「本当にいいお天気、」
「ああ、こんなに気持ちがいい日には昼寝でもしたくなる」
「なら、どうぞ。ここはいつも空いてますから」

 たっぷりと日差しの降り注ぐ縁側に座布団を一枚敷いて、女は手元に誰かの羽織と針を。男は座布団をぐるりと丸めて横になっていた。どこか古ぼけた床板の素朴な質感が馴染み深く、男は日差しの誘惑も相まってうつらうつらと舟を漕いでいた。女は手元に集中していながら、でも、隣で横たわる男のことを気にかけては再び手元に視線を戻す。お日さまの戯れ、彼女達はいつも真っ青な大空より降り注ぎ、太陽に照らされる人の子達をそっと抱き締める。時に柔らかな風を連れて、時に鳥の囀りを添えて、時に連れて来られた花弁を遊ばせて。この縁側に偶然居合わせた男女にも、それは等しく与えられる。そして、生きることの尊さを知らず知らずの内に胸に刻むのだ。

「たまにはなまえもここに来て、寝っ転がりゃあいい」
「そうしたいのは山々だけど、」
「後回しでも良いんだ、そんなのは」
「ふふ、でも、それじゃあ天下の新選組の隊長さんが不憫です」
「うちには沖田や永倉がいる。アイツらよりかは目立ってないだろう」
「でも、大きな穴が空いてますよ」

 もし、これが早く終わったら、お付き合いしますから。斎藤さん。となまえは膝に乗せた浅葱色の羽織をちくちくと縫い付けていく。魚の骨程度の針に糸を通し、新しく縫う糸と布地に違和感が無いように丁寧に一つ一つ針を泳がせている。苦労の見える指先を誤って刺してしまわないかと、斎藤は内心目が離せなかったのだが、その姿になまえの、いや、女の器用さを知る。炊事だけでなく、洗濯や掃除などの家事をこなす女の、働き者の手に尊敬の念を抱いていた。自身ら新選組の人間とは違う使い方をし、今日を懸命に生きる手がいつの日も清らかで美しく見えるのだ。
 だからこそ、どれ程の間、無口であっても斎藤は何も感じなかった。迫って来るような気まずさや意味のない緊張、風の流れに翻弄されて奇妙なことを口走ることもない。ただ、あるがままに。この瞬間に自身という人間が何者なのかをさらけ出している。気付けば、それほどまでに二人は地道に歩を進めてきた。確かな関係があるわけではないものの、隣にいることを苦に思わない相手だった。それ故に斎藤一はみょうじなまえに自身の羽織の修繕を頼むことが出来、みょうじなまえも斎藤の持ち込んだ手間を煙たがらずに針仕事に勤しんでいる。

「いつも助かる」

 信頼とは、意図せず積み重ねられていく気遣いの末の賜だ。そして、信頼はやがて小指に赤い糸を黙って括り付けていく。斎藤となまえの間にも長く垂れている糸があると、二人は知らない。互いの胸にある、引き寄せられる感覚の名前すら知らないのだ。気を許せる相手という便利な言葉の裏で、着実に何かが育まれている実感だけはありながら。しかし、それは親密であると誤解していた。

「困った時はお互い様、でしょう」

 満更でもない顔をしたなまえは、嬉しそうに口元に笑みを浮かべると、たった一度だけ仕事の手を止めて斎藤を見た。斎藤と目線が合えば、再び視線を手元へと戻してしまった。

「なあ、」
「なんです?」
「今夜、少し街に行かないか」
「街?……どういう風の吹き回しです?」
「たまにはなまえと一緒に、って思ってな」
「まあ、嬉しい。でも、遠慮しときます」
「何か用でもあるのか、」
「ううん、そういう訳じゃなくて。その、」

 なまえが針仕事の片手間に明かしたのは、意外な心中だった。斎藤に街へ行かないかと誘われたことについては素直に嬉しいものだと明かし、だが、なまえは街へ行くのも良いが、今夜は二人で過ごしたい思いがあった。あんまりにも今日が良い天気で、このまま羽織を繕い終わってさようなら、では味気ない。それに街に行ったら、この羽織のことを口実に何か買い与えられてしまっても気が引ける、と。だから、今夜は街に行かず、二人で過ごしたいと口にしたのだ。
 初めは寝転がったまま話を聞いていた斎藤は上体を起こすと、なまえの隣で胡座をかき、突然なまえの手元をじっと見つめ始める。途端に近くなった距離感になまえは一度手を止めたが、程なくして再び穴を縫い始めた。時折、斎藤を見ては、いつになく真剣な顔をして自身の手元を見ている横顔の、なんと精悍たるや。器用なもんだな、と一人呟くものだから、小さい頃からやってるんです。とどこか得意げに針を浅葱色の布地に通していく。上へ下へ、針を通し、糸を潜らせては、その小さい頃を思い出す。

「あ、」

 なまえが幼い頃、今の斎藤と同じようにして、母の針仕事を見るのが好きだった。働き者の手をした母のしなやかな指先を針の先端が一切掠めることなく、美しく仕立てられた布だけが残る。今では自分が母と同じ立場にあるのだろうか、などと考え事をしていたせいで、母が見せなかった失敗に直面する。小さく鋭いものが指先を掠めてしっかりと突き刺さる感触。やってしまった、慌てず手にしていた針と羽織を膝元に置いては怪我の程度を確かめようとした時だった。
 すぐに手を奪われ、次に暖かな感覚に目を丸くする。俯いた顔に彼の人の束ねた髪がほつれて垂れていく。通った鼻筋、長い睫毛、男らしく真っ直ぐに伸びた眉、厚い唇に食まれた指先の熱に言葉を失う。斎藤と言う男はここまで色めいた相手だっただろうか。揺らぐ、心に似た何か。この時のなまえは恥じらいから手を払うことも、制止の言葉さえも紡げずにされるがままでいた。いや、されるがままでいたかったのだ。

 やがて、斎藤は悩ましげに食んでいた指先を解放すると、懐を漁っては一枚の布切れと小さな筒を取り出した。それから、なまえの患部に筒の中身である傷薬を一掬い乗せ、指の腹で優しく塗り広げると布切れの端を噛み込み、思い切り引き裂いていく。細く引き裂かれた布で患部を刺激することのないよう、慎重に結わえていけば、斎藤なりの手当てが一通り終わりを迎える。

「……どうだ、」
「ええ、何とも」
「悪い、余計な真似しちまったせいで」
「いいえ、実は私もうわの空でしたから」
「うわの空っつうことは、何か考えてたのか」

 斎藤さんには内緒、と表面的に誤魔化してみると、そうか。とやけにおとなしい返事になまえは昔のことを思い出していたのだと明かす。郷愁に駆られていたのだが、斎藤の施してくれた手当てにすっかり切ない思い出を忘れてしまったと。

「でも、まさか斎藤さんにこんなことしてもらえるなんて思ってなかった」
「俺だって人の手当てくらいは出来る。いつもここで寝っ転がってる訳じゃねえさ」
「本当ですね、ありがとうございます」

 いつの間にか手当てをされる側から、する側へと番が移ってしまった自身にとって小さな喜びだった。自身のことを一番に面倒を見るのは自分そのものが当然なのだが、そこにもし誰かが同様の献身を割いてくれたとする。その時に一体、何を感じるだろうか。こうして積み重ねられた気遣いに、人恋しさを覚えてしまうのは信頼という言葉だけで収まらない何かがあると告げている。斎藤一と言う男は他者に躊躇うことなく、その手を差し伸べられる人間なのだ。いつか、その手を長く取ることが出来たなら。

「私、斎藤さんのそういう所が好きです」
「なんだ、いきなり。柄にもねえ」
「つい、寄りかかってしまいたいって思うんです。そんなお人だから、斎藤さんは」

 一人で歩いていくことの大変さは想像し切れないものだが、二人で歩いていきたいと思える相手がもし現れたなら、どんなに険しい道であっても添い遂げることを厭わない、そんな人でありたいと願う。そして、願わくば、相手にとってもそのようにありたいと思えた。

「だから、言っただろう。こっちに来て、寝っ転がればいいとな」

 膝元に置いていた針仕事の一式を退かすと、斎藤にしては珍しくやや強めに腕を引かれた。予期せぬ行動になまえは姿勢を崩すと、すぐに憧れていた胸の傍に頬を寄せていた。少し、強引過ぎたか?と今更になって人目を忍んだ言葉を口にする斎藤に、……ええ、本当です。となまえは目の前の胸元に回した手で斎藤の着物をぎゅっと掴んでいた。それがいじらしくも愛おしいと感じた斎藤は、どこか微熱を帯びた声音で語る。

「実を言えば、穴を繕って欲しいと言うのは、ここに来たいが為の口実なんだ」

 胸に迫る思いは鼓動の音を強めていく。果たして、どちらの胸の音だろうか。たった今、二人は零距離に留まっている。

「なまえが寄り掛かりてえんなら、喜んで肩貸してやる。だから、いつでも言ってくれ」

 今更、遠慮なんて他人行儀なことは言いっこなしだ。斎藤の熱を帯びた真っ直ぐな言葉に自然と手を取られている気がした。

「ねえ、斎藤さん。さっきのお誘いのこと、本当に誤解しないでくださいね」
「分かってるさ。にしてもどうしたんだ、急に」
「こうしていたいんです。いつだって」
「いつだって?それは大きく出たな」
「私だって、ここに連れて来る為の口実で羽織を繕ってる訳じゃないんです」

 日差しの降り注ぐ縁側に彼が座布団を丸めて寝っ転がっていること。そんな男の羽織を自身が直してやれること。たった数刻過ぎたとしても、同じ時間の中に二人で居られること。斎藤の行動も、なまえの動機も、どちらも声の伴わぬ恋文だった。全てを明かさずとも良い、口ばかりの言葉よりもずっと正直で居られた。名を呼べば、返事がある。目で探せば、すぐに隣人であり続ける。そうしていられることの喜びを知るものは少ない。

「斎藤さんも遠慮なんかしないで、いつでもここに来てくれればいいんです」

 抱え切れぬほど過度に膨れた親密を選べば、遂に『親密』は『親密』のままでいられなくなる。蕾が花開くように、『親密』も仮初の姿を捨て去り、ようやく本当の顔を覗かせていく。愛おしいと鳴く唇を、切ないと鳴く瞳を、恋しいと鳴く胸を、欲しいと鳴く喉を、飲み下したいと鳴く腹の底を持ち合わせた、まるで強欲の塊のような。人が人たる由縁の感情が自我に溶けていく。何故、忘れていた。何故、思い出せなかった。これがあるからこそ、人は愛とは何かを知ると言うのに。
 なまえは湧き上がるその感情に当てられ、僅かに混乱していた。どうしてほしい?どうしてしまいたい?と無限に喉元へとせり上がってくる欲望を飲み下すことに無口になっていると、今度は斎藤からそれが溢れ出す。……嬉しいこと、言ってくれるんだな。と鼓膜を揺らす心地良い声にそのまま身を預けてしまいたかったのだが、だが、今はまだあまりにも日が高過ぎる。

「……どうにかなってしまったんでしょうか。私も、斎藤さんも」
「ただ、人に見られちゃあまずいってことだけは分かるな」
「なら、少し中で休みませんか」
「日に当たり過ぎたのかもしれねえ」

 ゆるり、と抱擁が解かれ、日だまりを頬に宿したまま、なまえは仕事道具と斎藤の羽織を抱えて隠れるように家の中へと入っていった。障子を完全に閉め切らず、ほんの少し開けておく気遣いに再びいじらしさを覚えれば、互いに焦りは禁物だと取り残された男が敷きっぱなしの座布団を手にして、なまえの後を追うのだった。



| 日和 |


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