今年の雪はそれなりに降り、それなりに積もってはそれなりに溶けていった。毎年、雪の日には不思議と同じ時間を共にする相手がいる。悪天候だと分かっていながら、わざわざこんな街の寂れたゲームセンターにやって来る物好きな相手が。しかし、今年の雪の日に彼女の姿はなかった。今年の雪の日、それはつい先日のことだ。従業員を皆、家に返してやり、一人で店番をしていた。冷え込む店内を出て煙草を吹かし、自販機で気休め程度に温かい缶コーヒーを啜り、雪の日の仕事をこなしていたのだ。
 彼女とはそれなりの付き合いになる。最初はただの遊びに来た客だった。彼女は最初は物珍しそうに店内を物色していた。なんせ、最近のゲームセンターとは違い、レトロゲームばかりが揃っている場所だからだ。そのせいか、操作に戸惑いが見られ、プレイしてみてもスコアが芳しくない。そんな時に声をかけたのが自分だった。まずはゲームの説明をしてやり、コツを教えてやる。すると、ゼロに近かったスコアが多少上がったのだ。彼女は嬉しそうに笑っていたのを覚えている。


「なんか落ち着かねえな」

 だからこそ、彼女のいない店内がひどく寂しく感じられた。ましてや、雪の日などと言ったら毎回必ず二人きりで過ごしていたのだから余計に。こんな事を思うのも変かもしれないと都合のいい予防線を張りながら、彼女が来るのを待っている自分がいると気づいていた。それは勿論、常連客の一人として、この雪で何事もないか確かめておきたかった。そう思うことで、彼女がここにいない現状を飲み込める気がした。しかし、時計の針がぐるりと一周する頃には、やはりこの現状を飲み込めないという事実を知ることになった。
 携帯を取り出し、メッセージアプリを開こうとした。だが、もし急を要する事態であったなら、こんなまどろっこしいやり取りなどやっていられないだろう。自分の指先はその隣に配置された電話アイコンを押し込んだ。着信、発信共に彼女の名はない。今の今まで連絡を取り合う必要がなかったからだ。不思議な感覚と共に電話帳から予め登録しておいた番号で彼女を呼び出す。その間にふと冷静になると、これじゃあまるで彼女がいないのを心配しているように勘違いされないだろうか?と疑問が湧いて出る。しかも、彼女のことだ。人一倍嬉しそうに訊ねてくることが予想出来た。

「……もしもし、」

 ようやく繋がった電話口の彼女はどこか疲弊しているように感じられた。いつものように明るい声音ではなく、どこか辛そうな声が聞こえ、やはり心配が先行していた。

「どうした、元気ねぇじゃねえか」
「……あの、家で寝込んでまして、」
「寝込んでるだあ?なまえ、何があった」
「え、えっと、その、風邪引いちゃいました……」
「お前、今熱何度出てんだよ」
「さっき測ったのが……、」

 彼女の口からは八度台の熱があると告げられ、いても立ってもいられなかった。店番をしている場合ではないと、電話を片手に手早く片付け始める。携帯を一枚隔てた彼女にこれから行くとだけ告げ、急いで店を出た。細々と、しかし、つらつらと道端に積もっていく雪の中をビニール傘を差して歩いていく。ザクザクと雪を踏み締める感覚を熱に浮かされた彼女は知らない。肌を突き刺す風の冷たさを彼女は知らない。それよりも、何よりも。彼女を思いやる自分の心情を彼女は知らない。
 一人で真っ白な街を突き進んでいる間、いくつか思うことがあった。何故、頼ってくれなかったのかということだ。そんなに自分は頼りないだろうか。それとも、気を遣ってくれた結果なのだろうか。けれど、それはあんまりにも薄情じゃないかと弱々しく自分に当たっていた。正直、他の誰よりも親しいと思っている節があった。だからこそ、引越しの際に手伝えなかったことも、自分のいけ好かない人物に会いに行こうと誘われたことも、素直に喜べなかった。雪を踏み締める音の間隔が短くなっていくのは、やるせない気持ちを誤魔化しながら彼女の為にと先を急いでいるからだ。

 顔を合わせる度に不思議な子だとは思っていた。明るいくせにどこか人見知りしていて、けれど、肝心な時にはズバッと言い切る思い切りの良さ。自分には特別懐いているように思えるほどの頼り上手な一面だって、誰よりもよく知っているつもりだ。それこそ、海藤や八神には負けないほどに。無口で街を行けば、ぐちゃぐちゃに絡まった私情に飲み込まれてしまう。だが、それは紛れもない事実で、彼女に問うてみたいことでもあった。
 今だけは自分の吐いたため息が真っ白に浮かんで消える。自分は聖人君子ではない。人並みに欲もあれば、褒められやしない感情だってある。正直なことを言えば、この両手だって綺麗なものではない。彼女の知らない世界で平然と汚してしまったものだ。それでも、会いに行かなければ。高熱に苦しんでいる彼女の助けになる為に。風に吹かれた雪が頬を無慈悲に凍えさせていく。それでも、彼女の元に行かなければ。


***


「ひ、東さん」
「おう、邪魔するぜ」

 玄関先で出迎えてくれた彼女の顔は真っ赤だった。額に申し訳程度の冷却シートを貼り付け、重たそうな瞼のまま自分を見ていた。そんな彼女を一刻も早く布団に戻すべく、部屋に押し戻してそのまま上がらせてもらう。彼女の家に来る道中、寄ったコンビニでささやかながら食糧を調達しておいた。手も足も出そうとする彼女を制し、いいから寝てろ。と強めに言い付け、キッチンにて買ってきた食糧と彼女が日頃から備蓄してある食材を覗いた。主食となる米に卵、野菜も一人暮らしには事足りるくらいには残っており、手際よく今日の予定を組み立てていく。

「昨日はメシ食えたのか?」
「……はい、と言ってもゼリーくらいしか食べられなくて」
「そうか。それなら、今日はどうだ?食欲はあんのか」
「正直、熱がつらくてご飯どころじゃなかったんですけど、でも、東さんの顔を見たら、」
「見たら?」
「おすし、が食べたくなりました、あのアボカドのやつ」

 じゃあ、今度また連れてってやるから、さっさと風邪治せ。はい、ありがとうございます……。
 熱のせいで締まりのない、ゆるい表情でふわふわとした返事が送られてきた。彼女の熱は昨日からだったのだ、ならば、やはり、どうしても。

「あと、何遠慮してんだか知らねえが、ヤバい時ぐらいはヤバいって言え」
「え……?」
「あの店は俺なんか居なくても回る。ウチのに任せておけば、俺一人居なくても大丈夫だ」

 どうしても言っておきたかった。他の誰よりも、自分に声をかけて欲しいことを。自分達は決して薄情な関係じゃないはずだ。まだじゃれ合うような幼い関係ではあるが、そこに見知らぬ誰かに割って入って欲しくないのだ。

「困ってんなら俺に言え。俺が何とかしてやる」

 本心が言葉になって出て行ってから我に返る。病人相手につまらぬ独占欲を押し付けてどうするのだと。前言撤回をする訳にもいかない、何故ならその言葉は本心そのものだったからだ。繋げる言葉が見つからずにいると、なまえの方から弱々しい声で続けられた。

「……なんか、今日の東さん、かっこいい、ですね」
「な、何言ってんだ、」
「いつも、甘えちゃうんです。東さんが、やさしいのをしってるから、」
「まあ、そうだろうなとは思ってたさ」
「それで、やさしくされるとすごくうれしいんです。まるで、わたしだけにやさしいみたいで、」

 高熱が辛いのだろう。たどたどしい言葉がゆっくりと吐き出される度に、彼女を寝かせてやりたい気持ちと、今しか聞けないことがあるのではないかと葛藤していた。だが、先程自分勝手な言動をしてしまったばかりなのだ。今は彼女を休ませるべきだと、キッチンを離れ、布団にすっぽりと収まっているなまえの傍に膝を着く。

「そんなんは後で聞いてやっから、寝てろ」
「……あ、でも、わたし、」
「これ以上、心配かけんな。寝れねえなら、寝付くまでついててやるから」
「えっと、ありがとう、ございます、」
「おう。一応、冷却シートも貼り替えとくか」

 冷蔵庫に入れられているだろう冷却シートを取りに立とうとすれば、弱々しい手に行く手を阻まれる。きゅっと服を握り締められ、意識と視線は彼女へと向かっていく。

「ね、ねますから、ここに、いてください」

 真っ赤な顔。細く白い手。熱にふやけた唇は色付きのいい桃色。潤んだ暗褐色の瞳が心底、ここにいて欲しいのだと告げている。額のぬるくなった冷却シートを替えたいだけだと言えなくなってしまった。追い縋る手を握ってやれば、手のひらの熱が熱くて離れ難い。せめて、手のひらの熱だけでも自分が吸い取ってやれればいいのにと思った。

「ちゃんと、おとなしくしてますから」
「分かったよ」
「は、はやく、熱さげて元気になりますから」
「分かった」
「……あ、でも、マスクしないと、東さんにも」
「後で持ってきてやるから」

 落ち着いた声音で言い聞かせれば、こくりと頷き、目を閉じる。高熱のせいで行動に一貫性が見られない。早く、はやく、彼女の体から熱が抜けてしまえ。それが仮に自分に風邪を移すことになっても、だ。彼女は目を閉じながらも、ぼそぼそと呟いていた。そわそわとしていて寝返りを打ち、体が落ち着く向きと場所を探している。けれど、決してこの手を離すことはなかった。

「東さんの、手、つめたくてきもちいいです」
「まあ、寒い外にいたからな」
「……ごめんなさい、しんぱいかけて」
「いいって、謝んな。こういうのはいつなるか分かんねえもんだろうが」
「ほ、ほんとは、……ほんとは、」

 きょうも、あいに、いきたかったです。
 初めて、彼女のか細くて寂しい心の声を聞いた。大丈夫だ、俺の方から来てやったからな。ともう片方の手で肩を摩ってやる。うん、うん、と嬉しそうに小さく頷いているなまえに、今度こそ冷却シートを取り替える旨を伝えれば、弱々しく握り締めた手を離し、……おねがいします。と目を開いた。
 ようやく傍を離れてシートの交換が出来るようになったと言うのに、今になって離れ難くなっているのは自分だと気付く。ふと、窓の外を見た。未だに白く何も知らずに漂うよう、落ちていく雪を見た。彼女が寝付いたなら、今年の雪もそれなりに降って、それなりに積もったという証に小さな雪だるまでも作ってやりたいと思えた。心配せずとも今年の雪の日にも顔を合わせることが出来たのだと。



| 細雪 |


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