錦山彰と幼馴染 日差しと相俟って熱風が肌を焦がす。今日は薄着で正解だったと膝元をくすぐるスカートの裾に夏の到来を噛み締めていると、後ろからやけに気怠げな声が聞こえ、自然と笑顔になる。辺り一面の向日葵を眺めながら、なまえは遅れてやって来た彼の言葉に耳を傾ける。
「ったく、ジャケットなんか持ってくるんじゃなかったぜ」
「だらしないなあ、彰くん」
「あのなあ、一端のヤクザがチャチな格好出来るかっての」
「大変なんだね、そういう人も」
「おめえな、」
だから、他の奴に付き合ってもらえって言ったんだ。だって、一馬くんも予定合わないって。馬鹿、なんで選択肢が俺か桐生なんだよ。
錦山の問い掛けになまえは正直に今日の目的を明かす。好きな男の子と来たかったの。と真正面から答えるなまえに、錦山も意外な返事に口籠ってしまった。だが、少し待って欲しい。今の言い分だと、なまえの『好きな男の子』がまるで錦山と桐生であると取れてしまうが、錦山はその言い分のちぐはぐさを問わずにはいられなかった。
「それじゃあ、俺と桐生の野郎が好きってことじゃねえか」
「うん、そうだよ」
「いいのかよ、そんなことさらっと言っちまって。つうか、俺が聞いてよかったのか?」
「ふふ、そんなこと言って嬉しそうだよ」
ったりめぇだろ。どこの馬の骨とも分からん奴にお前を渡せるかっての。
額に汗を浮かべながら、自身ら三人がまるで特別な仲であるように言い切る錦山の姿がやけに嬉しく感じられるのは、今日を二人で迎えられたからだろうか。なまえは錦山の問いに、咄嗟に二人の名を挙げた。桐生一馬と錦山彰とは、幼馴染の関係だ。だが、その中でも錦山彰はなまえにとって特別な存在だった。
桐生一馬と錦山彰、そして、みょうじなまえは同年代の男女だ。中学を卒業した二人はなまえとは違う道へと進み、今では東京の極道になってしまった。憧れだったあの人の背中を追い掛けるように、二人は二人きりでその道へと足を踏み入れてしまったのだ。なまえは無事に高校を卒業後、施設を出て一人暮らしをしている。時々、こうして桐生や錦山の二人と顔を合わせては昔のように心を許して戯れるのだ。桐生とはあまり多くを語らないが集まりには外せない友人のように、錦山とは親友と言うより地元の悪友のように。
「本当はさ。彰くんと一緒に来たかったから、一馬くんに声掛けてないんだ」
「ああ?なんだよ、それ」
「なんででしょう」
「そりゃあ、勿論俺の方が良いってことだろ?」
「そういうこと、」
桐生も錦山もなまえからすれば、大切な家族に変わりないのだが、それでも感覚的なところで錦山の方が近いように感じていたのだ。たとえば、一人で気落ちしている時にそっとしておいてくれるのが桐生だとすれば、それでも構わず気分を変えようと手を引いてくれるのが錦山なのだ。施設での生活は決して人並みには満たされず、裕福なものではなかったが、なまえの心を育むのに錦山の存在は必要不可欠だった。一人気落ちした時のやり過ごし方を知っており、一人泣きたくなる時の飲み込み方を知っている。
そんな何気ないことを、当たり前のように与えてくれる錦山になまえは惹かれている。陽の光を求めて一心に伸びる向日葵のように、強く惹かれている。だから、今日は二人で来れて嬉しかったのだ。どこまでも高くそびえる空の青さを、吹き抜ける夏の風の熱さを、ただ一面に広がる向日葵の快活な美しい黄色を。なくしたものが多いばかりに感覚が欠落していた自身に、少しずつその感覚を与えてくれた男の子と今二人でいられる喜びをこの身で受け止めている。
「桐生には悪いことしちまったな、」
「一ミリも思ってないでしょ」
「なんか、お前一人で暮らし始めてから変わったよな」
「ううん、私だけじゃないよ。彰くんも、一馬くんもそう」
不意に来た道を戻り、錦山の真正面までやって来ると、ドラマの恋人達がして見せる、軽いキスをせがむような背伸びをして汗の滲んだ顔を覗き込む。すると、好きな男の子である彼は僅かに目を丸くし、息を呑んでいるように見えた。このまま、触れて重なってしまっても良いだろうか。などと考えていたから、なまえは見逃したのだ。すっかり変わったと口にした相手が、昔と変わらない『好きな男の子』のままではなかったことを。
つん、と押し当てられた一瞬の内に強く風が吹き付ける。まるで刹那に見た幻だったと思わせるように。唇が震える、肌に照り付ける日差しは暖かい、いや、暑いくらいだ。それなのに、不思議と悪い気がしない。揺れるスカートの裾が何度肌をくすぐろうとも嫌な気一つしない。突き刺さるほどにさっぱりとした底抜けの青空を背景に、好きな男の子だった相手の翳りに身を寄せている。土や木々の香りに混ざって、彼の好きな香水が僅かに香る。
「確かに、そうかもな」
つう、と錦山の輪郭を伝う汗さえも夏のせいにしてしまえば、なまえ自身も汗ばんでいることに気付く。傍に咲き乱れる向日葵達は爽やかなままで、人間である自分達ばかりが複雑な感情に揺らいでいる。嗚呼、どうしてこうも彼と居ると、人生の一瞬にさえ幸福が宿るのだろう。生きる理由とは必ずしも大切な人と、大切な人を思う気持ちだけではないと知っていながら、謳歌せずにはいられない。若さゆえの青さだと言うのならば、確かに二人はまだ若い。
「今、何を考えてるの」
「なまえ、お前は?」
「……えっと、」
夏の熱に浮かされた瞳が何かをねだっている。自然と唇が言の葉を編む。……彰くんのこと。と臆せずに明かせば、錦山はなまえが好きな子どものような笑みで、そうか。とだけ答えた。満更でもない、けれど、どこか照れ臭そうな顔で。
「じゃあ、彰くんは……?」
「昔から好きだった奴のことを思い出してた」
「それって、聞いてもいい?」
「本人を前にして、何を言えばいいんだよ」
「嘘だよ、それ」
「嘘だあ?なんでそう言い切れんだよ」
「だ、だって、そんなの、知らない」
そりゃあ、言ってねえからな。ほら、言わなきゃ分からないことじゃない。馬鹿、勝算もねえのに言わねえだろ、こう言うのは。しょ、勝算って。
意外と計算ずくなんだぜ、俺は。と随分前に抜かされた高い背丈の錦山がなまえに歩み寄り、するりと脇を抜けていく。振り返り、後を追い掛ければ、夏の風に靡いている錦山の黒々とした髪がやけに気持ち良さそうに見えた。待って、と小走りで駆け寄ると、目もくれずに伸ばされた手を掴む。
「ったく、しょうがねえなあ。お前は昔っから、俺らの後について回ってくる」
「だ、だって、二人とも歩くの早いんだもん」
「離れそうになる度に待ってって、俺の服の裾掴んできて、」
今なら手ぇ貸してやれる、ガキの頃とは違うからな。としっかりと握って離さない手のひらの温かさに、なまえはどうして自身が錦山彰を好きなのか再認識したのだ。つっけんどんな態度を取るくせに、ふとした時に優しくしてくれる。天邪鬼じみたところが好きなのだ。これはなまえ以外の誰も知らない錦山彰の一面だ。その優しさを享受出来る喜びを知るのも、恐らくなまえだけだ。この世にはたくさんの人間がいて、人の数だけ出会いの形がある。
本当の幸せとは、こんな茹だる暑さの夏日に嫌々言いながらも、こうして手を取って先を歩いてくれる相手の傍に居られることなのかもしれない。そう思うと、生きることの意味をほんの少しだけ理解出来たような気がするのだ。このようなことを真面目な顔して伝えたのなら、きっと笑われてしまうだろう。しかし、昔と変わらない勝ち気な笑顔が見れるのなら、それもまた悪くないような気がして。
「彰くんと一緒に来れてよかった」
「俺はこんなくそ暑い所じゃなくったって構わなかったんだぜ」
「じゃあさ、二人でもっと色んな場所行こうよ」
「……色んな場所ねえ、」
「今日は私に付き合ってくれたから、今度は彰くんの行きたいところ。どう?」
「ふーん、悪かねえな」
でしょ、と真横に並び出ると、こちらを見ながら口元に笑みを浮かべている、だらしのない表情をする錦山になまえは途端に怪訝な顔つきに変わっていく。
「なんか変なこと考えてない?」
「いいや、何も」
「でも、鼻の下伸びてるよ」
「伸びてねえよ、」
「これだから、男の子ってあんまり好きじゃない」
「おい、さっき好きって言ってただろうが、」
「好きって言ってない、彰くんの方が良いって言っただけ……!」
「良いも好きも同じだろうが、」
「もう、こんな所で言い合いにさせないでよ……!」
小突き、小突かれて、美しい向日葵のことなど二の次でからかい、戯れる。内輪の小競り合いの結末は意外な展開で幕を閉じることとなる。互いに噛み付き合っている中で、錦山は手にしていたジャケットをなまえの肩に預けたのだ。初めは良からぬ企みだと睨んでいたなまえも、日に焼けたら困るだろ。と添えられては突き返すことが出来ず。そのまま二人は落ち着きを取り戻していき、やがて見え始めた駐車場に戻る足を早めるのだった。
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