「そういや、獅子堂」
「へい。なんです、鶴野のカシラ」
「お前、あの子とはまだ続いとるんか」
「ああ、なまえのことですか」
「獅子堂にしては珍しい子、色にしたもんやと思うてな」
「へへ。そうでしょう、カシラ。聞いてくださいよ」
獅子堂はらしからぬニヤついた笑みを浮かべると、これから始まるだろう惚気に眉間に皺を寄せた鶴野に、新しく出来た女であるなまえについて話し始めた。場所は渡瀬組の事務所、二人の極道はテーブルを挟み、鶴野に至っては煙草を片手に吹かしながら、退屈しのぎにと他愛もない話をしている矢先の事だった。鶴野は獅子堂に出来た女のことを密かに特別視していた。獅子堂から聞く限り、育ちの良い娘で、何をどうしたら自身らのような極道と関係を持つのか謎なのである。
獅子堂曰く、出会いは夜の蒼天堀だった。厄介そうな男に絡まれているところに仲介役として入ってやったところ、えらく感謝されてしまい、助けてもらったお礼がしたいのだと引き下がらず、嫌々付き合っている内に、気付けば獅子堂自身が彼女に陥落していたのだそうだ。以前、女を助けたら礼がしたいと言うものだから、少し遊んでやろうかと獅子堂がふざけていたのを覚えている。
「遊び、ちゃうかったんか?あんなに俺に言うとったやないか」
「俺も勿論そのつもりでした。そもそも、なまえは俺の好みやなかった」
「じゃあ、どないしたら自分の色になんねや」
「あいつ、えらい初心で」
なまえが初心である所以は、彼女が育った環境にあるのだと獅子堂は言う。なまえは獅子堂に望まれるがまま、お礼として一日行動を共にすることにしたのだが、その節々でなまえは持ち前の純真さを露呈させる。蒼天堀という街に慣れ切っておらぬ行動や言動、特に他者を簡単に信頼する姿は獅子堂から見ても危なっかしいと思わされるほどだった。隣に並んで街を歩いていれば、不意にぶつかってしまった手の甲にすら一々赤面していたのだ。その反応になまえが異性慣れしていないのは一目で分かるだろう。そして、近場のラブホテルにでも連れ込んでみれば、顔を真っ赤にして涙目で置物のように固まってしまったのだった。
「……おお、そらぁ筋金入りやな」
「俺が連れ込んだ手前、引っ込みがつかんくなりましてね」
「ほんで、どないしたんや。まさか、そない健気な子、無理矢理……」
「引っ込みがつかんくなったんで、部屋にあるゲーム機で遊んでやりましたわ」
「ようやった、獅子堂」
カシラ、俺もそこまで下衆やないです。ホンマにあの子が傷モンならんくて良かったわ。
安堵からか、鶴野は指先に置き忘れた煙草を久しぶりに食む。獅子堂は長椅子の背もたれに思い切りその巨体を預けては足を伸ばす。意外にも好みではなかった彼女とよろしく仲良くやっている事実に、鶴野は内心安堵する。獅子堂は、平気で身を投げ出すような真似をする男だ。彼女の存在が良い方へと作用してくれることを祈っていると、今度は獅子堂から悩ましげな溜め息が漏れた。そして、話の続きが始まるのである。
「でも、少し前まではちぃと難航してましてね」
「難航って何がや。ゆっくり大事にしたったらええやろ」
「と言うても、男女の仲や。実際には焦れったく感じとる部分もあります」
「今までのタイプとはちゃう子やからな、その子は」
「ホンマですよ。ただ金使うて、ただ抱きゃあ良いってもんでもない」
なまえが純真無垢であるが故に、付き合ってから数ヶ月は経つと言うのに未だ清い関係でいる。獅子堂も惚れて好きになった相手だ、今まで関係を持ったタイプと違えど、心から思う気持ちは同じなのだが、最近になってあまりにも生殺しにされるものだから、酷だと感じるようになっていた。話を聞けば、まだキスにも至っていないと言うのだから、獅子堂の忍耐力には目を見張るものがある。普段からも無茶せずにその忍耐力を発揮してもらえれば、渡瀬組はより格の高い組だと知らしめられるだろうに。
そして、獅子堂の苦難は続く。なまえは危なっかしい女だと話したが、他にも脇が甘い部分のある女でもあった。獅子堂の心配はするくせに、いざ自身のこととなると疎くなってしまうのだ。生殺しに喘いでいる獅子堂に不用意に近付いては密着したり、ここぞという雰囲気のところで眠気に負けたりと中々獅子堂泣かせの一面があるのだと。
「あんまりにも生殺しが続くもんですから、聞いたんです」
嫉妬でもさしたら、アンタは俺を男として見てくれますか。ってな。
それでどないしたんや、と鶴野の問いに、獅子堂は途端に口を閉ざす。今までは背もたれに体を預けていたものの、いつの間にか自身の膝に肘をついて神妙な顔をしていた。
***
「嫉妬でもさしたら、アンタは俺を男として見てくれますか」
あれは確か雨の日の夜のことだった。蒼天堀近辺にある獅子堂のアパートでの出来事だった。連日続く理性と本能のせめぎ合いに限界を感じた獅子堂は先述の通り、なまえに答えを求めた。勿論、無理強いは論外だが、もしこのまま延々と首輪だけを引かれるだけなのならば。その手に一度、大きく噛み付かなくてはならない。
「嫉妬してほしいんですか、獅子堂さんは」
「なんや、アンタの態度見とると、自分の男言うより、ただの気のええ兄ちゃんや思うとる節があるんや」
「そんなこと、ないです」
極めてきっぱりと言い切ったように思う。なまえは男慣れしていないが、譲れない主張がある時には、このようにきっぱりと言い切ることが出来る女だった。だが、いつもそう言い切る時には自身の手のひらを握り締めて、泣き出しそうな顔をするのだ。これは昔からそうなのだと教えてもらっていたが、特に今日は何かが違うように感じた。
「わたし、嫉妬なんてしたくないです」
ぽつり、ぽつりとなまえの本心がこぼれ落ちる。獅子堂は沈黙を選び、なまえが本心を全て吐き出すまで黙っていた。
「だって、獅子堂さん、私に嫉妬してほしいってなったら、別の女の人のところに行くんですよね……?」
黒檀のように綺麗に塗り潰された黒の瞳がこちらを射抜く。下瞼の縁にはうっすらと涙が見え隠れしている。
「わたし、そんなの耐えられません」
至極当然の言い分である。しかし、ならば、何故こうなるまで何も許してもらえなかったのか。獅子堂にもなまえを愛おしく思う心はある。だが、あまりにもおざなりな状況から脱したい気持ちもあるのだ。内心、良いとは言えない気分を抱えながら、獅子堂はなまえの言葉に耳を傾ける。
「だったら、獅子堂さんが別の女の人のところに行く時間を私にください」
「言ってる意味がようわからん」
「その時間を私にくれたら、……わたし、」
次の言葉を聞いた瞬間、獅子堂は自分の耳を疑った。まさか、あの奥手ななまえがあのようなことを口にするとは、この時思ってもいなかったのだ。不覚にも心臓の弱い部分を射抜かれる。遂に彼女が真の正体を表す。本当は誰よりも自身の欲に弱い人間なのだと、獅子堂はこの日初めて知ったのだ。みょうじなまえは行儀の良い生娘だとばかり思っていたが、それはただの思い込みでしかなかった。
***
「俺が他所の女んとこに行く時間をやったら、なまえは、」
神妙な顔をしていた獅子堂が言葉を詰まらせながら、あの日の続きを思い出してなぞっていく。
「なまえは俺の言うこと、一つ叶えてくれるそうです」
裂傷が縦に入る口元を真一文字に結んでいる獅子堂は何かに耐えているように見え、鶴野はここぞとばかりに鎌をかける。ほんなら、やっとスッキリするやないか。よう頑張ったな、獅子堂。とまるで他人事、知ったような口を聞けば、ちゃうんです。と罠に嵌った獅子堂が口を開く。
「俺も初めはやっとや思っとったんですが、」
そこから先を言い渋る獅子堂の悩みは、以下の通りである。今まで散々お預けを食らい、生殺し状態が長く続いていた。確かに欲求不満ではあったものの、いざなまえの方から何か一つ言うことを叶えてあげると言われてしまうと、今更不純なことが言い出せなくなってしまった。本能に従いたくなる瞬間はいくつもあったくせに、今になって怯んでしまい、こちらの欲望を出せずにいる。
「カシラ、こういう時はどないしたらええんです?」
「アホ、んなもん自分で考えろや」
「カシラの歴代の女になまえみたいな人、いないんですか?」
「おらん、おったとしても誰が言うか」
いつの間にか惚気と化した獅子堂の話に、鶴野は聞く耳を持たなくなった。正直な話、そのまま自分の本能に、欲望に忠実になれば良いだけの話で、今もこうして鶴野のタイプである女の話をされても虚しさだけが強まっていくばかりなのだ。純真無垢の天然が入った色、大いに結構ではないか。妬みは抱けど、羨望は抱かず。挙句の果てには、色男の悩みなんぞ、俺には一生理解出来ん。とすっかり短くなった煙草の火を灰皿で捻じ消した。
「……俺も女、作るか」
「カシラがですか?ほんなら、ええ女紹介しますよ」
「俺のことより、お前はなまえちゃんとこ行って、ケジメつけて来い!」
「どないしたんですか、カシラ。そないな大声出して、」
「……ええから、はよ行かんかい!」
追い立てるように怒号を飛ばすと、獅子堂は気怠げに事務所を後にする。一人残された鶴野は、いつもの癖で懐の煙草をもう一本漁るのだった。
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