カランカラン、と来客の知らせを告げるベルが鳴った。窓の外を見れば、まだ日差し降り注ぐ時間帯である。こんな時間帯に店を訪れる人物と言えば一人しかいない。
「よう、ママ。今日も少しだけ飲ませてくれ……って、あれ、なまえちゃん一人?」
「……足立さん、今お店準備中ですよ。外にもそう出してあったじゃないですか」
あの小さい看板みたいなやつか?悪ぃな、あんましよく見てなかったんだ。とあからさまに申し訳なさそうな表情をして足立は店内へと足を踏み入れる。そして、カウンターで準備しているなまえの正面の椅子に座ると、お冷もらえる?とこちらを見た。どうやら今日も手持ちはないらしい。
「いやぁ、なまえちゃんの入れてくれるお冷は、また格別に美味いなぁ」
「それ、ただの水道水ですけど、何か違うんですか?」
「そりゃあそうよ。なんせこんな可愛い子が入れてくれたんだからな、ただの水道水だって美味くなるってもんだろ」
「足立さんのそういうとこ、良くないですよ」
「ええ?そうか?」
「そうです。それに、たまには健全な時間にお酒を飲みに来てくださいよ、ウチはそういうお店なんですから」
「俺はこの時間帯がいいんだよ。こんな真っ昼間から飲みに来る奴なんかいねぇだろうし、なまえちゃんを取られずに済む」
突然やって来たかと思えば、一杯飲ませて。から始まり、今はただの水道水をうまいと飲んでいる。足立が警察官であると知ってはいるが、普段の真面目な顔よりデレデレとした顔ばかり見てることが多い。むしろ真面目な顔なんて見たことがないかもしれない。しかし、その足立のデレデレとした顔を見ていると、子供じみた言い分が可愛らしく思えるのだから不思議だ。
「足立さんも結構可愛いこと言うんですね、ふふ、子供みたい」
「自分より若い子に子供扱いされるとはな……。なまえちゃんも知ってるとは思うが、俺ぁもういい歳だぜ?」
「私、可愛い人好きですよ」
「……こりゃ参ったな。運命の出会いってのはどこに転がってるか分からねぇと聞いてたが、意外と身近な所にあるもんだ」
「これが初めてじゃないでしょう?もう、調子のいいこと言って」
俺達はもう何回も運命の出会いを果たしてんだ、なまえちゃんも俺に感じるものがあるだろ?と足立は冷水片手に、さながら映画俳優のようなキザなセリフを恥ずかしげも無く口にした。感じるもの、ですか、と後に続いたものの、それから先が全く出て来ない状況に足立は肩を落とす。その様に擬音を付けるとしたら、がっくりと言ったところだろう。
「もし、私が何かを感じてたらどうします、」
「そりゃあ、まずはお友達から始めて、ゆくゆくは一緒に、」
「足立さんって結構前向きなんですね、」
「可能性がない訳じゃないだろ、それに何事もポジティブに行かねぇとな」
「それ、今まで何人の女性に言ってきたんですか?」
「ええ?そりゃあ、あれだよ……、」
突然、歯切れの悪くなってしまった足立の口はお冷ばかりを流し込む。ただつっつくつもりが思った以上に痛いところを突いてしまったらしく、おとなしくお冷を飲む足立の姿が居た堪れない。なまえはカウンターを抜け出し、足立の隣に腰掛けると、その背中に手を置いては優しく上下させた。
「ごめんなさい、そんなに落ち込むとは思わなくて、」
「……じゃあ、どうしてあんなことを、」
「それは、その、……本当かって。足立さんの言葉が本当なのかって、」
「なんだよそれ、なまえちゃん、好感触ってわけか?」
「え?えっと、いや、その、って言うか、足立さん全然落ち込んでないじゃないですか……!」
「ああ、別に落ち込んでた訳じゃねぇからな、ははは、」
そ、そういうのずるくないですか!?とおしゃべりだった自分を庇うように足立に問い掛けた。しかし、足立は予期せぬ告白に満更でもない顔をしている。それがなまえの焦りを加速させる。気に掛けなければよかった……!と内心、悔やんでいたが、今度は逆に足立の手がなまえの背中に触れ、上下に動いた。
「可愛いじゃねぇの、やっぱり女の子は素直じゃなきゃな。でも、アレだな、ツンデレっつうのか?さっきのアレはデレってやつだろ?」
「……だから、なんです、」
「男はそういう隙に弱えモンよ、」
「隙だなんて、別に、」
「あ、一応言っとくが、好きじゃなくて隙だからな、隙」
分かってます、つまらないこと言わないでください。と照れ隠しにもならない強気な言葉を投げてみたが、足立には全く効かなかった。ま、俺は好きでも良いけどな。と更に追い討ちをかけてくる辺り、詰めるべきところは詰めておく人間のようだ。
足立は何かとなまえの懐に入り込んで来ることがある。飄々としているのに、女性には滅法弱く、大の酒好き。話によると、確か警官時代の給料はいつも酒と女に使っていたという。これだけで見れば、あまりよろしくない相手だ。それでも、こうして隣に座って勝手に気落ちしている自分の背中をさすってくれる。だらしがないけれど、優しい人なのだと思う。だからこそ、懐に潜り込まれたような気持ちになるのだろう。
「お水、一杯だけで足りますか」
「え?ああ、足りる足りる。本当は手持ちがありゃあなあ……。最近は何かと入り用だったりしてよ、」
「別のお店で飲んでるとか?」
「そんなことねぇよ。俺のここ最近のお気に入りはこの店なんだぜ?他の飲み屋に浮気なんて出来ねぇよ」
何よりなまえちゃんが悲しむからな。と胸を張ってみせる足立に、そういうの夜のお店で聞きたかったです。となまえは席を立ち、定位置であるカウンターへと戻っていった。足立はそれを残念そうに見ていたが、なまえは違う。嬉しかったのだ、足立がこの店を気に入ってくれていることが。なまえはカウンター側に背を向け、手元にグラス、酒、冷凍庫から数個取り出した氷を用意すると、あっという間にどこかの誰かさんに出す酒が出来上がる。
「そういうこと言ってくれるなら、さっきの言葉に免じて、この一杯は私の奢りにしておきますね」
音を立てぬよう、そっとグラスを足立に差し出す。ゆっくりと溶け始めた氷が繊細に鳴っては浮き沈みを繰り返している。肝心の足立は未だ目を丸くしており、一向にグラスに手をつける気がない。大の酒好きである足立なら、きっとすぐに飛び付いてくると思ったのに。
「……いりませんか?それなら私が飲んじゃいますけど、」
「いや、もらう。もらうよ、ありがとうな。でも、まさか、」
「どうかしましたか?なんか変ですよ、足立さん」
いや、その、と中々話出せない足立は、自分に痺れを切らしたらしく、まだ残っていたお冷を一気に飲み干した後、空っぽのグラスをなまえに返した。そして荒々しく濡れた口元を腕で拭い、こちらを真剣な眼差しで見つめている。何か言いたそうだ。
「……なまえちゃん、冗談抜きに運命ってヤツを信じるかい?」
「な、なんですか、急に。ていうかまたそんなこと言って、」
「いや、今度は本気だ。本気の本気、俺ぁマジだぜ、」
「何がマジなんです……?」
「ビビビと来ちまったんだよ、ついさっきなまえちゃんが俺の為に酒を出してくれた時にな」
ずいっとカウンターから身を乗り出した足立は酷く真面目な顔で、俺ぁ健全な客になるぜ、なまえちゃんの為にもな。と言い放った。カラン、と氷がまた音を立てて溶けていく。他の客もいない日中、お店のママさえも留守にしていて、今この店にいるのは足立となまえの二人のみ。
「つまり次からは夜の時間にちゃんと来てくれるんですね?」
「まあ、そういうこった。俺はこれでも一度言ったことは守る男でな、」
「なら、もうこの時間帯には会えませんね」
何だかんだ明るい時間帯に足立の顔が見れるのは、ちょっとした楽しみでもあった。しかし、店的に物を考えた時、やはり夜に飲みに来て欲しいと思うのが普通で。なまえはしんみりとした感情に蓋をしながら、じゃあ次の夜にお待ちしてますね。と口にした。すると、足立も感染してしまったかのようにしんみりとした顔をする。もしかしたら隠し切れていなかったのかもしれないと思ったが、足立はそのように捉えてはいなかった。
「夜には客として飲みに来るが、どうしたらまたなまえちゃんに会える?」
「どうしたらって、」
「今みたいになまえちゃんとなんてことねぇおしゃべりがしたい時には、俺はどこへ行けばいい?」
問われて言葉に詰まる。ウチにはアフターも同伴もありませんよ、と言ってしまえれば良かったのだが、口を突いて出たのは明日の話で、どうして自分もそれを伝えようと思ったのかは分からない。
「……明日はうみねこ坐に行くんです。見たかった映画があって、」
「へぇ、そりゃどんな?」
「えっと、知りませんか?海水浴にいった大学生がサメに襲われるって映画」
「それってアレか?出てくるサメのハリボテ感がすげぇってやつの、」
「そう、それ!CMでも見たんですけど、本当にハリボテ感のすごいサメで面白そうだなって、」
明日の何時に?と足立が自分のスマホを取り出すと、どうやら予定表のアプリを起動しているようで、明日の十時半から。と足立のスマホを手に取り、表示されたキーボードで『うみねこ坐 am10:30から ハリボテのサメ』と最後にサメの可愛い絵文字を付けてスマホを元の位置へ戻す。なまえの突然の行動に呆気にとられている足立の手の中へ。
もしかしたら、明日会えるかもしれませんね。と一言添えれば、呆気にとられていた足立もにやりと口角を上げる。細まる目元は柔和でいて穏やか、嬉しそうに傾ける一杯がそれほど美味いのか。興味本位で投げ掛ける、そんなに美味しい酒なのかと。
「そりゃあ、可愛い子にデートに誘われちまった時の一杯は美味いもんだぜ。誘うことはあっても誘われることなんか滅多になかったからな、」
「ふふ。デート、なんですかね。私と足立さんが一緒に映画見てたら」
「え?そりゃあどっからどう見ても男女の健全なデートだろ、」
「お父さんと娘のお出かけ、じゃなくて……?」
そこから軽く吹き出すように笑えば、俺ぁそれでも構わねぇな。とグラスを口元に寄せ、二口目を流し込んだ。やけに大人びた仕草と物言いに、なまえは無意識に惹かれていた。足立の余裕が感じられる雰囲気は居心地が良く、悪い気はしない。寧ろ、その懐に居たいと思ってしまうくらいに、より惹き込まれていく。たった一瞬のあの仕草だけで?ただ酒を飲んでいるだけなのに?と理解を得られない頭が騒ぎ出し、なまえはもう一度足立を見た。
「足立さん、」
「ん?どうした、」
「明日が楽しみです、私」
「奇遇だな、俺も丁度そう思ってたとこだよ、」
唇は頭よりも素直だった、目は唇よりもおしゃべりだった。これはただ居心地が良いからじゃない、心を叩く感情が恋情だと気付いてしまえば、あとはもう行くところまで行くしかないと耳元で囁かれているような気がした。
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