「あれ、なまえちゃん?」
「趙さん?なんでここに、」
同日同時刻、異人町のサバイバーにて二人の男女が偶然にも落ち合った。二人は本来、別件でサバイバーに訪れる予定だったのだが、互いに目を丸くして驚きを隠せないようだった。しかし、ここで出会ったのも何かの縁だと二人は店内へと入り、カウンター席に腰を落ち着けることにした。店内に流れるジャズが心地よく、二人きりという状況を情緒溢れるものにしてくれる。だが、本来なら互いに約束をした相手が別にいたのだ。隣同士で座る二人へマスターはまず注文を聞くと、なまえにオレンジジュースを、趙に烏龍茶を差し出した。
「にしても、奇遇だね。まさか、なまえちゃんとここで会えるなんて」
「本当ですね、私もここに用があったので、」
出されたグラスを傾けつつ、二人は互いに約束していた用事について話し始める。なまえの当初の用事は春日にあったのだが、いざ待ち合わせ場所に来てみれば、自身と同様に誰かを待っている趙と出会したのだと言う。趙も全く同じ用事で、待ち人はソンヒだった。より謎が深まっていく。何故、二組のグループが全く同じ内容の用事があり、同じ店で待ち合わせをしたのにも関わらず、肝心の相手がいないのか。
「だったら、あいつらに連絡してみりゃあいい。何かトラブルにでも巻き込まれたのかもしれねえ」
「確かに、」
「じゃあ、俺はソンヒに連絡するから、なまえちゃんは春日くんに連絡してくれる?」
マスターの的確な助言により、各々が待ち人へ連絡を取ろうとするものの、相手には繋がらないか、急遽別件が入ったとのことで来れないという結果となった。なまえと趙は互いに顔を見合わせながら、白紙となってしまった予定にこれからどうするかを考えていた。このまま帰ってしまっても良いし、時間の許す限りここでのんびり過ごしても良い。どちらにせよ、今日の予定はもうないのだ。だが、出来ることなら、このまま二人で過ごしてしまいたいと密かに願う人物がいた。
「ねぇ、なまえちゃんさ、この後どうするの?」
「この後ですか?特に何もないんですよね、」
「じゃあ、もう少しここで俺と話さない?」
「いいですけど、趙さんはこの後大丈夫なんですか?」
「組織抜けたら、無職になっちゃったからね」
「無職だなんて、そんな、ふふ」
趙のジョークめいた言い方になまえは破顔する。趙もそれに釣られて小さく笑う。マスターは二人の様子を見ると、密かに口元に笑みを浮かべていた。実はこの偶然、仕組まれたものであると知っている人間の一人がこのマスターだからだ。同日同時刻、二組の相手からサバイバーで待ち合わせなど、偶然であるはずがない。それは少し考えれば分かることだ、寧ろなまえと趙も内心それを疑っているだろう。しかし、この偶然を仕組んだ人間は意外なことに約束通りサバイバーを訪れていた。但し、その相手らは二階で待機している。それは何故か?何故、二人は約束の相手であるなまえや趙と会うことを拒んだのか。
***
「しかし、まさかこんなことを思いつくとはな」
「コミジュルの総帥も伊達じゃないからな」
「でもよ、なんか悪くねえか?俺達のしてること、」
「なんだ、たかが盗聴だろう?そこまで良心を痛めることか?」
「これが関係ねえ奴らならまだしも、趙となまえちゃんの会話を盗み聞きしてんだぞ?」
「さて、二人はどんな可愛らしい話を聞かせてくれるかな」
待ち人は既に到着していたのだ、それもサバイバーの二階にて。なまえの待ち人である春日一番と、趙の待ち人であるソンヒは二階の部屋から二人の会話を盗聴していた。なまえと趙が通されたカウンターの真下には小型の盗聴器が設置されており、マスターもそれを承知の上で二人をその席に座らせたのだ。だが、現時点で不明なのは、春日とソンヒが二人の会話を盗聴する理由だ。それを一から綴ると長尺になるので、簡単に説明したい。春日とソンヒの二人は以前から、趙となまえの二人それぞれにとある相談事を持ち掛けられていた。
趙がソンヒに打ち明けていたのは、なまえに対する思いだった。自身が横浜流氓の総帥という席から降りた今、これまでに抑えていたなまえへの気持ちを積極的に出して行きたいという内容だった。ソンヒからすれば、まさか趙がなまえにそのような思いを抱いているとは露知らず、それを打ち明けられた日には自然と二人の動向を追い掛けるくらいには気にかけていた。そして、同時期になまえもまた春日に打ち明けていたものがある。それはなまえも同様に趙に対する思いだ。共に過ごしていく中で趙の人となりを知った今、自身を気にかけてくれる趙のことが好きなのだと言う。
「全く、趙もさっさとなまえに告白すれば良いものを」
「まあ、住んでた世界が違うってのは結構デカいんじゃねえか?」
「だから、なんだ?それで誰かに横取りされても、そんな悠長なことを言えるのか」
「……そりゃあ、きついな」
「よく考えてみろ、なまえの周りには普通の人間達がいるんだ。あまり時間をかけ過ぎると、取り返しがつかなくなる」
「そうか、ソンヒも趙に男見せて欲しいんだよな」
「当たり前だ、これでも私とアイツは異人三という仲だったんだからな」
厳しいことを言うようでその実、ソンヒは誰よりも趙となまえのことを応援していた。同じ女だからこそ分かる気持ちや、彼女を取り巻く環境は趙が思っているより複雑化しやすいということも理解していた。ソンヒの意見には春日も同意していた。なまえも趙との接し方で悩んでいる部分があったが、なまえのしたいようにすべきだと返して正解だったと今になって知る。そうだ、春日とソンヒは何も二人の恋愛相談にうんざりしたのではない。どちらも二人に結ばれて欲しいからと、今日のこの場を設定したのだ。そんな二人の不器用な気遣いをなまえと趙は知らず。
***
「なんか、緊張しちゃうね」
「趙さんも緊張するんですね」
「そりゃあそうだよ、俺だって一人の人間だもん」
「なんだか、私にも緊張がうつってきたかもしれません」
春日とソンヒが二階で二人の話をしている間に一階では少し状況が変化していた。看板娘のいろはが不在ということもあり、マスターが食材の買い出しに出掛けたのだ。その間の店番を二人に任せる形で。二人は快諾し、店内に残ったものの、いざ二人きりとなると何を話していいか、話題に困っていたのだった。
「でも、本当にどうしちゃったんだろ。春日さん」
「……今日の相手って、春日くんなんだっけ」
「マスターが言ってたみたいに何かトラブルに巻き込まれてないといいけど、」
「ねえ、もしかして今日ってデートだった?」
何気ない言葉がなまえの無意識に爪を立てる。隣に座る趙が微かに表情を曇らせ、こちらを見ているからだ。取り繕うつもりはないが、そうではないとだけ答えた。そう答える他になかったからだ。しかし、そのように問われてしまっては、なまえとしても聞いておかなければならない疑問が顔を出す。
「趙さんはソンヒさんと、そうだったんですか?」
同様に趙もカラーレンズ越しに目を丸くしていた。互いに約束を取り付けた相手がいる、つまり、そうだと思われてもおかしくはない。趙も首を横に振ると、そんなんじゃないと答えた。この問いをきっかけに二人はぽろぽろと心を零していく。聞きたくても聞けなかったこと、打ち明けても良いか躊躇っていること、その二つしか今の二人には選択肢が残されていない。
「あのさ、なまえちゃんって春日くんとよく一緒にいるけど、そういう関係だったりする?」
「春日さんには私の相談相手になってもらってました。趙さんは?」
「俺も。ソンヒにしか打ち明けられないことがあってさ、なまえちゃんとおんなじ感じ」
会話が途切れると同時に沈黙が訪れる。それは勝手にやって来たかと思えば、二人しかいない店内を好き勝手に闊歩し、趙となまえの間に割って入っては二人の口を塞いでいる。これより先は痛みが伴うかもしれない。知りたくなかったことを知ってしまうかもしれない。しかしながら、結末は二人に委ねるように辺りを漂っている。
「趙さんのそれは、私にも打ち明けられないことでしょうか……?」
先に沈黙を破ったのはなまえだった。ひどく焦げ付いた思いを抱えて、気の弱い声音で問いかけた。まるで嫉妬しているかのように、思い詰めた顔をするなまえに趙は言葉を失う。すぐにでも返事をしなければならないのに、あまりの焦れったさに唇が火傷していたのだ。
「ううん、なまえちゃんじゃないと言えないこと」
趙の落ち着いた声には、いつもの陽気な雰囲気が感じられなかった。真剣であると言うように、趙はなまえの嫉妬に焦げ付いた瞳を射抜いていた。すぐに明かしてもいい、だが、こちらも聞かなければならないことがある。
「なまえちゃんの話も、俺に打ち明けられること?」
嫉妬のベールを剥がしてやれば、その下にあったのは先程の趙と同じく唇を火傷したなまえの姿だった。趙のように答えられないでいるが、しっかりと頷くと今度は嫉妬が抜け切った瞳で趙を見た。
「なまえちゃん、」
重々しく趙の口が開き、たった四文字を形取る。もう一度聞き返そうとしたのだが、すかさず趙が人差し指を自身の口元に持っていき、話さないようにとジェスチャーを送ってくれている。なまえは首を傾げていたが、その間に趙はカウンター下の小さな機器を手に取ると、床に投げ付けたかと思えば、次にそれを靴底で踏み潰してしまった。そして、バラバラに破損したそれを手に取ると、……盗聴器、仕掛けられてたみたい。と小声で話す。
「と、盗聴器……?なんで、こんな所に」
「さあね、誰かがこの席での会話を聞きたかったみたい」
「でも、よく気付きましたね」
「俺も裏社会の出身だし、勘も良い方だしね」
「あの、こんな時になんですけど、」
さっきの続き、聞いても良いですか?と恐る恐るなまえが訊ねるものだから、趙は途端に照れ臭くなったが、うん。と頷くと、
「好きだよ、なまえちゃん」
あの時の続きを律儀に聞かせてくれた。しっかりと聞こえる声量で告白が成され、なまえも遅れて、……私もです、趙さん。と本心を吐露する。好き勝手していた沈黙が一瞬にして温かな空気を身に纏う。今まで緊張していたのがおかしいと、二人は小さく吹き出す。
「今日はあの二人に会わなくて正解だったかも」
「可哀想ですけど、そうですね」
「……これでなまえちゃんは、もう春日くんと二人きりになったりしなくて良いんだよね」
「それは趙さんもです。でも、他に大切な悩み事があるって言うなら……、」
「ううん、ないよ」
今はなまえちゃんが大切だから。と歯の浮くような言葉を口にしながらも、趙自身が照れているように見えた。なまえはそれが嬉しいような、照れ臭いような、気恥ずかしいような、何とも言えない気持ちに襲われたのだが、不思議と嫌な気持ちにはならなかったのである。
ただ二人、趙となまえの最後の告白を聞けず終いだった春日とソンヒを除いて。
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