薄暗い暗闇を照らすのは近くに置かれた明かり一つだけで、闇に紛れながらごそごそと蠢く男女二人は浴衣をはだけさせながら横になり、又はその上に跨っていた。男は女の髪紐を解き、簪や櫛の一つ一つを床に投げ出し、黒い束が畳に流れて行く様を見下ろしている。女は劣情に呑まれながら、見下ろす男のことを愛おしく思う。不器用だが、こうして自分を求めてくる姿が胸を焦がす。忘れられない相手となるだろう、後にも先にも心から慕うべき相手はこの男しかいないと信じて疑わなかった。

「何度目になるのでしょう、貴女とこうして体を重ねるのは」
「……数えるようなことでは。それに私は何度目だろうとかまいません」
「慕っておられる、と?私のような者を、」
「それを口にするのは、少々野暮にございます」
「貴女は可哀想なお人だ。たちの悪い病にかかっておいでの、可哀想な方だ」

 悪い熱に浮かされているのです。と女は男の緩む襟を掴んで、ぐい、と引き寄せた。より男を身近に感じる距離で女は、以蔵様、どうぞお戯れを。と素顔を覗かせる。憂いや切なさとも読み取れる感情に男は何も言わぬまま、唇を吸う。自分のものより暖かなそれが何度も吸い付いてくる感触と静かな部屋で聞こえる互いの微かな声に体が発熱し出す。ただ触れるだけでぞくぞくと良からぬものの波が体を走り抜けていく。理性を徐々に蝕む口吸いが終われば、吐息が溢れた。発熱の症状が著しいのは恐らくなまえで、以蔵は口吸いを終えた後も鋭い目でこちらを見下ろしているばかりだった。

「何か、」
「貴女があまりにも嬉しそうな顔をしているものですから、」
「……いけませんか?」
「いいえ、ただ少しばかり遊んでみたいと思いましてね、」
「あそびだなんて、酷い人」
「お戯れを、と言い出したのは貴女ではありませんか。私も丁度その気になったと言うだけのことです」

 さぁ、始めましょう。と以蔵は横たわるなまえの腕を取り、上半身を起こす。そしてなまえの背後に腰を下ろし、今度は以蔵から、ぐい、となまえの体を引き寄せる。以蔵に背中を預けていると、肩にかかる髪を横に逃がされた。肌に触れる指先の感触が胸に火を灯し、パチパチと小さく弾ける線香花火のような劣情のもどかしさに歯がゆさを覚えてばかりだった。髪を一纏めにされた後にあるのは無防備な白い首筋で、あの厚みのある唇が触れると熱い吐息が漏れた。先程の口吸いのように微弱に吸い付いてくる感触が首筋を伝い、下腹部や胸部を刺激する。
 はだけてはいるものの、中途半端に纏ったままの着物が邪魔で、次第に体に熱がこもっていく。熱い、早く脱いでしまいたいとさえ考え始める頭に理性の殆どは残っていなかった。以蔵は首筋に吸い付くだけではなく、乱れた着物の隙間に手を忍ばせて内にある女の体に触れた。乳房や内腿、下腹部のへその下など熱を帯びやすい箇所を重点的に弄り、女の反応を確かめながら手を動かしていく。何かを待ち望んでいる手は自分の体よりも熱く、忙しない。弱い部分に指先が沈む度、体は何度も微弱に跳ねた。

「貴女は素直だ、心も、体も」
「以蔵様が余裕でいらっしゃるのは、私なんぞにはもう飽いてしまわれたからではございませんか」
「私は人に好かれる人間では無い故、」
「……あの壬生浪には誰よりも好かれているでしょうに」
「甚だ迷惑な話だ、」

 遂に帯が解かれ、するすると畳の上に逃がされていく。以蔵様も。と帯を逃がす手に触れれば、以蔵は浴衣の上半身のみを脱いでみせた。布の擦れた音に緊張を覚えながら、後ろから浴衣を剥ぐ手を拒まない。自分の体がゆっくりと露わになっていく。剥がれた浴衣は肩の辺りに残され、呆気なく剥かれた体に羞恥を覚える。しかし、今度は以蔵の手の動きが見えるようになった。まずは腹部に手を添え、次に恥じらいから閉ざされた太腿と太腿の間に指を滑らせ、そして密かに湿った陰部を弄る。
 弄ぶ指先によって水音が聞こえ始めた頃には、己の欲情加減が嫌という程にわかった。決して中を犯さず、表面を執拗に弄ぶ指先がなまえを支配する。そのもどかしさに息が上がっているのはこの部屋で自分だけだ、以蔵は何も言わず女の体をほぐしている。それが欲を加速させていると知っているのだろうか。何も言わないからこそ、以蔵の体に訪れた生理現象に浅はかな喜びを見出す。自分のせいで欲情する羽目になったのだと都合良く解釈すれば、体を蝕む快楽はより深くなっていった。

 酷く陰部を湿らされた後、なまえは畳の上、自分が身に付けていた浴衣を下敷きに寝かせられていた。障子の薄い白を淡く照らす月光が目に刺さる。以蔵はと言えば、半裸の状態でなまえの股の間に割って入り、熱を帯びたそれを濡れる肉壁に押し当てた。滑り良く肉壁を掻き分けていく熱はなまえに挿入の快楽を齎した。ぞぞぞ、と体を震わせる程の刺激が引き金となり、二人は戯れることを忘れ、水音響く室内で遠慮も恥もなく互いの滾りをぶつけ合った。
 肌が弾ける音、揺れる乳房、乱れる髪、漏れる嬌声、じっとりと汗ばむ体。手を握るでもない、唇を重ねるでもない、ただ交わっているだけのこの時間が愛おしくて愛おしくて切ない。交わりにも果てがあり、その果ての先には何も残らない。関係が深くなることも、残りの人生を共に歩むことも、姓が変わることも無い。切なさをかき消す様に与えられる快楽に溺れた。女々しく鳴き、静かな男の熱を受け止め、乱れていく。

「……貴女はいつも、切なそうな顔をしていらっしゃる」
「まだ満たされていないだけです、」
「いいえ、貴女は本当に欲しいものが手に入らない時にそのような顔をされる」
「以蔵様には私の欲しいものがお分かりになるのでしょうか、」
「貴女は可哀想なお人だ」

 かく言う私も人の事は言えませんがね。後ろに流した髪がほつれて数本ばかり垂れている男の呟きに心が疼いた。人斬り以蔵と呼ばれるこの男の渇きや飢えをあまり知らない。こうして男女の関係に身を投じることはあれど、以蔵の欲しい物について訊ねることも勘繰ることもして来なかった。きっとそれは自分では用意出来ない、手の届かないものだからだ。しかし、たまにその先を考えようとしても、体にぶつけられる欲の熱に思考を掻き消され、次の瞬間には再び喘いでいる。
 互いに何が欲しいかを口にせず、ただ目の前にある肉体を貪り食うだけ。乳房を吸い、骨をなぞり、中を掻き乱し、喘ぎを聞き捨て、肌を蹂躙する。酷く欲情する、あやふやな関係であるからこそ。水気のある音はより一層静寂を蝕んでは男女の営みを意識させた。どんな理由があろうとも男は女を組み敷き、女は男の滾りを受け止め続けているのだ。そこに快楽が伴わない筈もなく、二人は感度を高めていくばかり。

「ならばいっそ、私の背に爪でも立てたらいい」
「以蔵様はかまわない、と?」
「それで貴女は満たされる。私のような人斬りに、自分の爪の跡さえ残せれば、貴女は満たされるのです」
「……つまらぬ戯れ言です。そのような情けでは私は満たされません」

 熱に犯されながらも凛とした瞳が鋭く光る。なまえにも譲れぬ何かがある。一晩の情けだけで事足りる程、自分は善人に出来ていない。なまえは知っていた、どんなに岡田以蔵という男に抱かれても決して隣には居られないのだと。それが酷く悔しく、悲しく、切なく、苦しく、歯がゆいということも。
 見切りをつけたような眼差しに以蔵は衝動を止められなかった。女の顔に引っ付いている諦めを剥がしたいと強く思ったのは初めてだった。深く、深く穿ち、咆哮する。力に任せて荒々しく肉に溺れていけば、間もなく終わりに導かれ、部屋はやがて静寂に包まれた。体の全てが心臓になったように重く脈を打つ。背筋を走る快楽に体は精を吐きながら震えた。白濁が汚すのは青白い女の腿で、深呼吸に腹部は沈んでは膨らみを繰り返している。女は先に意識を手放しており、独り善がりな最後を迎えた自分に嘲笑が溢れる。

「貴女には明日がある。私にはない、明日が」

 明日を許されているから、私は……。青白い月光の中で呟いていた息が止まる。意識を僅かばかり取り戻したなまえがこちらをキッと睨み付けている。その目には涙が浮かび、今にもこぼれ落ちてしまいそうだ。

「……私にだって約束された明日はありません。真に結ばれたい方との約束の明日すらない。こんな惨めなことがありましょうか」

 可哀想に。女が最後に呟いた言葉が全てだった。男は今まで泣くに泣けなかった女の心中を察し、女は今までその一端すら掴ませなかった男の無念を察す。女が男を引き寄せれば、奪い合うように唇を重ねた。男が女の肌を啄めば、切ない吐息が漏れた。名を呼べば、手持ち無沙汰の手にそれが絡まり、名を呼べば、互いの影のように一つになろうと肌と肌が触れ合うだけだった。
 これが人斬りの男と人斬りを慕う女の、報われぬ情事である。



| 薄情な背に爪を立てる |


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