真島吾朗と喧嘩をする 暗いものを宿している。とある疑惑に一途な心が頼りなく揺れていた。始まりは夜の神室町で真島の姿を見つけたことから、その日なまえは偶然にも真島を目撃する。
真島を目撃した場所はピンク通り南にあるキャバクラ、シャイン。最初は何かの見間違えだと思っていたのだが、この神室町でパイソンジャケットを身に着ける人間と言えば、彼以外に居ないのが現状だ。つまり、唯一無二のパイソンジャケットは、キャバクラに入っていく例の男を真島吾朗本人であると裏付ける決定的な証拠になった。
戸惑い、困惑、衝撃、その一瞬、たった一瞬でたくさんの感情が入り乱れ、なまえの中の何かに傷がつく。傷をつけられたのと同時に、煌びやかな店の看板にめらっと燃える感情を覚えた。俗に言うところの嫉妬と言う感情だ。不意に心の隅で燻っていたそれが小さく、次第に大きく燃え上がった。焦げる匂いと紙切れのような心が灰になっていくのもお構い無しに、酸素を大いに取り込み、真島の取った理解不能な行動に怒りを燃やしていく。何度も繰り返される自問自答、疑問と不明の嵐になまえは優しい感情を投げ捨て、真島との微妙な距離感を保つ日々が始まった。
「なァ、最近様子がおかしいんとちゃうか、」
真島は飄々と言ってのけた。なまえはその言葉に収まり始めていた炎が大きく揺れるのを感じ、自分はつくづく賢い人間ではないのだと痛感させられる。なんて返せばいいのか、いつもなら上手く躱せる筈の言葉なのに、一々何かに引っかかってしまい、余計なことまで口走ってしまいそうになる。
「…何がですか?」
「何がって最近のなまえのことやないか。」
「私、そんなに変なことしてますか、」
「せや。変っちゅうか、明らかに俺を避けとる節があんねん。」
自覚、しとるやろ?とこんな時に限って真島は酷く真面目な顔をする。人を見る目がある男だとなまえは知っていた。様々な欲望渦巻く極道社会で長いこと生きてきた人間だ、素人の思惑くらい手に取るように分かるのかもしれない。
「別に言いたないんやったらええが、俺ならはっきり言うとる。」
「それってどういう意味ですか、」
「難しい顔しとんのが好きならええんや。せやけど、俺はそないな可愛くない顔、毎日見てられるほど大人やないで。」
真島の発言は一つ一つが刺々しく、なまえの触って欲しくない所へ無神経に踏み込んで来た。嫉妬や怒りに燃えていると言う割には繊細で傷つきやすい心に涙腺が緩んでいくのを感じる。泣きたい訳ではない。けれど、一人で飲み込んだあの日について、その飲み込んだ全てを吐露したい欲求に駆られた。
「…だったら、可愛い顔した女の人にでも会いに行ってくればいいじゃないですか。」
追い詰められた唇は心にもないことを簡単に口にした。あァ?と真島の不機嫌そうな声がすぐに返ってきて、なまえの思考はぐちゃぐちゃと黒く塗りつぶされて行った。冷静さを見失っていた。泣きたい気分が更に増していくようで情けなくなる。
「なまえ、さっきのはどういう意味や、」
「……答えたくありません、」
「んなこと聞いとんのちゃうわ、」
「……自分の胸に手を当てて考えてみたらどうです、私に聞かなくても分かるんじゃないですか?」
強い言葉をか細い声で押し付けた。その声は震え、今にも泣き出してしまいそうに弱く、情けないものだった。
「せやから言うてるやろ。…言いたいことがあんなら、はっきり言えや。」
それともなんや、なまえちゃんは自分から話が出来ひんのか?と今度は真島が同じように強い言葉を、なまえとは違う凛とした声で言い放つ。真島のことをキッと睨み付ける目は無かった。代わりに両目から涙をぼろぼろと零すなまえの潤んだ瞳があった。
「…喧嘩腰でおっても話が進まんのや。その懐を明かして貰わな、わからんやろが。」
真島は溜息を吐き、なまえの隣へ無理矢理に居座ろうと近付いていく。強引な真島を止める術を知らず、止めようとする理由を主張出来ないなまえはあっさりと真島を隣に置いた。真島のその歩み寄る姿勢に、なまえはただ自分がそれを口にすることを避け、一人で抱え込んでは勝手に拗ねていたのだと思い知らされる。
まだ真島の懐へは飛び込めない、拗ねたままの自分では、蟠りを残したままではそこへ行ってはいけない、そんな気がしていた。みっともない顔をしているのは重々承知で、なまえはそこでようやくキャバクラに入っていく真島を見かけた日のことを話し始めた。
全てを話し終えてみると、意外に気分が晴れた。鬱屈した感情が少しずつ溶けていくようで、すっきりとした気分だ。なまえが話をしている間、真島はただ黙って全てを聞いていた。話に横槍を入れることもせず、なまえが話し終えるまでずっと聞いていた。真島はなんて答えるのだろう、そしてどんな答えならなまえが灯した暗い炎を消せるのだろうか。今度はなまえが真島の話を待っている。
「そうか、なまえはあん時、どこかで見とったんやなァ…。」
そう呟いた真島は焦りと言うより、まるで納得しているかのような表情をしていた。夜遊びがバレた時の異性のよくある反応ではないことになまえは妙に考えさせられた。言い訳を並べず、挙動不審に陥るでもなく、かと言って逆上する訳でもない。元々真島はそんなことをするような男ではない、けれど、何かがおかしい。
「なまえちゃん、」
「…なんですか、ちゃん付けなんかして、」
「なまえちゃんが俺を見かけたっちゅう日、確かに俺はキャバクラに行っとった、」
「…やっぱり、」
「せやけどな、俺にも目的があったんや。なまえちゃん、聞いたってや、」
「目的、ですか、」
「せや、俺はあの日あそこのキャバクラに行かなあかんかった。」
どうして、と聞けば、真島はなまえの方を向き、桐生ちゃんや、と答えた。ここで突然出てきた桐生の名前になまえは余計に訳が分からなくなる。そして更に追い打ちを掛けるように、真島は自分の懐から携帯を取り出し、ポチポチとボタンを何度か押し込んだ所で、一つの写真をなまえに見せた。
携帯の画面いっぱいに映っていたのは、ほぼピンクと肌色しか色味のない写真だった。それは顔から下だけが写っており、ショッキングピンクの目に痛い蛇柄の派手なドレスに、少し筋肉質な足には刺激的な網目があり、なまえにとってそれは衝撃的な一枚で、鎮火寸前の火が大きくなった。
「真島さん…!人が真面目に話をしてるのに、…急にこんな、他の人の写真なんか持ち出すなんて…!」
「これがホンマに女の子に見えるんか、」
「だってドレス着てるじゃないですか……、」
まァ、確かにそやな、と口元をにやつかせた真島を見て再び写真の彼女を見た。画面の彼女には一度も会ったことが無いはずなのに、どこかで見たことがあるように思えた。そんな知人もいなければ友人もいない、こんな派手なドレスに身を包む派手な刺青を入れた女性など、と心当たりを探したなまえは沈黙する。気になったのは派手な刺青である、この刺青、どこかで、いや、結構最近に見た覚えがある。
「この刺青…、まさか…、」
「誰も女遊びしに行ったなんぞ、言うとらんで。」
真島の口元はまだにやついている、なまえは沈黙に口を塞がれ続けていた。大きく燃え上がった炎が一気に小さくなっていく、きちんとした理由を聞きたいとなまえは真島にその説明を求めた。ええで、と真島の口から全てを聞いた時、真島が出した桐生の名前の意味も、キャバクラに行かなければならなかった目的も、なまえの中の不信感を拭うのに充分なものだった。
真島は桐生に喧嘩を買ってもらいたがっている、だからこそ、神室町全体に罠を張り巡らせているのだそうだ。いつでも、どこででも、桐生が喧嘩を買いたくなるような理由も用意して。用意周到と言うべきか、執着心が強いと言うべきか。なまえは呆れていた、真島に対して抱いた感情が本気であったからこそ、その分だけ拍子抜けしてしまった。呆れるのと同時に安堵感が込み上げてくる、しかし、なまえは真島に言わなければならないことがある。
「真島さん、ごめんなさい。…さっきはあんなこと言ってしまって。」
「もうええやろ。ちゃんとお互いの腹ん中がわかったんや、俺はそれだけでええ。」
「…ありがとう、ございます。」
「にしても、やっぱりなまえにもそう言うんはあるんやなァ、」
ちぃと安心したわ、そう言っていつもの様に大きく口を開けて笑う真島の姿に救われながら、なまえはもう一度、ごめんなさいとありがとうの二言を告げた。
「でも、本当にそう言うんじゃなくてよかった、です、」
「…そない気にしとったんか、」
「当たり前じゃないですか。だって、わたし…、」
そこまで言いかけて、自ら口を塞いだ。だって、なんや、とその先が気になる真島は隣であるにも関わらず、より二人の隙間を埋めるように近付いてくる。言えない、言いかけてしまったけれど言えない。
なまえが、自分自身がどれだけ真島のことを好いているかなど、口が裂けても言えない。それを知らない真島は相変わらず顔を覗き込んできて、なまえを見るその興味津々な瞳が痛い。言葉を濁しながら真島の視線を避けていると、遂に痺れを切らした真島の手がなまえの後頭部に伸び、ごつんと額に鈍い衝撃が走る。額と額をぶつけて見つめ合っている、逃げ場はどこにもない。
「なまえの口からそれが聞けるんなら、俺も桐生ちゃんよりちょっとは都合したってもええんやけどなァ…、」
どや?なまえ。と真島はこちらの出方を窺っている。この男、何がなんでもなまえの真島事情が気になるようだ。
「だ、駄目です…!言えません…!」
「ええやないか、今更減るもんでもないやろ、」
「駄目ったら駄目です…!私ばっかり真島さんのことで浮かれたり落ち込んだりするなんて、」
腕を間に割り込ませ、真島と急いで距離をとる。なまえは真島に背を向け、これ以上何も読み取られないよう努めた。背を向けられた真島は、なまえのその態度が言葉で聞くよりも分かりやすいと笑う。聞かなくても分かる、どれくらいなまえの中で自分の存在が大きいものなのか。しかし、ここまで腹を割った以上、真島は是が非でもなまえの口から思いの丈を聞いてみたい。
「ほんなら、俺はなまえちゃんのこと本気にさせるだけや、」
真島が言い放った言葉が強引であったが為に、次の照準が桐生ではなく、自分に向いてしまったのだと直感で理解する。勝手に振り向いた視線の先にあったのは。
「今回は特別や。桐生ちゃんの件が終わったら、」
次は自分やで、なまえちゃん。と獲物を捉える蛇の目に、なまえは自分が抱いていた嫉妬の感情がいかにちっぽけであるかを知り、良くも悪くも真島は執着心の塊であることをたった今思い出した。
| 刺して、刺されて |back