手を繋ぐ、体を寄せ合う、見つめる、隣を歩く、一緒に過ごす、キスをする。特別な感情表現は腐るほど、山のようにある筈なのに、どうして、と考えることがある。当たり前のことはまた手付かず、ちょっぴり悔しくなる。今日も日差しは眩しい、何も変わらない。ゆったりと流れる時間も、暖かな空気も、ざわめく街の音も。こうやって頭を抱えるなまえと力也の微妙な距離感も、その一つだった。


 ここ最近の彼の話題は、『桐生の兄貴』一色である。それでも最初の内は、どこかの忠犬のように目を輝かせて話をする力也の姿が好きで、毎日毎日その『桐生の兄貴』の話を聞いていた。しかし、ふと思う。あまりにもその兄貴の話を聞きすぎたせいで、毎日が物足りなくなっている、そんな気がして。
 友達以上恋人未満、なんてよく分からない関係じゃない。ちゃんとした彼氏彼女だと言うのに、甘酸っぱさの欠片もない日々を過ごしている。それは力也がその兄貴と出会う前と何ら変わらないのだが、なまえとしては危機感を覚えていた。兄貴も大事だが、彼女も大事だと言うことを忘れないで欲しい。


 そして今日も隣には、いつも通りの『桐生の兄貴』色に染まった力也がいる。場所は琉道一家事務所、縁側。今日は皆出払っているらしく、縁側で二人きり麦茶を飲みながら、兄貴話に花を咲かせていた。

「そんなに凄いの?桐生の兄貴って人、」
「ああ、そりゃあ凄いのなんのって!」
「好き…?その人のこと、」
「はぁ?そういうんじゃなくて、兄貴は俺の憧れみたいなもんなんだよ。」

 眩しい、日差しも、その眼差しも、全部きらきらとしている。何もかも、きらきらと光っている中で自分だけが一人くすんでいる。置き去りにされたように捉える幼い心が嫌になる、それを塗り替えられない自分もそうだ。よく知らない異性の、しかも、相当年上の男性にすら、嫉妬している自分も同じ。


「……なんか俺、悪いこと言っちまったか?」

 さっきまできらきらと光っていた瞳が曇る瞬間を見た。あ…、と声を漏らせば、意地っ張りな自分はあっと言う間に逃げ出て行き、自己嫌悪だけを残して行った。

「ううん、そういうんじゃなくて…!」

 無理に取り繕う、直感的にそれをやめてみようと思った。優しげな仮面を剥がしていく、力也の不安そうに光る瞳が切ない。

「…本当はやきもち、焼いてる。」
「やきもち?やきもちって、あの?」
「そ、そう!やきもち焼いてるの…!」
「誰に?もしかして……、」
「い、言わないで、」

 余計に辛くなるから、と小さくなっていく声に、自然と膝を抱える自分。それは拗ねる幼い子の姿と同じだった。

「そ、そうか、なまえの気持ちはよく、わかった、」

 力也がフォローに徹してくれるその姿に視界がじんわりと滲む。このままでは自己嫌悪に押し潰されてしまう。

「確かに折角の二人の時間に、兄貴の話ばっかりしてちゃあいけねぇや…!」

 こちらを、きりっとした真っ直ぐな瞳で見つめたかと思うと、力也は突拍子も無く、こう言った。


「今日はなまえの好きなようにしていい。そういう日にしよう。」
「……え?」
「だから、なまえのしたいことをする日だって、」

 そんな甘い言葉をかけないで、とは言えなかった。拗ねた心に一番効くのは、甘くて優しい言葉だけだと知っている。本当に?と聞き返せば、男に二言はねぇ、と意気込む力也がそこにいた。なまえの視界の揺らぎが治まっていく、とっくに膨れ上がった筈のやきもちがゆっくりと萎んでいくのを感じた。


「…それじゃあ、その、……いい?」

 なまえは一つ目のしたいことを力也に告げた。微かに目を見開き、驚いているようだったが、力也はわかった、と答え、なまえの言う通りに行動に移した。



 ふにふにとぎこちなく触れる、指先は硬い印象だ。あつい、それが暑いなのか、熱いなのか、分からない。ぎゅっと指先が力む度に、なまえも力也もお互いに体をビクつかせながら、お互いの顔を見ては俯く。決して、二人はいかがわしい行為をしている訳では無い。ただ沖縄の熱い日差しを浴びながら、縁側で二人手を握っている。それだけ、たったそれだけのことなのだが、どうも二人は緊張している様で、呼んでもいない静寂に重く沈んでいた。

 なまえが一つ目にしたいことは、手を繋ぐことだった。彼は琉道一家の若頭と言うこともあり、一緒に街へ出掛けることはあっても、他の男女のように手を繋ぐなんて経験はなかった。だから今、こうして触れる手の感触が新鮮だった。


「こ、こうでいいのか…?」

 力也の緊張した声が問い掛けてくる。自分の手より大きくて暖かくて厚みのある感触が気持ち良くて、もうちょっと強く、と答えた。

「こうか、」
「ちょっと痛いかも、」
「それじゃあ、こうか?」
「うん、それくらいがいい、」
「こ、これくらいだな、」
「なんでまた強くするの、」
「あ、いや、そういう訳じゃ…、」

 難しいもんなんだなぁ、とまた探るようにふにふにと触れてきた。兄貴の話になると、まるで自分の事のように得意気な顔をするのに、こう言った事になると変に緊張したり、不器用さが滲み出る彼が好きだと再認識する。

「ふふ、もういいよ。じゃあ、次はね…、」


 なまえは言いかけてやめる。言葉を遮ろうとは思っていない力也の手のひらがなまえの髪に触れたのだ。毛先に触れ、毛束に触れ、最終的にそれはなまえの頭へと置かれた。不意打ち、彼もこんな事をするのだと思い、焦れったい視線をゆっくりと力也の方へ這わせていく。すると、彼も予想外だと言いたそうな顔をしていた。びっくり、お互いに驚きながら、触れ合う箇所をそのままにして、再び沈黙が流れる。


「これは、その…!別に変な意味とかなくて…!」

 思ったよりも距離の近いその手のひらが離れてしまいそうだった。慌てふためく彼の事だ、きっとそうするに違いない。しかし、それが惜しくて、なまえは次のお願いを無理矢理割り込ませた。

「へ、変な意味とかいいから、もうちょっと、…そうしててほしい。」

 二度目のびっくり、今度は力也だけが目を丸くしていた。なまえは口から心臓が飛び出てしまいそうな程、高鳴りに不安を覚えていた。不安や緊張がちらつく今、なまえは静かに瞳で訴え、力也はそれを読み解こうとしているのか、視線を逸らさずにいる。戸惑いながら頭を縦に振った力也は眉間に深く皺を寄せたまま、なまえの頭を撫でた。
 わしゃわしゃと髪が擦れていく、なまえは与えられたそれを、それに対する喜びや照れを噛み締めている。拗ねた心がゆっくりと満たされ、込み上げてくる感情がなまえを突き動かす。

「こうしてもらうの、気持ちいい。」
「ばっ…!変な事言ってんじゃねぇ…!」
「じゃあ、今度は私がやってあげる、」

 なまえは力也の腕を避けると、自分の番だと言うように腕を伸ばした。二人の隙間が少しだけ狭くなり、力也は待った!待った!と焦りからか、一呼吸置くのに必死だった。なまえはそれを許しはせず、必死な彼のことは置いといて、ぽんぽんと指先を軽く弾ませた。折角の髪型を乱すわけにはいかない、だからこそ、指先は弾む。

「も、もういいって、なまえ…!俺はもう充分…!」
「お願い聞いてくれるんじゃなかったの?」
「でも、それとこれとは、」
「違うの?」
「……わ、わかりました、」

 不服、でも悪い気はしないと顔に書かれている。自然と口元が笑みを浮かべ、なまえも久しぶりにそういった関係らしい事をしたと満足だった。そんな矢先に、力也からぽろっと零れた言葉に、なまえは形勢逆転を許してしまう。


「なまえの笑った顔って可愛いよな。」
「な、何言って……、」
「にこにこ〜っつうの?見てて、こっちまで嬉しくなるっつうか、」
「もういい、大丈夫!もう言わなくていいから…!」

 なんでだよ、と悪気のない強気な姿勢で、更に二人の間が狭まっていく。今まで忘れていた気恥しさから後ずさりをしても、下がった分だけ力也が距離を詰めてくる。マイナスはすぐにゼロになり、プラスが増えていくだけ。

「なまえもやっぱり女の子なんだな、」

 ぴたり、と遂に後ずさりが止む。いつの間にか元に戻った眉間の皺に、真っ直ぐになまえを見つめる瞳、きゅっと結んだ口元。今日の日差しはおかしいくらい熱く、眩しかった。そして今度はなまえから力也の方へと距離を詰めていった。もう向こうも照れたり、後ずさりなんてせず、縮まる距離の結末を待っている。


 高鳴る鼓動は不安か期待か、縮まる距離の結末は離脱か接触か。シンプルに惹かれ合う視線を先に塞いだのはなまえだった。じっとりと汗ばむ空気の中で待ち望んでいる。三秒しかないカウントダウンが始まり、目を閉じていても感じる距離に二人は。





「…なんだ、いるじゃねぇか。」

 知らない男の声、胸の高鳴りは静まる事を知らない。男の声は縁側の二人を見つけるまで、事務所内に響いていた。

「あ、兄貴!」
「…力也だけじゃねぇのか、」

 熱い、暑い、あつい、降り注ぐ光はいつでもあたたかい。内から込み上げる、この熱はどのように表現すればいいのだろう。

「邪魔、しちまったか?」
「そんな、全然です。」

 重ねを知る唇は人知れず熱を帯びる。密かに、また後でな、と告げて行った彼に助けられた。うん、またね、と返すのに精一杯だったなまえは、ぼんやりと庭先の緑を眺めては目を伏せた。けれど、すぐに開いての繰り返し、何度も甦りそうになる重ねた記憶をまだ飲み込めそうにないのだ。

 これで少しは、少しくらいは、彼の頭の中身を書き換えられただろうか。しかし、なまえにはもう誰が大事かなんて、どうでも良くなっていた、力也のあの言葉を聞くまでは。


「また後でって、何するんだろう…。」


 重ねた記憶がその先へと意識を向かわせる。馬鹿…!となまえは逞しい想像力を発揮させる頭に悩まされながら、残ったままの麦茶を一気に飲み干した。まだ暫く、熱は引きそうにない。



| 妬いて、焦がれて |


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