光の粒を見下ろす。形も大きさも不揃いで、色も輝きの強さも疎らに点在していた。例え下品な建物ばかりの街であってもそれらが彩る神室町の夜景が好きだった。ガラス越しに見る神室町の夜景はショーケースの中にある宝石達の群れのよう。辺りの闇が深ければ深いほど、夜空を刺すような輝きは増していく。その輝きが強ければ強いほど、夏の街灯に集る虫のように人は引き寄せられていく。自分が強い輝きを放つ、この男の元へやって来たように。
「えらくご機嫌じゃねぇか、そんなにガラスにべったりと張り付いちまって。そこに良いもんでもあんのか?」
男の手元には厳重なジュラルミンケースが置かれていた。中身は覗かなくとも分かる。綺麗に帯封の付いた札束の塊があのケースの中にあり、男はその束数を数えながら自分に、えらくご機嫌じゃねぇか。と声を掛けたのだ。今現在、この一室には何もかもがある。男に惚れている女も、初めから数える必要のない大金も、その男が持つ力の象徴も。
「ここから見える夜景が好きなんです」
「夜景、ねぇ。金勘定してる男より汚ぇ街の電飾がお気に入りってか。俺の女はつれないねぇ」
言葉と表情に温度差が生じる。口では自分が選ばれなかったことを嘆いているが、目は指で弾く札束から逸らさず、口元には笑みすら浮かんでいる。この男は嘆いてなどいない、きちんとなまえという女の弱みを知った上でそう戯れているだけだ。あと何十束処理すればこちらを向くのか。つれないと零したいのはこっちだ。俺の女だと言っておきながら、放ったらかしにする男の、沢城の気持ちが一ミリも読み取れない。
「まあ、そう焦るなよ。こっちもそれなりに手が離せねぇ仕事してんだ。だから、まだお前の好きな夜景でも見て楽しんでてくれよ」
またお預けを食らう。言われた通りにする訳では無いが、再び視線を夜景へと戻す。不貞腐れようが、拗ねようが、彼には通用しない。今の関係に至るまで、沢城からはたくさんのことを教えられて来た。だからこそ分かるのだ、安っぽい感情論では沢城丈は釣れないのだと。相変わらず自分は夜景を、沢城は札束を相手にしていた。ソファーの革が鳴る音、紙と紙の擦れる音、退屈は何も無い時間を積み重ねていく。しかし、好きにも、退屈にも限度がある。夜景で一時間も時間を潰せるほど一途でもない自分は退屈を理由に、仕事に勤しむ沢城を見るようになった。最初は密かに、次第に大胆に、最後は夜景よりも沢城を選んでいた。
太く骨ばった指先が札束を掴み、何度もその枚数を確かめている。一つが終われば次の一つへ、その一つも終われば更に次の一つへ手を伸ばす。その動作に面白みなどはないが、いつまでも同じ景色を見ているより、沢城の働きっぷりを見ている方が退屈さは薄れた。時間を持て余した瞳は寡黙な男をなぞる。
まずは欠けている左耳から始まり、次に毛色の違う前髪や頬の傷など、沢城の特徴的な箇所をなぞっている内に触れてみたいという衝動に駆られた。彼に触れることは多々あれど、彼の傷口に触れたことは一度もない。許される気がしないまま、視線を元に戻す。ガラスの向こうにある景色に変化はない。街を走る車のヘッドライトの輝きが多方面へと流れていく様を見つめるだけの時間は眠りを誘う。動きの鈍くなった体を背もたれに預け、ゆっくりとした呼吸と瞬きを繰り返す。
すると、不意にソファーが沈む感覚がし、隣の席を見た。そこには沢城の姿があり、驚きに言葉を失う。深く腰掛け、背を預ける沢城はこちらに顔を向けると、どうした、退屈だったんだろう?と口の端を持ち上げ、肘掛けのない左側の腕を広げて見せる。沢城と自分の間には丁度一人分のスペースがあり、その腕を広げる仕草と含みを持たせるかのような空間に体は自然と動いていた。眠気眼で恐る恐る沢城の懐に身を寄せれば、懐から漂う香りに安堵を覚える。これは沢城が好んで着ける香水の香りだ。
「そうだ、よく分かってるじゃねぇか」
札束を数えていた手が今度は自分の頬に触れた。指の背が何度も頬を撫でる度に、嬉しい思いとくすぐったい気持ちに感情は上塗りされる。結局のところ、こうして自分にしか見せない仕草があることにいとも容易く心は満たされてしまう。不満気な言葉は全て満ち満ちた感情の潮に流されて行った。
「また、えらくご機嫌じゃねぇか」
「沢城さんが来てくれたので、」
「へぇ、それは何より」
「あの、お仕事はいいんですか……?」
「……ああ、誰かさんがシノギの最中だってのに邪魔してくれるからな」
どうにも待ち切れねぇらしい。と沢城は眼光鋭く目の奥を刺す。待て、と言っているようにとれるその視線に頷き、待ちます。と繋げれば、そうか?そりゃあ悪いな。と今度は後頭部に手を添える。これは脅しと言った物騒なものではない、これは沢城による教えなのだ。添えられた指が髪を梳く度にその心地良さに酔いしれ、懐に頬を寄せていた。もっと傍に、密に接していたいが、こうして沢城と会える機会というのは決して多くない。
「ごめんなさい、邪魔をしてしまって。本当はそんなつもりはなくて、ただ一人で待っているのが、」
「終われば存分に相手してやる。生憎今夜は何も無くてね」
知ってるか?上の立場ってのは悪くねぇが、退屈でいけねぇ。と意外な言葉にふと顔を見上げる。肘を掛け、その手に頭を傾けている沢城の悩ましく見える表情に衝動的になっていた。伸ばした腕を沢城の首に回し、少しだけ強引に自分の方へと引き寄せれば──。ぐるりと世界が景色を変える。正面は陰り、ソファーは今まで以上に重く沈み込む。沢城はと言えば、自分の真上に居て、視界に白い毛束が垂れ下がっているのを気にも留めず、ただ愉しそうに微笑んでいる。
「なまえ、お前にしちゃあ大胆なことをしたもんだが、まだ早え」
同化した影の中で、自分へと降る視線に息を呑んだ。吊り目が鈍く光る様に強く惹き付けられ、浅く吸っては吐いての粗末な呼吸を繰り返す。影という暗闇で光る眼差しが、まるでつい先程まで見ていたあの景色に似ていると思えば、何故自分が沢城の事務所から見える神室町の夜景が好きなのかを知る。底知れない闇の中でギラついた輝きを放つ沢城自身もまた神室町を照らす光源の一つであると。
さあ、楽しい仕事の続きをしようか。と沢城は体を起こし、ついでに一人取り残された女の腕を掴んだ。夜景を見た女はどこか満たされているようで、乱れた髪や服装を直し始める。
「きちんといい子で待てたら、何か一つ我儘を聞いてやるよ」
「我儘、ですか?」
「ああ、そうだ。褒美の一つも無しに待ちぼうけってのは可哀想だろう?」
「……実は一つだけあるんです、聞いてほしい我儘が」
ぞくりと背筋を走る感覚に肌が粟立つ。ほう、そりゃあ楽しみだ。と笑む口元から額へと走る傷跡に胸がざわめく。あの傷口に触れたら何か変わってしまうだろうか。より彼の放つ光と纏っている闇に囚われてしまうだろうか。きっと変わらずにはいられない。まだ知らない彼を今夜覗くのだ。
「こいつが片付いたら、メシでも行くか。なまえの好きな夜景の見える場所でな」
「今夜はお暇なんでしたっけ、」
「有り余る時間の有効的な使い方を知らないもんでね、」
ソファーの沈み込みが浅くなるのと同時に沢城は自身の席へと戻って行った。上品な艶のあるスーツの背中を数秒追い掛けてから再びガラス越しにある神室町の夜景を見下ろした。今夜、みょうじなまえは沢城丈という光源の闇に触れる。関係は一変するだろう、より深みを増した雁字搦めの関係へと。そして最後に残ったのは、静寂と紙の擦れる音だけである。
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