互いを知る言葉を投げかけたいが、思いの外、衝動に胸を突き動かされ、今になって他人行儀を極めているのだから、愛おしいと言う他にない。ただ一つ言えるとしたら、二人の関係は今夜をきっかけに、徐々に発展していくことだろう。



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