なまえが風呂上がりの温かな体が冷えてしまわないように、炬燵に入りながら北村の帰りを待っていた。今日はクリスマスイブ、北村との予定は明日のクリスマスに入れてある。それに今日は春日という人がピンチに陥っているということで、急遽外に出て行ってしまった。別に怒ることもせず、気をつけて。と見送った。彼の本職も忙しいもので、普段からそれを知っているなまえは咎める必要などないと思っていた。
春日と言う人は北村の昔からの知人で、何かと顔を合わせては連行していた相手だと聞かされている。そんな人が今はカタギとして、この神室町で北村と共に何かを企んでいるのだ。この街のために。人生とは本当に不思議なものだとなまえはしみじみ思う。そして、もう一つ思うのは炬燵に入りながら食べるみかんはとても美味しい。
みかんを食べ終え、テレビ番組に夢中になっていると、インターホンが鳴り響いた。突然のことで、驚きながらテレビを慌てて消し、玄関へと急ぐ。ドアスコープを覗くと、扉の前には赤いスーツを来た男と、行きとは格好が違う北村の姿があった。何かあったのかもしれないと、チェーンを外し、扉を開けると早速赤いスーツの男が話しかけて来た。
「……なあ、アンタ。北村の同居人か?」
「えっと、その、どちら様でしょうか」
「ああ、悪ぃ悪ぃ。俺ぁ春日ってんだ、北村がべろんべろんに酔っ払っちまってな」
「北村さんが?」
「おう。それで家まで連れて来てやったんだけどよ」
「そうでしたか。それじゃあ、入ってすぐのところに座らせてもらえますか?」
あいよ。と春日はくたくたの北村を壁に寄りかからせ、廊下に座らせた。その間、なまえは春日にいくつか質問を投げかけていた。何故、北村はこんなに酔っているのか。何故、北村はこんな恰好をしているのか。北村は今日という日を楽しんでいたか。その問いかけに春日は出来るだけ答えるように口を開いた。
まず、こんなに酔っているのは仲間である辻とミツという二人に飲まされてしまったから。次にサンタの衣装を着ているのは、正直わからなかった。自分に絡みにくるまで全く気づかなかったと。そして最後に、今日の北村は人命を救い、仲間達との時間を楽しんでいたのだと。春日の話を聞いたなまえは軽く頷くと、嬉しそうに笑っていた。
「怒んねえのか?俺ら、アンタから北村借りちまったし、それに酔っ払った状態で返そうとしてんのに」
「ふふ。私たちは、明日一緒に過ごす予定なので大丈夫です。でも、こんなに酔ってる北村さんが珍しくて」
「まあ、確かにこんな姿は珍しいかもしんねえが、結構面倒だぜ?すぐ絡んでくるし、泣き上戸だしで」
「そうですか。じゃあ、今回だけですよ」
「おう、気ィつけるわ」
今日はありがとうございました。と春日を玄関先で見送り、なまえはすぐに壁にもたれて目を閉じている北村の傍に腰を下ろした。そして、微動だにしない北村に何度か呼び掛ける。最初はあまり反応がなかったものの、時折肩を揺らしてみたり、ぽんぽんと優しく叩いてみたり、少し大きな声で呼び掛けてみたり。どうしようかと肌寒い廊下で二人して座り込んでいると、ようやく北村が目覚めるようで、小さく唸った。
「北村さん、北村さん」
「……なまえさん、か?」
「そうです。眠る前のこと覚えてますか?」
「確か……、春日達と飲んでいた」
「よかった。大丈夫そうですね」
壁にもたれかかったままの北村の手を取り、まずはクリスマスのコスチュームを脱がせるべく、リビングへと向かいたかったのだが、逆に引っ張られてしまい、意図せずなまえは北村と密着していた。目の前には赤い顔をした北村がこちらをじっと見つめている。明らかにまだ酔っ払っているのが見て取れた。だから、なまえはもう一度北村に呼びかけたのだが。
「北村さん、ここは寒いですからあっちに……」
「あたたかい」
「えっ?」
「なまえさんの手、あたたかくて心地がいい」
ぎゅっと握り締められた手には、外で冷えた北村の手が重ねられている。放したくないような素振りに、なまえも強く言い出せなかった。だから、もう少しだけここにいて、それから向こうの部屋へ戻ればいいと考えていた。今のなまえにとって、初めて見た北村の酔った姿はまるで甘えたがりで、くっつきたがりの子供のように見えたのだ。
世の中には飲酒することで、ガラリと人柄が変わってしまうタイプの人間がいるとは知っていたが、まさか北村がそうであるとは知らなかった。北村がなまえの手を放さない間は、常にその背中をさすってやっていた。そして、北村もなまえにそうしてもらえるのが嬉しかったようで、ぼんやりとしていた表情もいつの間にか柔らかなものへと変わっている。大きな体がゆっくりとその背を丸めて、こちらへと寄り添ってくるのがどこか愛おしく、どこか照れ臭い。のっそりと身を寄せる北村が次に呟いたのは、なまえをどきりとさせる一言だった。
「それに、いい匂いもする」
「今日は帰りが遅いって言ってたから、先に入っちゃったんです」
「そうか」
ぽつりと小声で返事をしたかと思えば、手を握り締めたまま、北村はなまえの肩に顎を乗せた。より密着する形になんとか高ぶる感情を抑えていると、今度は肩から首筋へと北村が顔を埋めていく。突然の行動になまえは慌てて北村に呼びかけるが、聞こえていないようで反応がない。
「……俺の、好きな匂いだ」
予期せぬ言葉を紡がれ、なまえはどうしていいか分からなくなっていた。相手はいつもの北村ではなく、酒が入り、酔っ払っている北村なのだ。それにこんなに人懐っこく迫ってくる姿は今まで一度たりとも見たことがない。そのせいもあってか、なまえは拒めずにいた。寧ろ、ほんの少し前までべったりとくっついてくる北村に、不器用さから来る可愛さを感じていたのだから、拒むようなことは出来なかった。彼の鼻先が肌に微かに触れ、擽ったい。
自分を誤魔化すように、くすぐったいと伝えると、今度は『好きなんだ』と真っ直ぐに返され、逆に何も言い出せなくなった。北村は自分を大切にしてくれている人間だ。滅多に口にはしないけれど、それは態度や言葉の端々から読み取れていた。だから、こうして真っ直ぐに返されてしまうと弱い。やがて鼻先だけでなく、唇や浅い吐息も首筋に触れるようになり、なまえは狼狽していた。こんな酔った状態で、彼と事には及びたくなかった。それに、自分のことより北村のことが心配だった。絶対、一番後悔するのは北村であると分かっていたからこそ、なまえは急いで自分と北村の間に手を割り込ませた。
「き、北村さん、少し狭くないですか」
「……俺はこれが落ち着く。なまえさんは、」
「わ、わたしは、その」
「なまえさんは嫌だろうか……?」
「嫌とかじゃなくて、わたし、あんまり慣れてないっていうか」
「それじゃあ、こうしよう」
のそっと大きな山が動き出したかと思えば、赤い胸元に抱き寄せられ、その懐に収まってしまった。酔っているのに自分に配慮した北村の行動に、余計に狼狽加減が加速する。日頃のスキンシップはごく軽い接触のものばかりだった。例えば、頭に触れることや背中に触れるといった普通のものばかり。やたら滅多にない大きな接触に、なまえは必死に高ぶり続けている感情を抑え込んでいた。北村の代わりにしっかりしなければ、とよく出来た回答を持ってはいるものの、少しくらいなら、と揺れている心情があるのも事実だった。こんな時にばかり、甘えたい願望が顔を覗かせてくるのだから困ったものだ。
「これなら、いいか?」
「大丈夫、ですけど……。そろそろ、本当にお部屋に行かないと、体が冷えちゃいますよ」
「……わかった」
名残惜しいが、北村の懐から抜け出ようと膝立ちになった途端、再びこちらに絡みついてくる腕があった。背中に回された腕。中途半端に膝立ち状態で、北村の顔は胸部にある。そして、最後にもう一度だけ。と言うのだから、もうどうしようもなかった。自分に甘えたい願望があるのなら、北村にだってあって当然だ。しかし、それではいつまで経ってもここから動けない。
恐る恐る視線を北村に投げた。珍しくなまえが北村を見下ろすような状況だ。髪をいつも上げている北村の頭がぴったりと胸元にくっついている。一度だけなら、と弱い心に押されて、なまえは酔う黒髪を撫でた。背中に回されている腕はまだ解けそうにない。
「続けてほしい」
「……え、ああ、さっきの」
「こうしていたいんだ」
もう既に普段の面影はなかった。ぎゅっと胸元に頬を寄せる姿を見て、なまえは続けて欲しいと言われた髪を撫でる。北村にとっても、自分にとっても心地の良い時間だった。身を寄せ合い、甘えたり甘えられたりすることの出来る時間が。照れや恥じらいが身を潜め、二人きりの空間で髪を撫でていると、北村が服の袖をぐいっと引っ張ってきた。背中の腕もほどけていき、何かと思い、その場に腰を下ろす。ぴったりと重なった視線に抗い難い雰囲気が流れ込む。
糸が巻取られるように距離はゆっくりと縮まっていく。何かを言い出すには少しだけ頼りなさげに見える北村が口を開く。柔和だった表情もこの時ばかりは真面目な顔に変わっていた。
「俺はなまえさんのことを大切にしたい」
胸の内側で絡まっている何かを解いているように見えた。繊細で優しいそれを出来るだけ、ありのままで伝えようと紡いでいる。
「……幸せにしたい、とも思っているんだ」
だから、俺と。
赤らんだ顔で目を閉じた北村に、なまえは胸の高鳴りを抑えられずにいた。今まで色々なものを抑えていたせいで、この時に使える理性のようなものは欠片もなく、なまえも明かしたいと口を開いては胸の奥の秘密を紐解いていった。
「わ、私には北村さんだけです……。だから、その、し、幸せに……」
……幸せにしてください。となまえは静かに告げる。胸が苦しいほどにうるさく高鳴り、返事を待つ時間の長さにやきもきとしていたのだが、北村の返事が返ってこない。もしかして、驚きのあまり言葉を失っているんじゃないかと北村を見れば、そこには項垂れて寝息を立てる北村の姿があった。
「……もう。私だけ恥ずかしいじゃないですか、北村さん」
「ったく、だらしねえなあ。北村は」
「でも、酔ってたんだし、仕方ないですよ」
「そうか?今のは結構、踏ん張りどころだぜ?」
「春日さんもあまり意地悪を言わないでくださ……」
ん?と目を点にさせながら、すぐ近くにいる赤い誰かに視線をやると、そこには先程帰ったはずの春日がおり、なまえはパニックに陥っていた。一体いつからそこに?そもそもどうして戻ってきた?どこから見ていた?二人きりだと思っていたなまえにとって、春日の登場は予想外のハプニングだった。頬と体が沸騰したかのように赤く、熱くなっていく。
「ああ、悪ぃな。これ、北村が持ってたもん、置きそびれちまって」
ほらよ。と春日に手渡された箱は青い包装紙と緑のリボンでラッピングされていた。それを受け取ると、明日の為に用意してたのかもな。と言い残して春日は今度こそ、この部屋を出て行った。踵を返す素振りもなく、本当に帰ったのだった。
「本当に私だけ恥ずかしいじゃないですか……」
なまえはすっかり寝落ちてしまった北村の頬をやんわりと摘んでみたものの、それはそれで愛おしげな寝顔だと惚れた弱みに怒ることが出来なかった。
| 聖夜前日、告白 |