「あ、谷村さん、」
「あれ、なまえちゃんと谷村さんって知り合いだったの?」
「秋山さんに言ってませんでしたっけ」
「いいや、全く」

 谷村はこの日、別件で用のあったスカイファイナンスへと足を運んでいた。スカイファイナンスは天下一通りに面した街金で、社長である秋山とはとある事件をきっかけに知り合った仲であるが、何故このような場所になまえの姿があるのかまでは分からなかった。そして、自身がここに来るまでに二人が作り上げた雰囲気の経緯も。対面するソファーに座り、二人分の瞳が谷村を捉えては互いに見合っている。

「もしかして、何か入り用だった?」
「ううん、そうじゃなくて。秋山さんに話し相手になってもらってたの」

 まずは第一の不安を払拭する。秋山の元にいる理由を知っておきたかった谷村からしてみれば、それはそれで安堵出来たが、話し相手となると別の、第二の不安が顔を覗かせた。谷村となまえは男女の仲に非ず、街を守る警官とその街で生活を営む一住民という関係にあった。日々の面倒な警らも彼女の所に顔を出す理由になるからと、渋々警官の務めを果たしていたのだが、立ち寄った先でこのような場面に出会してしまうとは。

「話し相手って、」
「あ、いや、俺がなまえちゃんのこと呼び止めたんです。それでついつい長話に」
「谷村さんはどうして、ここに?」
「俺も秋山さんに話があって立ち寄っただけ。だから、こんな所にみょうじがいるなんて思ってなかった」

 事の経緯を知ったことで、余計に胸の辺りがモヤモヤとした言い表しようのない感覚を抱く。途端に気怠さを覚えた足で、革張りのソファーに腰を下ろす。隣のなまえはいつもと変わらない様子で自身に接している。それは秋山も同様で、谷村だけがいつもと同じで居られなかったのだ。除け者にされた訳ではない、初めに築かれた輪に後からやって来ただけのことだ。居心地の悪さを感じながらも、何となく立ち寄った後悔を覚えながらも、谷村は話を続けた。

「秋山さん、少し教えて欲しいんですけど」

 その場で口を開いた谷村が秋山に尋ねたのは、一人の男の話だった。現在、警察が行方を追っている一人の被疑者は逃亡を図る前、スカイファイナンスを訪れていたことが目撃者の情報で発覚。身元の絞り込みに必要な情報を秋山が握っているかもしれないと、谷村はここへ足を運ぶことになった。一連の話を聞いた秋山は心当たりがあったのか、谷村の挙げた被疑者の特徴と合致する人物について語り始める。なまえは二人のやり取りを傍らで聞いては、時折視線を谷村に逃がし、事件を追う警官としての姿を目に焼き付けていた。
 秋山からの情報提供により、捜査の進展が見込めると谷村は頷いていた。秋山は情報の提供だけではなく、神室町にいるホームレス達にも協力を呼び掛けると申し出る。懇意にされる理由が無いと告げれば、警察との繋がりは貴重なもので無下にしていいものでは無いと、打算有りきでの考えがいっそ清々しく感じられ、谷村は秋山の申し出を了承した。警察の包囲網は甘いものではないが、この街の至る所で協力者を作れるのなら、その方が良いに越したことはない。秋山駿という男は、味方であれば頼もしい協力相手だった。

「私も同じ特徴の人がいたら、谷村さんに連絡入れるね」
「ああ、そうしてもらえると助かるよ」
「そうだ、谷村さん。今、少しいい?」
「まだ何かあるんですか」
「ちょっとね。ごめん、なまえちゃん。少しここ離れるね」
「はい、大丈夫ですよ」

 なまえを事務所に残し、秋山は谷村を連れて事務所を出る。そして、後ろ手で扉を閉めると、真っ先に谷村へ問い掛けた。谷村は秋山に連れ出された理由がよく分からず、その問いを告げられるまで居心地の悪さにだけ酔っていた。

「谷村さんとなまえちゃんってどういう関係?」
「どういう関係って、別に知り合い程度ですけど」
「本当に?」
「それってどういうことですか」
「もし、本当に谷村さんがそうだと思ってるなら、なまえちゃんは報われないってこと」

 事務所を出てすぐの階段の手摺に秋山は背中を軽く預け、谷村はどこにもたれ掛かるでもなく、ただ佇んでいる。先程、秋山が口にした言葉の意味を考えては、胸の内の晴れない気持ちが加速していくばかりだった。なまえが報われないとはどういうことなのだろう。谷村自身がなまえとの関係を知人という括りに収めたことで生じる不都合がなまえにはあるのだろうか。いや、大前提として理解が追い付いていない。
 恐らく口ぶりから察するに、谷村がスカイファイナンスを訪れる前の会話に何かあったのだと思われるが、わざわざなまえを呼び止めてまで長話をする秋山の方が、谷村となまえが知人に収まらなくなった時に困るのではないか。身勝手な邪推が脳裏を過ぎる。本当は秋山の言いたいことの全てを谷村は理解していた。なまえが秋山と一緒にいたこと。まるで自身と居る時より楽しそうに見えたこと。秋山に呼び止められれば事務所に上がり、二人きりになっても構わなかったこと。

「好きなんでしょ、なまえちゃんのこと」
「……俺、そんなに露骨でした?」
「こう見えても、結構、修羅場潜り抜けて来てるからね」
「あんなの、修羅場になりません。ただ、俺が面白くなかっただけなんで」
「分かるなあ、その気持ち」

 しみじみと昔を懐かしむ秋山に谷村の疑問は消えない。それだけの為にわざわざ、彼女の前で場所を変えて話をしているのか。共感の姿勢を見せる秋山に今度は問う。なまえとは、どう言った関係なのかを。

「ウチに秘書の子がいるんだけど、なまえちゃんはその子の友人でね。この間、少し助けてもらっちゃったから」

 俺が通りで見かけた彼女を呼び止めたのは、その時のお礼がしたくて。と何でもない様子で答える秋山に、内心肩透かしを食らっていた。所謂、早とちりの誤解と言ったところである。呆気ないネタばらしに別の意味で居心地が悪くなっていく谷村は、先の失敗をこれから詰ることになる。

「ところで、好きなら好きって言いなよ。彼女、めちゃくちゃいい子じゃない」
「あのねえ、関係ないでしょ、秋山さんには」
「いやいや、乗りかかった船ってやつだよ。まさか、あの谷村さんがねえ、なまえちゃんをねえ……」
「あんまり言わないで下さいよ、」

 相手が悪かった。秋山はどこか得意げに頷いており、これからの二人の行く末でも見据えているのだろうが、勝手に話を進めないで欲しい。自身の思いと他者の思いがいつだって同じであるとは限らない。だからこそ、ほんの少しの認知のズレで色恋沙汰の事件が後を絶えないのだ。まるで、相手の心情を全て知っているかのような振る舞いは ────、

『谷村さんとなまえちゃんってどういう関係?』
『もし、本当に谷村さんがそうだと思ってるなら、なまえちゃんは報われないってこと』

 意識が真っ白に弾ける。不意に聞こえて来たのは、秋山の何気ない一言だった。まるで、相手の心情を全て知っているかのような振る舞い、などではなく、正にその通りであったのならば……。いや、余計な詮索は止めておく。止めておくと決めたくせに、心のどこかでは平穏が保てず、動揺を抑え切れていないのが実情だ。

「谷村さん相当モテると思ってたけど、意外に鈍いところあるんだねえ」

 やけに余裕たっぷりな秋山は谷村の肩を一度ポンと叩くと、じゃあ、俺、このまま一服してくるから、後は二人でよろしくやっといてよ。と鉄板に靴を鳴らしながら、このビルの屋上へと行ってしまった。その場に一人取り残された谷村は、手持ち無沙汰のまま、事務所の扉に手をかける。秋山の足音は徐々に遠ざかっていき、今度は自身の心臓が迫るように脈を打つ。深呼吸を気が済むまで繰り返すと、ようやく手にした扉を開け、なまえの待つソファーまで戻っていく。

「おかえり。あれ、秋山さんは?」
「一服しに行った」
「そっか。二人が戻って来たら、お暇しようかなって思ってたけど、」
「だったら、俺から連絡しとく」
「本当?」

 じゃあ、谷村さんにお願いしようかな。と席を立ったなまえに、このまま戻るのであれば、警らの途中であることから送ると提案する。すると、初めは大丈夫だと遠慮して見せたなまえの、嬉しそうに目線を逃がす様子に秋山の言葉の信憑性が強くなるのを感じていた。ここで引くという選択肢はない。確定で負けが決まっているだけだ。嬉しそうな顔をしたなまえに、今度は素直に送らせて欲しいと告げると、面食らった顔でこちらを見ていた。

「えっと、でも、」
「俺だってなまえの話し相手くらいにはなれると思うけど」
「お仕事中なんじゃ……、」
「ここに来る前に寄りたい所は全部寄ってきた。雀荘も、摘発されそうな風俗店も、趙さんの店にも」

 それに、俺もうそろそろポイント稼いでおかないと、また上の奴に目ぇつけられるからさ。といつもの調子で打ち明けると、なまえは面食らった顔から一変して人懐っこい笑顔で肩を揺らしていた。なにそれ、と好きな笑顔を見せる彼女の傍が、これほどまでに居心地が良い場所なのだと改めて思い知らされた。秋山に抱いていた晴れない気持ちの原因を知る。

「そうだ、谷村さんに聞きたいことがあったの」
「ま、歩きながらでも聞くよ」
「あのね、」

 二人の男女は楽しげな会話と共にスカイファイナンスの事務所を去っていった。ビルの屋上で天下一通りを見下ろしていた秋山の目にも、谷村となまえの二人はお似合いな二人として映っている。若いっていいねぇ、とやけに年寄り臭い台詞を吐いては短くなった煙草を気怠そうに消し、ようやく一人遅れて事務所へと戻っていくのだった。



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