自分勝手な弟分気取りの奴らが、何を思ったのか偶然見かけただけの女を取り囲んでいた。人気のない裏路地で、抵抗の出来なさそうな弱い立場の女を、良からぬ言葉を並べ、悪戯に恐怖を煽り、こちら側へ落ちるのを今か今かと待っている。

 堂島大吾は何とも思わなかった。そんな光景はここでは日常茶飯事だ。ギラギラと目を潰すように輝くネオンに塗れ、眠ることを知らず、随分昔に星の見えなくなった夜空を喰うこの街では、力のない者は生きていけない。例え生きる目標や支えが無くとも、力さえあればどうにか、何とかなってしまう、そんな街だ。

 自分がそこまで有力者かと言われれば、そうでも無い。時には彼女のような弱者を餌にすることもあれば、理不尽に怒りの矛先を向けてくる輩を痛め付けることもある。ただ腕っ節が強く、人を殴る才能があった、それだけのことだった。

「兄貴!」

 未だに女を落とせない自称弟分の一人が大吾に声を掛けた。口を開かずとも、男達は勝手に話を始める。せっかちであると同時に、浮かれているのが明らかだった。
 大吾のその圧倒的な腕っ節の強さと、人を惹き付けるカリスマ性のようなものに心酔し、近くに居ることで、自分達が安全な場所に居るのだと勘違いをしている。


「あの女、どうです?結構良い女だと思うんですが、」

 兄貴好みなら…、と続ける男の口は饒舌だ。手馴れたご機嫌取りに、大吾の感情は揺さぶられない。何も面白くはない、毎夜毎夜神室町を徘徊し、浴びるように酒を飲み、どんなに女を侍らかし、誰の稼いだ金か分からないそれをどれだけ溶かそうとも。
 何も響かない。この男がどんなに良い女を自分に宛がおうとしていても、それはただの余計なお世話と言うものだ。お節介が目に余る、殴り付けてもいい、しかし、それもまた面倒事の一つだった。


「わかった、その女は俺が貰ってく。」

 お前らは帰れ、と手短に用件を伝えれば、物分かりだけは良い男達は下世話な一言を残して、大通りに散って行った。裏路地の壁際まで追い詰められた女は、先程の男達を見るような目で大吾を見た。

 当然だ、男達は大吾を兄貴と呼び、その男達は大吾の言葉に従ったのだ。たったこれだけで、大吾と男達の関係が明白になる。女は大吾も同じような人間であると思い込んでいる、あながち間違ってはいない。怯えた目で瞬きだけ繰り返す女に近付くこと無く、その場で声を掛けた。


「なぁ、アンタ。アンタもツイてねぇな、」

 返事は無い。口は真一文字に結ばれたまま、沈黙が返事代わりだった。

「俺もアンタと似たようなモンだ、」

 怯えた目をした女が表情を変える、意味が分からないと顔の近くに疑問符を置いた。大吾はその沈黙に答えるつもりは無かった、しかし、だからと言って、ここで世間話をするほど暇でも無い。

「来いよ、こんな所に居てもいい事なんかねぇ。」
「ついて行ったら、どうなるんですか、」

 初めて、その女が沈黙以外で言葉を口にした。少し震えているその声で、自分の身の安全を確保しようとしている。

「別に何もねぇさ、」
「でも、さっきの人達は、」
「俺も同じに見えるか、」
「だって、あなたがあの人達をけしかけたんじゃないんですか、」

 違う、と言ってもアンタ、信じねぇだろ。深い意味は無い言葉だった、例えどんなに鋭利で、自分を粗末に扱うような言い回しでも。しかし、女の方はその大吾の言葉に、何かを感じ取ったのだろう。攻撃的な物言いを止め、ごめんなさい、と言い放った。

「…違うんですね、」
「都合のいい頭してんだな、」
「だって、あなたは、私のことを無理に連れて行こうとしないじゃないですか、」
「興味がねぇだけだよ、アンタに。」

 女の自尊心を傷付けるには、十分なくらい残酷な言葉選びだと後から気付いた。妙な言いがかりも、文句も、今ここで泣き喚いて、暴言を一方的に投げ付けるだけ投げて、この女がどこかへ行ってくれれば、それで良かった。しかし、大吾の期待と予想は大いに外れる。『ツイてない』、大吾の言葉通りの結果になった。

「そう、ですか。それなら、よかったです。」

 女は泣きもせず、喚きもせず、おまけに暴言を吐きすらしない。どこかへ行くのとは反対に大吾の元へと歩み寄り、行きましょう、と発した。面倒事が少し長引いたと大吾は表情に出さないまま、女の歩く速度も知らんと言った足取りで歩き出した。

 妙な女を引っ掛けちまった、と誰かの失敗を被ったような気分だった。一人になれないもどかしさに苛立つことも、八つ当たりをすることも、癇癪を起こすことも無い。今夜は『ツイてなかった』。気紛れな運に全てを押し付け、そう唱えるだけで大吾は冷静でいられた。運だけは誰も支配出来ない、どれだけ力を持った人間でさえ、その運に殺されることもあるのだ。嫌と言う程、その考えについては納得し、理解していた。
 酷く騒がしい神室町の喧騒の中で、大吾とその女の間にだけは深まる夜の静寂が漂っていた。



***



 七福通り西を歩いていた大吾は、児童公園が視界に入り、行く宛の無かったこの足に目的地を設けた。あの女は未だ律儀に大吾の後ろ姿を追い、大吾が児童公園に入れば同じように公園内へと入っていった。
 座り心地の悪そうなベンチに腰掛けると、女も少し遅れてから大吾の隣に腰掛けた。二人の視線はすれ違わず、上か下か、左か右か、そのいずれかに逃げている。

 自動販売機の白い光、暗闇に似合わない遊具、不衛生に見える公衆トイレ、二人が腰掛けている硬くて粗末なベンチ。どこにもいやらしく光るネオンはない、どこにもいやらしく香るホテルの一室はない。女は大きく息を吐いた、吐息は白く、ぼやけてほろほろと崩れていく。

「本当に何もしないんですね、」

 安心しました、と今まで固まっていた表情を柔らかにした女の、ふっくらとした頬肉に、女が微笑んでいるのだと知る。

「じゃあ、今から身ぐるみ剥いでやろうか、」

 俺は別にどこだって構わねぇ、とその一言に、今にも取れてしまいそうな微笑みを貼り付けたままの女を見た。硬直した顔に恐怖の色が見える、きっと女は内心焦っているのだろう。軽く鼻で笑えば、思ったより面白かったようで、大吾は一人で笑っている。

「言っただろ、アンタには何もしねぇし、興味もねぇってな、」
「本気か冗談か、わからないです…、」
「アンタ、正直焦ってたろ。さっきの顔、面白かったよ、」

 まるで鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔をしていた。女は知らないだろう、大吾だけしか見えなかったその顔が、この神室町では中々見られないものだと。
 感情のままに変化していくそれを、ここの住人達を含め、自分もどこかに置き去りにして、今この街にいる。女は怒りもせず、じっと大吾を見つめていた。その視線は不安定で、はっきりしない、ぼやけたようなもので、大吾は緩んでいた口元をきつく結び直す。


「…なんだよ、急に黙り込んで人の顔をジロジロと、」
「あの、…ごめんなさい、」
「謝ることねぇよ。アンタをからかって、勝手に楽しんでるのは俺だからな、」
「お兄さんもあんな風に笑うんですね。あまりにも楽しそうだから、意外だなって。」

 女の、なまえの言葉に大吾は言葉を詰まらせた。自分の心情を汲み取るような発言をするなまえに、大吾は密かに面食らっていたのだ。言葉を濁したまま、大吾はベンチから立ち上がると、自動販売機の方へと歩いていく。
 レザーパンツのポケットから財布を取り出し、適当な枚数の硬貨を投入口に飲ませ、赤くランプのついたボタンの群れから二つを選んだ。身を屈め、取り出し口に手を伸ばせば、その手には缶コーヒーとペットボトルのお茶が握られていた。


「付き合わせて悪かったな、」

 再びベンチに腰掛け、待ちぼうけの女に温かなペットボトルを手渡す。女はそれを拒むこと無く、ありがとうと一言添えて受け取った。仄かな温かさに女は、あったかい、と呟く。

「…それ飲んだらタクシー乗って帰れよ、」

 口の開いた熱い缶コーヒーを胃に流し込む、後味は勿論深く苦い。女は未だに両手で包み込むようにペットボトルから手が離せずにいたが、返事を渋らずに女は頷いた。そして、ペットボトルのキャップを回し、湯気が漂う飲み口に触れる。小さく動く喉元につられて、大吾もコーヒーを一口飲んだ。不意にまた苦味が深まったような気がする、気紛れな味がするコーヒーだ。

「もう二度と会いたくないですね、」
「そうだな、」
「じゃあ、最後にお名前教えて下さい。」
「なんでだよ、」
「もう会えなくなるからです、」
「やめとけ、俺はただのゴロツキだ、」

 私はみょうじなまえです、と女は先に名乗った。

「聞いてねぇよ、」
「温かいお茶を飲んだら、不思議とそんな気持ちになっちゃって。何なら忘れてください。」
「そこまで器用なこと出来るかよ、」

 私は出来ます。…お兄さんのお名前は?その女が、なまえが不敵な笑みを浮かべるものだから、魔が差したのだ。残り少ない缶コーヒーを飲み干す寸前、大吾は自分に与えられた四文字を呟いた。
 その瞬間、夜風が二人の間を、その声を、四文字を遮った。なまえは慌てて大吾に近付き、もう一度教えて下さいと告げる。苦味の残る口元が微かに緩んだような気がしたが、なまえはそれに気付かないまま、もう一度と何度も唱え続ける。


「馬鹿、もう言わねぇよ。」

 手元には空っぽになった空き缶が一つ。なまえの手元にはまだたっぷりと中身が残っているペットボトルが一つ。先程の自分がとても面倒な言い回しをしてしまった事に今気付いた大吾は、彼女のペットボトルの中身を見て、こっそりと溜め息を吐いた。

 時間稼ぎをさせているのは自分であると気付く頃には、なまえの瞳に光る何かを見つけてしまい、大吾を悩ませた。今日はとことん、『ツイていない』のだから諦めてしまえと、夜風に吹かれた溜め息がぼろぼろと崩れて行った。



| つきのない、よる |


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