真島吾朗の飼っている猫には気をつけろ。東城会のヤクザの中で特に真島の女には決して手を出してはいけない。実際にちょっかいをかけた人間が数週間前から行方不明になっている。などと馬鹿馬鹿しい噂話を小耳に挟んだところで、ようやく理解した。自分の顔や情報はある程度知られていて、面白半分に声を掛けられているのだと。神室町でのナンパなど今更取り上げるような問題ではないが、ここ最近の頻度からして恐らくその噂話が一枚噛んでいるのかもしれない。簡単に言えば、肝試し、みたいなことなのだろう。無人の墓地を真夜中に彷徨い歩き、自分がいかに勇気ある挑戦者なのかをアピールする、そんな子供じみた遊び。正直、飽き飽きしていた。街を歩く度に必ず声を掛けられるのはこのせいだったのだ。噂の出処に怒りを隠せないが、こんな無責任に広まった噂はもう消せないのだろう。

「なァ、なまえちゃん。この間、まァた神室町でアホに絡まれたらしいなァ?」

 真島の何気ない問いかけになまえはため息混じりに答える。ええ、そうです。と口にしてみればいかに自分がうんざりしているのかが見えた。これは多分、きっと真島にも感じ取られたことだろう。

「ホンマにアホなヤツっちゅうんは居なくならんモンやのぉ、」
「でも、組の方が追い払ってくれるので、とても助かってます。絡まれた後も気を使ってくれて、」
「ほぉ〜……、あのウチのモンがなァ、」
「それでも街を歩く度に声を掛けられて絡まれるのはちょっと。毎回、組員さんに対処してもらうのも悪いですし、」
「可哀想になァ。なまえちゃんがこない嫌な思いしとるっちゅうのに、街のアホ共はなぁんにも考えんとなまえちゃんに絡んでばっかりや」

 どないしたろか、と物騒なセリフを口に、真島はなまえの隣に腰掛けた。ここは真島組事務所、真島組長の部屋である。隣の蛇は目を光らせている、怪しげに。先程のセリフをより物騒にさせるほど、無口な口元のままで。肌に馴染むパイソンは艶やかな光沢を放ち、胸元から見える刺青には無条件で恐れを抱く。

「なまえちゃんは海と山、どっちがええ?」
「どっちがええ?って……、どっちが好きかってことですか?」
「せや。海と山、どっちや、」

 もしかしたら、真島は自分を気遣ってくれているのではないかと思った。海と山、どっちが好きかと聞く心情には、自分に対する不安や心配が作用しているのかもしれない。真島吾朗は優しい男だ。過剰に猫可愛がりをするところを除けば噂通りの恐ろしいヤクザなのだが、なまえは真島の猫可愛がりに慣れているせいか、恐怖よりも秘めた優しさを感じることが多い。また真島の優しさに触れ、海です。海が好きです。と答えれば、真島は満足そうに口元を歪めて、覚えといたるわ。と笑った。


***


「今度なァ、俺の女と海行こ思うてんねん。どや、ええやろ?白い砂浜、青い海、えっぐい程のビキニや〜!考えただけでも……たまらんなァ〜!」

 月の明かりさえ届かぬそこは木々に覆われた山の中であった。葉は風に揺れ、その影は蠢く暗闇と化す。後ろ姿は獰猛な蛇、正面には麻縄で身動きが取れないように縛られた芋虫達が寝転がっている。蛇の牙はまだ抜かれていない、代わりにあったのはボコボコに凹んだ形の悪い歪な金属バット。横たわる芋虫達は嗚咽が止められず、辺りに飛び散った血が蛇と芋虫達の間で何があったのかを物語っている。

「あの子はなァ……、気丈なフリをしてるだけや。可哀想や思うやろ?俺に心配かけんと我慢しとるんや、健気な子やで、ホンマに」

 な?お前らもそう思うやろ?なァ?と蛇は芋虫達の顔を覗き込んでは共感を促した。芋虫達は蛇を恐れ、一切否定をせず、首を縦に振るばかり。その態度に気を良くした蛇は、なんやお前ら。話が分かるやないか。と笑顔を見せる。その笑顔に気が緩んだのか何人かは同様に口元に笑みを浮かべた。蛇に同調するつもりだったのだろう、そうしておけばいいのだと思ったのだろう。

「あ?お前ら、何笑っとんねん」

 蛇から笑みが消えた。口元は無愛想に閉ざされ、隻眼は鋭く睨みつけてくる。生きた心地がしない、辺りの空気感も凍てついてしまったように冷ややかに感じられた。終わる、何かが終わる、そんな気がして。

「……誰が笑え言うたんや。アァ?何がそないにおもろいねん、アァ?!」

 突如、逆上した蛇は手にしていたバットを投げ捨て、懐から遂に『牙』を取り出した。遠くの方で投げ捨てられたバットの金属音が暗闇に響く。剥かれた牙は芋虫達の真横にあり、すぐ目の前を、地面を突き刺す牙は鈍色。その牙が鋭利に光れば光るほど芋虫達の恐怖心は怯えとなって口から漏れ出ていく。

「ちょっとしたお遊びのつもりでこないな目に遭うてたら、長生き出来ひんでぇ?」

 ヤクザのイロにちょっかい出すっちゅうんはこういうことや。よう覚えとけや、このボケが。と地に突き刺さったままの牙を抜き取る。その行動に安堵してしまったのが良くなかった。蛇は牙を抜いても尚、芋虫を睨み続けていたのだ。安堵した事実が蛇の逆鱗に触れる。蛇は自分の近くに居た一匹の腹部を爪先の尖った靴で蹴り、悶え苦しむ暇も与えないまま、前髪を掴んでは顔を無理に持ち上げ、抜き身の得物を無用心な首筋にあてがった。少しずつ刃先を肌に押し付け、皮膚が切れるか切れないかのぎりぎりの所まで沈ませていく。決して動いてはならないということだけがこの場における制約だ。誰も何も言えない状況で蛇は未だ寝転がる芋虫達を逃がしはしなかった。小さな蠢きを覆い隠すかのように生い茂った木々の枝先は夜風に揺れている。


***


 流れていく景色が街並みから素っ気ないコンクリートの壁に変わっていけば、本格的に遊びに行くのだと実感し始める。波の音、辺り一面に広がる砂浜がやけに恋しくなるのは、これから真島と共に約束していた海に行くからなのだろう。浮かれた気分で乗り込んだのは真島組組員の運転する車だ。お世辞にも海に似合うような車ではないが、後部座席に収まっている真島の横顔を見ていると、そんな見てくれはどうでもよくなった。恐らく、だが、今日の真島は機嫌が良い。しかし、その理由は分からない。

「楽しみやなァ、なまえちゃんのビキニ姿」
「真島さんは……、一緒に海には入れませんよね」
「堪忍や、なまえちゃん」
「いえ、こうして海に連れてってくれるだけでも私は嬉しいです。真島さんと一緒なら私はどこでも、」

 二人の優しさが通う会話を遮ったのは車内に流れるラジオ放送だった。先程まで聞こえていた歌はいつの間にか終わっており、この時間帯はニュースが流れるようだ。

「昨夜、神室町郊外の山中で数週間行方不明になっていたとされる男性三人が発見されました。警察は身元確認の結果……」

 行方不明者のニュースに少しだけ気を取られたものの、そこまで深くは気にならなかった。何故ならもうその三人は発見されたのだ。安心すべきことなのだが、数週間も行方不明だとか、山中で男性三人が発見されたとか、そのニュースの内容を聞いていると何故だか不安に襲われる。胸の辺りがざわざわするような恐ろしさを感じていた。アナウンサーが淡々と原稿を読み上げているのも何となく不気味に感じてしまう。

「……男性三人が発見ですって、しかも山の中で。怖い話ですね」
「せやなァ、ま、でも見つかったんならよかったやないか」
「そうですね。ごめんなさい、折角の楽しい気分を壊してしまって」
「ええ、ええ。そないなこと気にせんと、なまえちゃんは好きにしとってええんや。話したいことがあれば話せばええ、行きたいとこがあんなら行けばええ。気ィ使っとってもつまらんやろ」

 真島の言い分に恐怖が和らいでいく。その言葉が胸のざわめきに効く頃にはなまえも不穏なニュースの続報を聞き流していた。相変わらず窓の外のグレー一色の景色は変わらない、時折背の高い道路案内標識が知らぬ間に近付いて通り過ぎて行くだけだ。さほど気にするようなものではなかったのだが、とある一つの案内標識が気になった。青い背景に白文字で記載されている地名を見て思い出す。あの白文字はついさっき耳にしたニュースの男性三人が発見されたとされる山がある地域だ。

「なんや、丁度ここら辺やないか。さっきのニュースが言うてたんは、」
「ええ、そうみたいですね」
「ホンマに何が起こるかわからんもんやなァ、」
「え?」
「なまえちゃんもまたどこぞの阿呆に絡まれたら、ちゃんと教えてな」

 何が起こるかわからん世の中やからな。用心せんと。真島のいつものにやけた表情に一瞬だけ胸がざわついた。不穏なニュースを聞いていた時と同じ嫌なざわつきだ。しかし、真島が自分の身を案じているのは前からだ。きっとこんなニュースを聞いてしまったから、少し過剰に反応する自分がいるのかもしれない。一呼吸置けば、ざわつきはおとなしくなっていく。今度こそ不穏な影を払うようにしっかりと頷いた。真島も満足そうに笑う。やけに嬉しそうなその笑みにより深くシートに腰掛けた。今日はいつもより積極的になる予定だ、水着とかそういう目に見えるものではなくて、もっと積極的に自分の気持ちを言葉にして伝えようと思う。何かと自分を心配してくれる真島の為に。これが自分に出来る感謝の方法だ。

「ありがとうございます、真島さん」
「あ?なんや、急に?そない改まって」
「今日はそういう日なんです。いつも私が真島さんに心配をかけてしまうから、今日は、その、」

 そこまで言ったところで、何かがぎゅっと鳴る音が聞こえた。革が擦れるような音は真島の方から聞こえてきた。真島も深く座席に座ったのだろうか、それとも偶然的にジャケットや革手袋が擦れてしまったのだろうか。その答えは、真島を一目見れば聞かずとも分かった。蛇がこちらに身を乗り出して見つめている。ぐっと近くなった距離に心臓が跳ねる。本当に今日は機嫌が良いのだろう、いや、良すぎるほどだ。

「海にしといて正解や、さっきから楽しみでしゃあないわ」
「今日の真島さんは何かと嬉しそうに見えます」
「わかるか?せや、今日の為に面倒な仕事は全部片付けたからのぉ、俺もウキウキしとんねん」

 ウキウキとあまり似合わない言葉に吹くように笑い出せば、あ?何がおもろいねん!と凄んで来たが、なまえにとってはただのじゃれ合いでしかなく、真島もそうだと言うように口角を持ち上げた。
 なまえが知ることのない事実は二つある。真島が上機嫌である理由と不穏なニュースが伝えたかった真実。男は三人とも山中で『発見』された。あの夜、その山にいたのはパイソンジャケットを着た────。



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