誕生日を祝ってもらう谷村正義 真昼の薄暗がりは明るくぼやけた陽の入る、微睡みの部屋だった。壁に飾られた淡い色味の可愛らしい紙の輪飾り、意味もなく数だけ揃えた風船達、少しでも良い雰囲気を醸し出す為に買ったと言っていたキャンドルが疎らに散らばっては小さく灯る火を揺らしている。
「ねえ、少し覗いてみようよ」
滅多に買わないはずの控えめな花束を花瓶に活け、二人きりのパーティーであるとテーブルメイクの施されたそれを置き去りに、二人はフローリングの上に座り込んで、彼女が抱える白い箱の中身を覗いていた。ぴったり二人分のショートケーキ、たったそれだけを彼女は嬉しそうに抱えていたのだ。夜まで待ち切れず、使い切ったクラッカーの中身が二人を囲むようにメタリックカラーの紙吹雪が散らされていた。
「この二つで最後だったの」
「よく覚えてたな、今日のこと」
だって、大切な日だから。と恥ずかしげもなく口にする彼女の部屋のカレンダーには、今日の日付に赤い丸が書かれていることを知っている。この何事もなく流れていく毎日の、一日一日には誰かに纏わる記念日だと、耳にした時はあまり実感が湧かない、綺麗さだけの言葉だと受け取っていた。しかし、実際には一年の内のたった一日をこうして待ち遠しく、そして、何よりも大切であると感じてくれる人間がいる。谷村の目の前の相手が正にそうだ。変に着飾らず、いつもより少しだけ良い服を着て、自身を迎え入れてくれた女は谷村正義にとって家族同然の相手だ。
みょうじなまえは、神室町の住人の中でも亜細亜街の住人と親交のある数少ない人間だった。二人はひょんなことから出会い、亜細亜街の住人達との交流の中で関係を築いていき、今に至る。そういった背景もあることからか、いつになったら……と亜細亜街の住人達、特に趙からこの関係の発展を期待されていた。谷村自身の将来を嬉しそうに語ってくれる皆に有難い気持ちではあったが、正直なことを言えば、その期待に応えることを躊躇っている。
「大変だっただろ、こんなに色々と準備して」
「ううん、そんなことない。私は早く明日にならないかなってわくわくしてたよ」
「昨日の俺はこうなることを予想してなかった」
「内緒にしてたからね」
「なあ、なまえは……、」
言いかけて止めた。きょとんとした顔のなまえを前にして、途端にその問い掛けが臆病だと気付いてしまったからだ。俺のこと、どう思っているかなどと、正解の見つからない問いほど無意味なものはない。何でもない、とはぐらかしてすぐ、谷村は箱の中のショートケーキに手を伸ばした。あ、と驚くなまえを他所に、周りのフィルムを剥がしては箱に戻し、大きな口でケーキにかぶりつく。程よい硬さの生クリームに溺れては、今までの自身の誕生日を一人で振り返っていた。
物心ついた時から、あまり華やかな思い出は無い。父は警察の人間で刑事だった。そのような人間が父であると言うことは、献身をこの街の為に割いている限り、華やかな思いとは無縁の生活だった。しかし、それでも良かったのだ。尊敬する父の背中を見たからこそ、同じ警察の人間として一人の刑事の背中を見たからこそ、今の自分がある。当然が当然でなくても構わなかった、生きていく上で自然と付随するイベントなどは。
口内に広がる野暮ったい甘さにショートケーキをボロボロに齧る手が止まる。正しいやり方など知らなかったが、それでも良かった。正しい祝われ方など、この歳になってもよく分からない。感謝する気持ちはあれど、それを的確に表現し、伝えてくれる言葉を知らない。ただ笑ってやり過ごすことも出来るが、素直でいられるような振る舞いすら知らない。なまえは失望するだろうか、この日の為に用意したケーキがボロボロにされていく姿を目の当たりにして。
いつの間にか、それは音を立てずに緊張する谷村の張った気をすり抜けて伸ばされていた。口の端、散々食い荒らした唇へとなまえの伸ばした指は谷村に触れた。親指でやんわりと何かを掬い取る仕草、自身からその手が離れて初めて気付く。無邪気そうに見える真白が彼女の手によって攫われたことに。そして、間髪入れずに至って自然な動作で、その真白はなまえの口元で溶けて消えていった。まだ口内には、あの野暮ったい甘さの余韻。
「谷村さんって、甘いもの好きだったっけ」
「……人並みだよ、そこら辺のヤツとそう変わらない」
「にしては、かなり食べるの早かったけど」
ゆっくり食べないと体に悪いよ。と図らす口にしたクリームの甘さに釣られて、なまえも自身のケーキに手を伸ばす。谷村の真似をするように、周りのフィルムを剥がしては大きな一口でケーキにかぶりつく。
「なあ、今ここで食っちまったらダメなんじゃないのか」
「どうして?」
「どうしてって……、わざわざテーブルに皿とか並べてくれてたんだろ」
「私も食べたくなっちゃったから」
「それに、」
「いいの、これで」
正解が分からないと顔に出ていたのかもしれない。もし、そうだとすれば、なまえの気遣いを無駄にしたことになるのだが、不思議と居心地の良さは変わらず、何故かと首を傾げればすぐ近くに答えがあることを知る。小さな口を大きく開けてケーキを食べているなまえの姿は、まるで子どものようだった。なるべく綺麗に食べようと試行錯誤しているものの、今にも上の苺はぐらついて落ちてしまいそうで。更にスポンジとクリームの層を上、下の順番に齧るものだから、知らぬ間に鼻の頭に小さく生クリームがくっ付いている。
「……これ、もーらい」
「あ……!」
今にも落ちてしまいそうな苺を我先に摘んで奪い取れば、ムキになった顔でこちらを見る少女と出会う。あれ程までに綺麗に食べようとしていたくせに、口の周りにも白いクリームの跡があり、笑いを堪え切れずに吹き出す。谷村の様子になまえは急いでティッシュを手繰り寄せ、一枚を口元にあてがった。
「なまえは皿とフォーク使えよな」
「ほ、本当に私の苺食べるの?」
「マジで食う。だって、床に落ちてたら食えねえんだぞ」
「でも、まだ落ちてなかったのに……!」
「四の五の言わずに寄越せっての、」
谷村は自身の苺よりも先になまえから奪った苺に口をつけた。なまえはごにょごにょと、最初からあげるつもりだったから良いけど……。とぼやきながら、残りのケーキを食べ進めている。甘酸っぱい苺の味が口内に広がり、何故ショートケーキの生クリームは野暮ったく重たいのかを知る。さっぱりとした口で考えるのは、あの野暮ったい味が恋しいと言うことだ。何かの折に食すことはあれど、再びを欲張ったのは今回が初めてだ。
「美味いんだな、ケーキって」
「うん、私も好き」
「……は?」
「ショートケーキのこと」
「紛らわしい言い方すんな、」
「だから、今日は一緒に居れて嬉しい」
「ケーキが食えるからか?」
「勿論、……ってのは言い過ぎだけど、」
──── 今日は私たちの谷村さんが生まれた日だから。
決して言い淀むことなく、なまえはつらつらと述べ、けれど、喜びを噛み締めているようにも、照れ隠しに大きく笑っているようにも見える。たった一言、その一言を耳にしてからと言うものの、谷村は鼻の奥がつんとし、涙腺が徐々に緩み、じんわりと視界を滲ませていた。不覚だった、まさかなまえがその言葉を口にするとは。それは特別な祈りだった。おめでとうと祝われることはあれど、何故かまでを与えてくれる彼女に、谷村はそこまで難しく考えなくていいのだと諭された気がした。
「今夜、趙さんに誘われてるでしょう?」
頷く、今日はあと一つだけ祝いの席が用意されている。趙の誘いにはなまえも当然声が掛かっているはずだが、そう考えればこの場は一体何なのか、よく分かっていなかった。
「本当はさ、一緒が良かったんだ」
「一緒?」
「うん。谷村さんと一緒が、ね」
「なあ、」
「うん?」
口元に僅かにクリームを残したままの彼女に問い掛ける。先に祝いの席を設けたことや、どうして一緒が良いのかなどの他人行儀なことではない。谷村が続けたかった言葉とは、
「……来年も祝ってくんない?こんな感じで良いから」
自身のことをどう思っているか。そのようなつまらない、場が白けるような問いは捨てたのだ。代わりに、また来年を約束したかった。一年間の内の一日を今日のように二人だけで過ごす。初めて、そんな一日を欲しいと思えた。谷村は続けて、自身のケーキに残された苺を指で摘むと、なまえの口元へと添える。なまえは予想外の行動に驚いていたが、先程の問いと相まってなのか、とりわけ落ち着いた様子で差し出された苺を食む。
「お願いされなくても、毎年祝ってあげるつもり」
「へえ、そりゃあ頼もしいね」
「ふふ、珍しいこともあるんだね」
「人間はいつ気が変わるか分からないもんだろ」
「……谷村さんはこんな感じって言ってたけど、嫌じゃないの?」
「別に、全く」
「そっか、分かった」
なまえは頷くと、残りのケーキを食べ進めていく。谷村もようやくそこで同様に自身の残りを食べ進めていくのだが、ここで一つ気付く。
「毎年祝うつもりなら、苺やるんじゃなかった」
「いいじゃない、お互いに食べられたんだし、」
「おい、返せよ。俺の苺」
「な、無いよ、食べちゃったもん、」
途端に慌てふためく彼女を他所に、谷村は内心楽しくて仕方なかった。あまり表情には出ないタイプだが、自身の代わりと言うようになまえはよく感情が顔に出ていることがある。
「そんなに、苺好きなの……?」
おどおどとした様子で訊ねてくるなまえに、谷村は笑みを零すと、そこまでじゃない。ただ、からかいたかっただけだと告げれば、なまえは再び驚いた表情を見せる。
「谷村さんって、本当に、」
「なに?」
「小学生の男の子みたいなことする」
「それ、どういう意味だよ」
うれしそうってこと、と付け加え、最後の一口を済ませたなまえは我先にと台所へと向かい、たった今食べ終えたケーキの後片付けをし始める。その場にぽつんと谷村だけが取り残されたのだが、なまえの言葉を黙って反芻している内にいつの間にか手元のケーキは食い尽くされていた。
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