背もたれに背中を預けて、なまえは目の前を真っ暗にさせた。口内を弄るもう一つの舌先に、瞼を閉ざしている。後頭部に添えられた手から、重なる影から逃げられない。いつもと様子が違うのは、どうやらなまえだけではなかった。

 焦燥した真島に連れて来られたのは、ガンダーラから一番近くにあるホテルだった。外観もお世辞には良いと言えない所で、今二人がいる部屋も所々粗末さが目に見える、そんな場所のそんな部屋に入ってすぐ、ソファーの上でこの有様だった。真島とこう言った場所へ来たことが無いわけじゃない。
 以前、ホテルを利用した時は、ここより小綺麗な所を選んでくれた。それなのになりふり構わず、一番近くにあったからと安易な理由で、ここを選んだ真島をいつも通りだとは思えなかったのだ。熱く二酸化炭素が二人の唇から溢れる、酸素はこうしている今もどんどんと失われていく。

 息苦しさに真島の背中へと腕を回せば、もう耐えられないとなまえはより深く背もたれに体を預けた。真島もそれに合わせて、なまえの膝の上に腰をやんわりと下ろし、貪る様な口付けを終わらせない。スーツを掴んだり、背中を軽く叩いたりしても、真島はそれをやめない。鼻呼吸も荒々しくなっているというのに、いつまでも強気な真島の姿になまえは遂にその腕を降ろしてしまった。
 しかし、それと同時に奪われ続けた酸素が補充され始めたのだ。激しさを伴わせ、重なっていたそれは離れ、唇をぬるりと光らせた。どちらのものか分からない唾液がぷつりと切れていく。それを片手で拭った真島は呼吸を整えようと、なまえを見つめては黙り込んだ。


「…真島、さん、」

 熱い眼差しが降る、生暖かな唇が我儘に真島を求めていたが、先に真島の唇がなまえ、と響かせた。なまえは瞬きを相槌とする、真島は静かにぽつぽつと話し始めた。

「なまえは言うたな…、俺が好き言うたら、あの子みたいになってもええ、て。」

 言葉なく頷く、ホンマにか、と問われても、なまえは返事を変えなかった。次を選んでいるせいか、真島は次を言い出せずにいる。しかし、真島の沈黙は長くは続かず、唇を弾く重い言葉に耳を傾けた。

「俺は阿呆や。自分の女に何も言わんと、勝手なことをしとる阿呆や。…せやけど、お前に無理させたらあかん思て、黙っとった。」

 不意に射抜かれた瞳の奥がじんわりと揺れた。その真剣な目に、なまえは見つめ返すことしか出来なかった。

「なまえもアレ見たら、もうわかるやろ。…俺が、お前を、」

 どうしたい思うとるか、本心が真島の声に乗って吐き出された。なまえは吐かれた本心の欠片に、深く胸を刺される。
 自然と脳裏に例の彼女がはしたなく喘ぐ映像が映し出され、真島もなまえと同じように自己投影をしていたのだと知った。店内でも感じた見えない波が再び押し寄せた、真島に愛でられた肉の記憶が牙を剥く。


「真島さん、」
「なまえ、」


 俺はもう、今日限りで『我慢』すんのやめるで。その言葉を最後に、真島は自身が着込んでいたスーツを脱ぎ始めた。手際良く床に落とされていく服を、次第に薄くなっていく真島の姿を、そして今度は、となまえに回された手の意味を黙って見つめていた。
 急かすような手つきは、なまえの服を多少荒々しく取り去っていく。体の全てがふっくらとした柔らかな彼女の肌が目の前にあるのだ、『我慢』をやめると言った男にはあまりにも目の毒だった。

 加虐的な目をしている、きっと被虐的な目をしている。脱ぎ捨てた服をその場に置き去りにして、真島はなまえをソファーの前に立たせた。なまえと入れ替わりで一人腰掛け、なまえを粗末な部屋の床に、自分の足の間に座らせる。

「なまえもあのビデオ、途中まで見たやろ?…せやから、俺が今やりたいことわかっとるな、」

 ただ頷いたなまえの目と意思疎通を図れば、彼女もその答えを導き出していて、邪魔にならないよう、髪を耳にかけた。しかし、なまえは不安そうな面持ちで、意図的に見せられている強引な真島自身を見つめていた。踏ん切りのつかないなまえに、真島は後押しとして彼女の後頭部に手を回し、ぐいっと顔を前に寄せれば、柔らかく色素の薄いそれが真島のものに触れる。

 もう俺は我慢せんでええんやろ?と促せば、ここでようやくなまえは熱に手を添え、再び唇を寄せた。まだ恥じらいは捨てられそうにない、当然だ。真島はなまえに無茶をさせたことは無い、純愛を語るに相応しいほど優しい夜だけを重ねてきたのだから。困惑したまま、熱に口付けをするなまえは、真島にこれから先を教えて欲しいと言った目で見上げた。彼女は懇願している、真島はそれをまだ教えるつもりはない。

「ビデオのお姉ちゃんはどないしとったんや。試しにやってみたらええ、」

 恥じらいに睫毛が揺れた後、なまえは唇の隙間から熱く湿った舌を出し、滾る欲にそれを這わせた。ゾクゾクと強い快感の波が真島の体に走る、思考回路が焼け切れてしまいそうだ。
 吸い付き、口付けをし、舌を這わせる事に慣れてきたなまえは、躊躇いながらもようやく先端を口に含めた。呻くような声が漏れた、なまえは熱を口にしたまま、真島を見つめる。そこには今まで見たことの無いくらいに、快楽に顔を歪ませている真島がいた。

 虚ろそうに映る瞳、眉間に深く皺が刻み込まれ、口元は何かを堪えるように歯を食いしばっている。なまえは見様見真似で、頭を前後に動かした。口内の硬い熱を濡れそぼった肉で扱いては、切ない声が聞こえる。その声が堪らない、なまえは自分がこうすることで、真島が快楽に呑まれそうになっているのが嬉しかった。それと同時にとても興奮していた、口内に閉じ込めたこれが欲しい。


 暫く真島の切なげな声が響いた後、真島は忙しなく再びなまえの後頭部に両手を回すと、なまえの意思関係なく無理矢理にスライドさせた。ずっとそれを咥えている内に顎への疲労を感じてはいたが、多少の余裕のようなものがあった。しかし、なまえからそれを取り上げ、真島は自分の絶頂へと近付いて行ったのだ。
 苦しい、喉奥までそれが突いてくる、何度も短い間隔で、控えめだった水音もうるさくなっていく。それに何より、この粗末に扱われているような行為に、なまえは酷く欲情した。決して、そんな趣味ではないと言いたいが、性欲処理に宛てがわれると言うのはこういう事なのだろうと知った。まるで一時の感情で精を貪る道具のようだと。なまえは苦悶の表情を浮かべながら、真島のものを扱き続ける。

 それから間もなく、真島の欲は吐き出された。生暖かく舌に絡む、数回に分けて吐き出されるそれを口いっぱいに受け止める。硬い熱は何度も小刻みに跳ね、 吐精が終わるその時をただ待っていた。不慣れで頼りない口唇から白濁が溢れ、それを止めようと跳ねる熱を咥えながら無意識に啜れば、今は堪忍や、頼む、と快楽に震える真島の声が降って来た。
 意図せずとは言え、自分のとった行動になけなしの羞恥心を焦がした。これじゃあ、まるで自ら精に欲張りになっているように感じられて、なまえは羞恥に耐えられず、強く目を閉じた。口内を犯す肉と精が、思考を飢えさせ、体を蒸し、熟れさせる。止まぬ余韻を連れたまま、真島はようやくなまえの中からそれを引き抜いた。

 荒い呼吸を挟みながら、なまえに声を掛けた。その口の中のものをどうしたいのかと、確かに真島自身はもう我慢をしないと言いはしたが、なまえにそこまで無理をさせるつもりは毛頭ない。んん、と口元に手を添え、二度呼吸をしたところで、真島はそれを目にする。喉元が上下に動く瞬間を、彼女が、んん、としか口に出来ない理由を。静寂の中で小さく聞こえた声と、添えられた手の隙間から見える開かれた口に、真島はなまえの行為を察する。


「なまえ、お前…、」

 お水、…飲んできますね、と言い残し、すっかり空っぽになった口内を隠すように、なまえはシャワールームの方へと行ってしまった。吸っては吐いてを繰り返す度に膨らむ腹部のその先、控えめになっていた欲が再び熱くなるのを感じた。



 冷たい飛沫がなまえの手のひらを濡らした。両手でそれを掬い、冷ややかなそれを飲み干す。口の端から垂れた白濁を拭い、勢いの変わらない水流に流し込んだ。正面に飾られた鏡の中の自分はまだ情欲に塗れていて、物欲しそうな顔をしている。
 なんて顔をしているのだろう、と後ろめたさを覗かせ、でも、これで真島さんが喜んでくれるなら、と魔法の言葉を取り出す。一人鏡の前で考え事のように、その呪文を唱えていると、不意にその四角に真島の姿が映り、驚きを隠すことなく振り返った。ぼんやりとした瞳でこちらを見つめ、真島はなまえと距離を縮めて行く。


「ど、どうしました…?」
「…嫌やないんか、」

 え、と言葉を詰まらせたなまえの顎に手を添え、空いた手の指先を無防備な唇に滑り込ませた。柔らかな肉を広げるように真島の骨張った指は、なまえの口内をさらけ出す。なまえは驚き、口を閉ざそうとしたが、真島の指がそれを許さなかった。本来の肉の色をした口内に、真島が吐き出した精はない。あるのは唾液に生々しく濡れる舌と、歯並びの良い白が上下にあるだけだった。
 凝視する真島になまえは、辱めを受けているような感覚に陥っていた。自分でさえ羞恥を抱く行為をした後に、精を受け止め、飲み込んだ口内を本人の前でさらけ出すなど、なまえには耐え難い行為だった。しかし、意外にもその指先はあまり長居をせず、なまえの口元から離れていく。

 うっすらと目尻に涙が浮かんでいる、なまえの瞳が滲んでいる。それすらも構わないと、今度は自分のものを咥えさせたなまえの唇に真島は同じものを重ねた。真島となまえの体が遂に触れ合い、下腹部に起立する熱を感じていた。
 白濁を受け止めた筈の口内に、当たり前に侵入してくる真島の舌になまえは抵抗に身を捩らせ、二人の体の間に腕を挟み込む。それでも真島は貪るのを止めず、なまえは抵抗し切れないまま、口内を違う熱に犯された。

 与えられる熱に溺れてしまいそうになる感覚がする。なまえは真島の為に、彼女のようになりたかった。しかし、その目的は次第に変わっていき、なまえの世界を一瞬にして狂わせるほどの快楽の為に、とそこにあるべき筈の真島の姿を見つけられなくなってしまった。それが堪らなく嫌で、でも抗う術は無く、真島は今こうして舌を交わらせている。深い束縛が切れてしまえば、そこに複雑な事ばかりを考えるような頭は無かった。体の奥が酷く疼く、何とかしなければと深呼吸をする。


「抱いたる、」

 先手を打ったのは真島だった。低い声が響く、なまえはその飾らない本能剥き出しの言葉に、小さく頷けば。再び唇は奪われた、下腹部に迫る熱が愛おしい、ぐちゃぐちゃのどろどろに溶かして欲しいと思った、大人になれなかった蛹のように。
 何も身にまとっていない素肌を弄る真島の荒々しい手付きに、陰部が濡れる。このような場所ではこっちの方が良いだろうと、なまえを洗面台側に振り向かせ、そのまませっかちに硬くなった欲を、暖かく湿る陰部に挿入し、なまえは直接的な快楽に体の芯を熱くさせた。

 背後から陰部の肉壁を真島自身で広げられ、奥まで貫かれる刺激になまえの足元は頼りなく震え、洗面台に前のめりに体を預けていた。真島も、先程のものとは比べ物にならないくらいの熱に包まれ、一度果てたという事もあり、二度目の快楽は恐ろしいほど、敏感で弱い部分を刺激する。
 そこから始まるのは、何度も繰り返される単調なピストンだけだった。淫猥に水音は鳴り、肉が打ち付けられた時の弾けるような音も聞こえ、なまえの喘ぎも、時折苦く吐き出される真島の切なげな声も、行為が終わるまで響き続けた。

 嫌やないんか、と問い掛けた真島の言葉を忘れられなかった。なまえも同様にそう質問してみたいと思ったからだ。目的を忘れて不純な気持ちを抱いている自分を、真島に問い掛けてみたかった。


「考え事かいな、…余裕があるっちゅうことか、」
「そういう、訳じゃ…、」
「なら、何を考えとったんや、」

 大小二つの体が重なる、なまえの耳元に真島の口元があった。ふと逃げた視線の先にある鏡には、いつも綺麗に纏められている髪型が崩れ、髪の乱れた真島がいた。細い毛束が数本、その顔を遮っている。なにを、と一先ず問えば、真島は吐息混じりに答えた。

「さっきしてたことや、…抵抗なかったんか、」

 不意に口の中にあの生々しい苦味が広がる。喉を素直に通っていかない、あの暖かなものを思い浮かべれば、次の言葉が出て来なかった。

「はっきり言わな、俺は…、」

 ずっと勘違いしたまんまや、と切なさを口にした。体の動きは止まり、重なるように密着しているだけだった。なまえはその言葉通りにならないように、乱れる呼吸の合間に素直を告げる。

「嫌じゃないです、…わたし、真島さんにどんなことをされても。」

 真島が微かに驚いたような気がする。悩ましげなくぐもった声が耳元で聞こえてきた。

「あの、わたし、恥ずかしいですけど、」

 私は真島さんの『好き』に、なりたい、です。面と向かって口に出来なかった言葉が、なまえのか細い声のまま、流しに消えて行く。真島の独り善がりな欲望の靄が晴れたような瞬間だった。不純な時間を重ねている今、なまえという女の真意にようやく気付いたのだ。たったその一言で、真島が自己満足の為に繰り返していた、あの一連の行為が灰になる。

「…なので、わたしでいいなら、また、」
「いや、お前じゃなきゃあかん、あかんのや。」

 なまえがその先をなんて繋げようとしていたのかは、真島には分からない。しかし、これだけは言っておかねばならないと真島は力強さを、なまえが決して勘違いしてしまわぬように言葉にする。躊躇いが不意にやって来た、それはなまえの元へ。

「でも、…真島さんの為にって、思っていたのに、」

 おかしいんです、となまえは呪われたように話し始めた。求められるままにそれに応えれば、次第に感情も体も快楽にしがみついているようだと、そこでは真島の姿が曇って見えなくなってしまうと。自分が自分の為に乱れていくのが切なく、どこか満たされない。真島はなまえの視界が滲んでぼやけて行くのに気付けなかった。


「何もおかしい事なんかあらへん。なまえが抱えとるのは、ついさっきまでの俺が抱えとったのと同じもんや。」

「綺麗事なんぞ後でええ、」

 再び動き始めた体の動きに、なまえは深く呪いにかけられる。足りないと言うのなら、溢れかえる程に満たしてやればいいと、真島は綺麗なままの首筋に口付けを落とす。感情に素直になった口元から喘ぎが出ていく、それを止めるような理性も恥じらいも、既にない。


「…今は阿呆ほど乱れたらええんや、俺はもう我慢せぇへん言うたやろ、」

 せやから、なァ、なまえ、と快楽に犯されているなまえの耳に囁く。なんにも考えんと阿呆になってみぃ、と崩壊寸前の片想いにトドメを刺した。じわりじわりと陰部から溢れる熱、不自然に力んでいく体、悶える後ろ姿を全て感じながら、なまえが体を大きく震わせるまで腰を止めなかった。大きく跳ねている体を、背後から絡み付くように抱き締めながら、二度目の快楽の扉を叩いたのは真島だった。
 びくびくと震えている体を腕で、体で、欲で拘束したまま、首筋に歯を立て、優しく噛み付きながら、真島は酷く柔らかなそこに精を吐いた。熱に意識を塗りつぶされていくのを感じながら、真島もなまえもただ静寂に口を塞がれていた。



***



 全ての手間が片付いたところで、二人は粗末なベッドに体を預けていた。ちぐはぐだった感情の吐露は二人を初心にさせる程、絶大な効果をもたらしたらしい。先にベッドを下りたのは真島だった。床に散らばる服を手に取り、なまえの分はベッドへと置き、自分の分は適当に腕に掛けて拾い続けている。
 真島がスーツのジャケットを手にした時だった、ポケットの所から何かが落ちる。なまえはそれに先に気付き、ベッドの端からそれを拾い上げると、真島は不意に、あ、と漏らす。その声に、手にしたものへと目線をやれば、なまえが手にしていた物の正体が見えた。

 それは水色の四角いパッケージ、表には大きな蝶の模様に、『薄い』だとか、『艶』だとか何とか書かれている。つまり、なまえが今手にしているのは、箱売り未開封の避妊具だった。気まずい沈黙が流れる、特に真島はその気まずさに弱い所や痛い所を滅多刺しにされ、生きた心地がしない。


「…あの、真島さん、」
「…な、なんや、」
「これ、…いつか、空っぽにしましょうね。」

 一体どういう意味でなまえがそう言っているのかは分からなかったが、その発言のせいで、真島は自身の胸に新たな欲望が渦巻き始めるのを感じていた。一線を越えずに踏み止まるより、一線を越えてしまった後の方が、実は恐ろしいのだと理解した瞬間だった。
 そして、兎にも角にも素直が一番なのだと痛感し、やはりこの女こそが真島の『好き』の形をした女なのだと、改めて思い知らされた瞬間でもあった。



| "好き"を問えば、"きみ"である証明を。 |


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