密室である取り調べ室に二人の人間がいた。一人は警官の制服を纏った女と、臙脂色のスーツを着た落ち着きのない男だ。女は時代的に言わば婦警であり、男は蒼天堀で名を馳せる極道だった。無機質さが目立つこの部屋で、二人は対峙していた。主に女が険しい顔をして、男はと言えば警官である女に対して終始砕けた態度をとっていた。
「西谷さん、これで何回目ですか」
「さあ?ワシも昔のことはよう覚えとらんねん」
「毎回、毎回外で派手に暴れて帰ってくるの、どうにかなりませんか」
「ワシも極道やっとるとなぁ、ごっつい奴と喧嘩しとうて辛抱たまらんのや」
西谷と呼ばれた男は、近江連合直参鬼仁会の会長であった。どことなく酒の匂いが漂っていることから、今夜はどこかで引っ掛けてきたのだろう。
「せやけど、あれ以上カタギに迷惑かけんよう、ちゃんと自分で通報しとるやないか」
「……そもそも、外で騒ぎを起こして帰って来ないでください」
「へへ、なまえちゃんにそう言われてもうたら弱いわ」
「もう、ちゃんと聞いてます……?!」
なまえと呼ばれた婦警は、蒼天堀警察署に勤務する若手の警官だった。ここに配属されてすぐに刑事であるビリケンより、とある極道の面倒を任されていた。刑事という役職柄、常に警察署にいられる訳ではない。事件が起きればそちらに駆り出される立場だ、その間であっても例の極道は問題を起こし、ここへ戻ってくる。留置所をねぐらとしている西谷誉という極道が。なまえが任されたのは、取り調べ室で対峙している極道のことだった。配属初日に出頭してきた西谷をヤクザだと知らず、説教を飛ばしたのが西谷に気に入られるきっかけとなったそうだが、それ故にビリケン不在時には西谷の対応に追われることとなった。
「ああ、あかんあかん。なまえちゃん、そないに怒ったら、眉間の皺が取れんようなるで」
「私だって毎回こんなこと言いたくないですよ、でも、西谷さん……、」
若干食ってかかっていたなまえが言葉を忘れたのは、自身の前で朗らかな笑顔を見せている西谷のせいだった。どうしてこのような状況下で笑えるのだろうか。すぐにでもここを出て、また好き勝手出来るから?ビリケンという大きな後ろ盾があるから?それとも、所詮は小娘の戯れ言であると軽んじられているから?どちらにせよ、なまえは途端に怒る気力もなくしてしまい、真っ白なままの供述調書は音もなく閉ざされた。隣に置かれていた鉛筆も一度も手にすることはなく、今夜の取り調べはいつものことながら無事に終了したのだ。
「……もう良いですよ、留置所へ戻りましょう」
「なんや、もう終わりかいな。なまえちゃんと二人きりでおしゃべりが出来る時間やのに」
「おしゃべりしに来てるんですか、西谷さんは」
「今の時代、店行かなワシのようなモンは相手にしてくれへんねん」
「私も仕事で相手にしなくちゃいけないだけですよ、」
「金積んだら積んだ分は愛想ようしてくれる。せやけど、なまえちゃんみたいにワシに説教かましてくれた女の子は今までおらんかった」
あの日の出来事が余程お気に入りのようで、西谷は緩み切った表情で、かつてのなまえの姿を思い出しているようだった。慎重に言葉を選びながら、相手の為に怒ってみせる姿は昨今の警察官に見られなくなった姿勢そのもので、西谷はこの子の言うことならば聞いても良いと思うようになった。西谷よりも一回りも二回りも下の婦警が顔を真っ赤にして怒る姿のなんと愛らしいことか。それだけでなく、仕事であるからと西谷の面倒見も手を抜かずにしっかりとやり抜く姿もビリケンのみならず、西谷本人からの信頼も寄せられているのだから稀有な存在だった。
「あ、あれはもういいじゃないですか、」
なまえはあの件について触れられるのに弱い。まさか、思いもしないではないか。あの有名なヤクザ、しかも、近江連合直参の幹部クラスの人間がそう簡単に蒼天堀警察署に顔を出しにくるなど。そして、説教を垂れた相手の面倒を見ることになるということも。
「それになァ、ホンマは悪い思うとる。何もこないな日に喧嘩せんでも良かったって」
「え……?」
今日が何の日か知っとるか、なまえちゃん。と訊ねられ、脳裏は突然真っ白になる。意外な質問になまえは中々答えられずにいると、わざわざ自身から問い掛けたのにも関わらず、痺れを切らした西谷が答えを口にした。
「十二月二十五日、世間はクリスマスっちゅうワケや」
「……あ、本当だ」
「なまえちゃんがええ思いする日やったのに、」
「ええ思い、だなんて」
そんなもの、全く頭になかった。警官の勤務形態はやや複雑であり、なまえも今月の今日は元々当直で入っていた。それにこの職に就いてから、世間の催し物については疎くなっていく一方だった。自身がその日を楽しむと言うよりかは、周囲の人間が何かトラブルに巻き込まれないかと全く違う目線で世の中を見るようになってしまった。
「なまえちゃんにもええ男の一人くらいはおるやろ、」
「そんな人いませんし、作ってる暇もありません」
「ほぉ、意外やなァ、へへへ……」
「なんですか、そのいやらしい目は」
「ほんなら、ワシからなまえちゃんにプレゼントあげよ思て」
「え?」
西谷は徐に席を立つと、自身が羽織っていた臙脂色をなまえの膝元に掛けた。制服であるスカートから覗く足が見ていて寒そうだからと口元を歪めた。だが、空調も控えめな取り調べ室では西谷も同じ環境下にある。正直、このように気を使ってもらって嬉しいが、西谷は自分のことを考えるべきだと告げた。すると、ワシの秘密、教えたるわ。といきなりなまえは西谷に手を捕まれ、ぐい、と引き寄せられた先にあったのは、肌触りの良い黒地のシャツだった。正確に言うならば、そのシャツ越しの腹部に触れていた。人間の懐に触れているからか、手のひらはじんわりと温かい。
「あたたかいんですね、西谷さんって」
「まあ、今夜はしこたま飲んできたんや」
せやから、ごっつう気分もええし、いっちょ派手に喧嘩したくなってもうたんや。それ、理由になりませんよ……。身勝手な理由に耳を傾ければ、ちょっとした違和感を覚える。それは手のひらから徐々に強まっていく。やがて強まり過ぎた違和感に、なまえは訝しげに西谷を見た。
「あの、なんで手が下がっていってるんです?」
「なまえちゃん、そこは知らんふりせな」
「よく警官相手にそんなことしようと考えましたね」
きつく吊り上がった目に西谷は自然となまえの手を離し、今度は自身のスラックスのポケットから細い小箱を取り出した。丁寧に包装されているものの、所々歪な箇所があるそれをなまえに持たせると、ワシからのプレゼントや。と添えた。なまえは咄嗟に貰えないと受け取りを拒否したが、西谷は聞く耳を持たず、ヤクザが一度出したもんは引っ込められへん。と言うばかりで返品に応じない姿勢を見せた。
「だ、だって、これをいただく理由がありません」
「何も気にせんと受け取ってくれたらええ、それだけのことやないか」
「出来ません……!収賄罪に抵触しますよ、西谷さん……!」
「他のサツの人間は喜んで受け取ってたっちゅうのに、ホンマに真面目なんやなぁ」
「お気持ちはありがたく頂戴しますが、こちらはお返しします」
なまえは預かった小箱を西谷に差し出すと、西谷は途端に面白くなくなったのか、そのままなまえの膝に寄り掛かるようにして床に座っていた。ちょっと、大丈夫ですか……!と西谷の肩をやんわりと揺さぶれば、そのタイミングで取り調べ室の扉が開く。
「お前ら、何してんだ」
「あ〜あ、おっちゃんが帰ってきてもうた」
「西谷、お前みょうじに手出してんじゃねえよ」
「付き合いの長いおっちゃんより、まだ日の浅いなまえちゃんの方がええに決まっとるやないか」
その肝心のみょうじに贈り物拒まれてんのはどこの誰だよ。なまえちゃんはおっちゃんと違うて大真面目な子なんや。そりゃあそうだな、俺とは違うさ。……あの、私いつまでこうしてれば良いんでしょうか。と三者三様に言葉を交わす。ここで少し、なまえの内心について綴っておこうと思う。西谷誉に対して終始厳しい態度をとっていたなまえだが、本心は別のところにある。掴みようがなく、極道らしからぬ飄々とした態度をとり、蒼天堀のトラブルメーカーと呼ばれ、自由気ままに生きている西谷と留置所で関わっている内になまえの中にひとつの感情が芽生えるようになった。西谷が自身を気に入って好意を寄せてくれているのに対し、自身もまた西谷のことを可愛げがあって憎めない相手だと思っていた。
なまえが顔を見せれば、険しい表情を嬉しそうに緩ませ、今のように肌寒いだろうからとジャケットを膝に掛けてくれ、やんちゃな子どものような一面を見せてくれる。西谷からの贈り物だって素直に受け取れるのならば、それが一番良かったとさえ思っているくらいだ。だが、警官と極道。簡単に越えてはならない一線がしっかりと引かれているのだ。だからこそ、自分に出来るのは西谷のことを思い、小言をこぼしながら面倒を見ることだけだ。
未だに膝から離れない西谷が眠たそうにあくびを噛み殺す様を見たなまえは、さあ、本当に行きますよ。と西谷に呼び掛けるのだった。
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