真島吾朗と両思い「好きです。あなたのことが、とても。」
「はァ?」
場所は夜の神室町西公園、ドラム缶の焚き火前。相手はあの東城会真島組組長、真島吾朗。口に咥えた煙草がぽろっと下へと落ちていく。僅かな発光と煙が暗闇の中、地面へと着地する。未だ唖然としている真島を不安そうな顔で見つめている女はみょうじなまえと言う。真島は深い溜息を吐いてから話し始めた。
「あんなァ…、姉ちゃん。どっかの誰かと間違えとんのか、酔っ払っとんのかは知らんが、自分変なこと言うてるなァ〜って思わんのか?」
「いいえ、人違いでもありませんし、そもそも私は酔っ払ってもいません。」
「んじゃ、なんや、姉ちゃんは今日の客でも探しとんのか?」
「そう言うのでもありません。私はあなたを探してたんです。」
俺はどこぞの姉ちゃんに探される程、大した男ちゃうんや、酔っ払いでも人違いでもないんなら、はよ帰り。真島にそう捲し立てられ、なまえは残念そうな顔をして、じゃあ、今日は帰ります…、とその場を後にした。小さくなっていく後ろ姿に真島は首を傾げていた。何故彼女のような一般人に言い寄られたのか。ぱっと見ても自分が身を置く極道の世界とは全く無縁そうな彼女に。どこかで出会っているのだろうか、しかし、覚えが無い。妙な気分のまま、真島はもう一つ煙草を咥えた。
***
「好きです、あなたが。」
「姉ちゃん、また来よったんか…、」
翌日、場所は夜の神室町西公園、ドラム缶の焚き火前。相手はやはり東城会真島組組長、真島吾朗。口に咥えた煙草がぽろっと下へと落ちていく、全く昨日と同じこの光景、この展開。深い溜息を吐く、これもまた昨日と同じ行動だ。
「姉ちゃんの言い分はよう分かった。せやから、今日のところもはよ帰り。」
「……あしらわれているように感じますが、分かりました。今日も帰ります。」
なんや、思ったより物分かりのええ姉ちゃんやなァ…、と、とぼとぼと寂しげな後ろ姿を引き摺ってなまえは西公園を後にする。真島は相変わらず妙な気分で後ろ姿を見届けていた。小さくなる背中を見るのはこれで二回目である。
***
「好きです、」
「昨日、一昨日がダメやったってのによう来たな、姉ちゃん。」
更に翌日、場所は夜の神室町西公園、ドラム缶の焚き火前。相手は是が非でも東城会真島組組長、真島吾朗。口に咥えた煙草がぽろっと下へと落ちていく、実に三回目の光景と展開である。深い溜息を吐く、流石に今日はただで帰らせる訳にはいかない。
「何が目的や。俺もな、まさか三日連続で姉ちゃんの顔、拝むとは思うとらんかったで、」
「……迷惑、ですか?」
「はっきり言うてええんか、」
なまえは頷く、切ない表情の理由を聞いてみたいと、真島はなまえに説明を求めた。何故、彼女が極道者である自分に好きだと声を掛けてくるのか。声を掛けてくる割には何故真島の言ったことに素直に反応してくれるのか・そして何故自分に好意を抱いているのか。真島にはそれら全てが分からなかった。酒の勢いでもなく、人違いでもなく、客取りでもない、けれど、三日連続でこの西公園へと通った理由を。焚き火に照らされた真島は公園入口にある柵に腰掛けると、姉ちゃんもこっち来いや、と誘い、なまえは真島の隣、少し間を空けて腰掛けた。
「はっきり言うんは話聞いてからでも遅くないやろ、」
「今日は、はよ帰り、って言わないんですね。」
「当たり前やないか。俺は気になっとんねん、なんで姉ちゃんが俺に声掛けてくんのか。」
「あなたがそう言うなら、お話します。」
唸るような声を上げた真島は居心地の悪そうな顔で直ぐになまえの言葉を訂正させる。
「真島や、真島。…姉ちゃんの呼び方はむず痒くてしゃあないわ。」
「……真島、さん。真島さん、ですね。」
なまえはその声に驚いていたが、初めて聞いた真島の名前を忘れぬように何回か繰り返し、なまえは真島の知りたがっていたいくつかの理由を話し始めた。
真島との出会いは夜の神室町七福通り、なまえが帰宅中に見ず知らずの男に絡まれている時だった。なまえはなるべく男を怒らせないように慎重に言葉を選んで断り続けていた。けれど、男も男で中々引き下がらなく、周りの道行く人もただなまえと男の横を通り過ぎて行くだけ。
ガラの悪い男に絡まれている女を助ける。それはつまり自らトラブルに巻き込まれにいくのと同じことで、誰もそんな面倒なことを好き好んでする筈がない。何度も言い方を変え、言葉を選んで断ってみても男には何も通じない、どうして、と男の事が理解出来ずに苦しむ。長過ぎる男の相手になまえが俯いていると、不意にどこからか上機嫌な鼻歌が近付いて来た。
自然と振り向けば、そこには一目見ただけでその筋の人間だと分かる、眼帯を着けた男、真島が鼻歌を歌いながらなまえと男の間に割り込んだ。なまえは突然と言うこともあって驚きに言葉を失っていたが、先程までなまえに絡んでいた男の方も驚きを隠せず、声を荒らげた。
そこから先の展開は男が大声を上げながら真島へ襲い掛かり、それを容易くいなした真島は腹部に一発を打ち込んで男をのしてしまった。そして何事も無かったかのように七福通りから公園前通りへと歩いて行く真島、なまえはと言えば驚きの連続で、するりと男をやり過ごした真島の姿に見蕩れていた。
勿論、なまえは真島に感謝の気持ちを伝えようと、真島の後ろ姿を追って同様に公園前通りへ向かう。その間は何も考えず、今すぐにでもお礼を言いたい、何も出来なかった自分を助けてくれたあの人に、と夢中で追い掛けた。しかし、なまえが足を止めたのは、遠目で真島が一人煙草を吹かす姿が見える微妙な距離が残された路上。どくん、どくん、と高鳴る胸、熱に浮かされたようにぼんやりと真島のその姿を見つめている。
踏み留まってしまった、体はその場で立ち尽くす。呆気なく落ちてしまった、心は真島の元へと駆け出す。どんな顔をして声を掛ければいいのだろう、となまえは混乱していたのだ。そこで怖気づいたなまえは密かに踵を返した。心を決めなければ、今のままじゃいけない、好きになってしまった、自分でもこの単純さに呆れる、けれど、初めてのことだった。誰かに助けてもらうのも、誰かに一目惚れするのも、彼が初めての人だった。こうしてなまえは真島との初めての出会いを果たし、西公園へと通う日々が始まる。
「…確かにいつだったか、道におる邪魔な奴に退いてもらった覚えはあるで、」
「その日からです。私が、真島さんのことを好きになったのは。」
「姉ちゃんにしては大胆な動機やなァ…。それでここんとこ立て続けに俺の所に来とるっちゅうわけか。」
「はい。…迷惑、でしたよね?急に見ず知らずの人に言い寄られて、」
「まァ、嫌な気ィはせんけどな。にしても、姉ちゃんもようやるわ。」
なんでよりによってヤクザやねん、と悪態をつく真島の怪訝そうな顔を見たなまえは恐る恐る、ダメだった、でしょうか…?と聞き返していた。
「そらそやろ。カタギの姉ちゃんが構うような相手やないで、俺は。」
「じゃあ、もう会いに来ない方がいいですか、」
なまえは淡々とその言葉を告げた。一目惚れをしている筈の人間には到底言えそうにない言葉をさらっと言ってのけたことに真島は驚き、眉間の皺を少し緩めた。
「……姉ちゃんはそれでええんか、」
「真島さんが嫌なら私はもうここへは来ません。」
「なんでそないに姉ちゃんは物分かりがええんや、」
「物分かりがいいのかはよく分かりませんが、好きな人に嫌な思いをさせてまで、私の気持ちを押し付けるのは違う気がして。」
「ほぉん、ええ考えしとるやないか。」
「…私はそう思うほど、真島さんのことが好きです。」
こちらを見つめる瞳には何の曇りも無かった。真っ直ぐ向けられた視線に、彼女に対しての見方が変わったような気がした。不覚にも真っ直ぐであるが故にその目が、その想い慕う気持ちが真島を強く惹き付ける。張り詰めた空気の中で真島はなまえの目の奥を見つめ、見つめ返される真島の一つ目から決して逸らさぬよう、目線を合わせ続けた。
「姉ちゃんの真剣さはよう分かった。簡単に一目惚れ言うても、マシな考え方する奴もおる事が分かった。」
真島は深く息を吐く。そして、吐いた分だけ肺へ神室町の酸素を取り込む。せやけどな、たったの数日や、と真島は言い切った。自分となまえがちゃんと顔を合わせ、言葉を交わしたのは、なまえが西公園にいる自分に会いに来た、この三日間だけだった。
「たった三日、されど三日や。その間で分かったこともあるが、逆にまだ分からんこともある。つまりは俺と姉ちゃんは、まだ顔見知りっちゅう関係や。」
「ええ、確かにそうですね。それに、真島さんとこんな風に会話をするのは今日が初めてです。」
「そもそもの話やが、俺は姉ちゃんの名前を知らん。姉ちゃんも俺の名前を知らんかった。」
これじゃただの赤の他人、姉ちゃんはこのままでええんか?と真島は問い掛けた。
「もっと話さなあかんことあるんとちゃうか。もし姉ちゃんがホンマに俺とそういう仲になりたいんやったらな、」
「それは、またここに来ても良いってことでしょうか……?」
「ま、俺がいつもここに居るかどうかは分からんがなァ、」
のらりくらりと躱す真島は愉しそうに口元を歪め、西公園頭上の狭い夜空を見上げる。なまえの中に芽生えた些細なそれを敢えて摘まず、また次があるという可能性を示した。
「どう転ぶか、楽しみやなァ?姉ちゃん、」
「みょうじ、なまえです。私の名前。」
「なら、今はみょうじちゃんて呼ばせてもらうわ、」
「はい、そうしてください。じゃあ、私はこれで。」
なんや、もう帰るんか?と真島が問えば、なまえは真島さんも早く帰って下さいね、また明日来ます。と真島を置き去りにしてなまえは帰路につく。本日の後ろ姿は昨日までのものと違い、嬉しさの滲む、そんな後ろ姿だった。
西公園に置いていかれた真島もすぐに視線を戻し、懐を漁る。口寂しさ、と言うものだろうか、彼女と話をしている時には感じる事のなかった感覚だ。ぐしゃっと握り締めた感触で真島は気付く、手にしたソフトパックの中身はからっぽであると。
「また来るなんぞ言うてもうたら、俺もここに来なあかんやないかい。」
アホらし、とまで呟いてみたものの、不思議と嫌な気分ではない。惹き付けられた感覚がまだ胸の内に残っている、もうこの通りから消えてしまった背中をまだ無意識に見つめている。赤の他人、顔見知り、これから二人の距離はどれだけ縮められるだろうか。彼女の矢印はこちらを向いている、では、惹かれる感覚を植え付けられた真島の矢印はどこを指し示すのか。見えなくなった背中、別れの後に訪れた突然の口寂しさ、明日また来るとこじつけられた口約束、そして予備の無い煙草。真島はここで、ふと気付く。
この場所へ来る理由を探している自分に、当分面白いことは起きないのだからと知っている自分に、なまえの想いの程を見てみたいと言う自分に。
「……いい歳こいて色恋沙汰かいな。俺もまだまだ捨てたもんやないっちゅうことか。」
真島もようやく腰を上げ、西公園を後にする。真島さんも早く帰って下さいね、となまえの声に手を引かれ、数分前の彼女と同じ様に帰路につく。
大前提として、西公園で吸う煙草は悪くない。大通りから外れているおかげで人も少なく、神室町でも比較的静かな場所だ。自分で口にした楽しみと言う言葉の意味を再確認しつつ、しゃあない、一服の時間だけは外せへんからなァ…、と急遽明日の予定を組み立てる。
真島がなまえのことをどう思っているか。はっきりとしていない中で、蛇柄模様の矢印はいつの間にか、とある誰かのこちらを向く矢印と鏡合わせのように向かい合っていた。惹かれ合うのは偶然か、それとも気まぐれな興味故か。運命、などと綺麗事を口にするつもりはなく、動機は不明のまま、真島は今後なまえと仲を深めていくことになる。
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