汗をかいたコップから伸びるストローを口に咥え、片手にあるスマホに構ってやれば、しゅわしゅわと弾けるメロンソーダが上がったり下がったりと忙しそうにしている。時折、小粒な氷が小さく鳴り、ストローから透けて見えるメロンソーダはコップへと戻っていく。
彼は今、人を待っていた。一人きり。メロンソーダだけが置かれたテーブルは、人を待つには少し寂しい印象を受けるが、当の本人は全く気にしていない様子でスマホをいじり続けている。その背面にはなんとも言えない顔のウサギのキャラクターが描かれており、不思議と彼によく似合って見えた。メロンソーダのエレベーターが再び上昇していく、もう何度目か分からない。しかし、上昇途中のそれが突然一気に下降していった。理由は一つ、待ち人、遂に来たり。
「遅いじゃ〜ん、めちゃくちゃ待ったよ〜、」
「だ、だって、変なタイミングで呼ぶから…、」
「あれ、もしかして、おめかししてきたの?」
「そりゃあ、すっぴんじゃ外歩けないよ、」
「へぇ〜、ま、そうだよね、」
もう次からはこんな時間にお誘いしないでね、と表情の変化の少ない彼、辻の正面に座った。え?いいじゃん、俺となまえちゃんの仲ってヤツ、とさらっと言ってのける辻に、なまえはため息混じりで、……そうだね、と返す。
夕飯時を外した遅い時間帯のファミレスになまえと辻の姿があった。なまえは数十分前に辻からの着信で呼び出され、ここにやって来たのだが、辻はなまえが来るよりも前からこの店にいたようで、一人じゃあまりにも暇だからとなまえを呼び出したようだった。
なまえとしては辻の仕切るグループのメンバーでも呼んだらどうかと電話口で提案はしたものの、え〜。こんな時までアイツらと一緒は勘弁、と軽く流され、結局こうして辻に付き合う形になってしまった。
「……なんか急いで準備してきたから、お腹へっちゃった。」
「おっ、いいねぇ。いっぱいお食べよ、」
「辻くんは飲み物だけでいいの?お腹は?」
「ん〜、なまえちゃんも来たし、俺も食べよっかな〜、」
その言葉になまえは備え付けのグランドメニューを二つ手に取り、一つは辻の前へ、もう一つは自分の手元へと並べた。ぱらぱらとページを捲っていくのは辻で、なまえはどれにしようかな、と迷う黒目をメニューのあちこちに泳がせている。辻はその顔ばかり見つめており、なまえは妙な気まずさを覚えつつ、グラタン・ドリアのページで手を止めた。
「エビってうまいよね、」
「辻くん、エビ好きなんだ。」
「そこそこにはね、」
「……うん、エビグラタンにする。」
「あ、もしかして、つられちゃった感じ?」
「そう、つられちゃった感じ。辻くんも同じの食べるの?」
「俺はもっと腹に溜まりそうなヤツ。ガッツリ食っとかないと腹減っちゃってさ、それってだるいじゃん?」
辻に渡したメニューは鉄板やプレートのページが開かれており、肉厚なステーキや選べるソースのハンバーグと言った、空腹をガッツリ満たすにはうってつけのメニューばかりが並んでいる。
「うわ、美味しそう……。」
「じゃあ、なまえちゃんも肉食えばいいんじゃない?」
「……だ、大丈夫かな。時間帯もちょっと遅いけど、お肉食べちゃっていいかな……?」
「俺が許してしんぜよう、」
「じゃあ、私も食べる……!」
「いいじゃん、自分に素直なヤツ嫌いじゃないよ、」
それから二人はスープバーやドリンクバー、サラダのついたセット、主食はパンかライスか、他にもサイドメニューを頼むかどうか、メニューのページを捲ってみたり、戻してみたり。備え付けられた呼び出しベルのボタンを押す頃には、二人の食べたい料理はほぼ決まり、テーブルへとやって来たウェイターに注文を済ませ、再び待ち時間が訪れた。
「でも、珍しいね。辻くんがファミレスにいるなんて、」
「そう?俺、結構色んな所にいるよ、」
「いつもはあのクラブにいるんでしょ?」
「あそこ、居心地良くてさ〜。なまえちゃんも今度来なよ、良い退屈しのぎになるからさ。」
「……それって辻くんが、の話でしょ、」
あ、バレた?とヘラヘラした態度を崩さず、辻は握ったままのスマホに視線を落とした。居心地は良くても面白いってワケじゃないからね、と忘れていたメロンソーダのストローに口をつける。
この男、辻は神室町の半グレ集団を束ねるリーダーである。と言うことまではなまえも知っているのだが、実際どのようなことをしているかまではわからない。そんな男に電話口で呼び出され、ファミレスで向かい合って食事をするなど、友人であるなまえでさえ想像していなかった。
「なまえちゃんはさ、スマホゲームなんかやってないの?」
「ゲーム?……えっと、今やってるのは、」
辻の質問に、なまえは懐から自分のスマホを取り出し、液晶に浮かぶホーム画面のロックを解除する。四角のアイコンがいくつか並ぶ画面で、自分がインストールして遊んでいるアプリを探していると、いつの間にか辻も前のめりになっており、なまえのスマホ画面を覗き込んでいた。
「あ、なまえちゃんもこれやってるんだ。意外〜、」
「最近よくCM見かけるから、面白そうだなって思って、」
「ふ〜ん。ねぇ、フレンド申請しとくから、ID教えてくんない?」
「い、いいけど、私ゆっくりやってるから、そんなに強くないよ、」
「なまえちゃんの助っ人になれる機会なんか滅多にないだろうし、それになんか面白そうじゃん?」
「……面白いかどうかは分かんないけど、後でID送っとくね。」
「よろしく〜。俺、めちゃくちゃ強いからバンバン使っちゃって。」
不意にこちらを見た辻の黒目にどきりとしたが、多分気に留めるようなことではない。彼は昔からこうで、いつも掴みようがない男なのだ。それでもあの黒目を見てしまってから、目が逸らせずにいる自分はなんだろうか。
「もしかして、カッコいいかも、とか思ってる?」
メロンソーダの残るコップから伸びたストローを咥えかけて、辻の口元が笑みを浮かべ、三日月のように歪んでいく。ち、ちがうよ……!と思い切り顔ごと目を逸らせば、それ、すごくわかりやすいからやめた方がいいよ〜、と呑気な声に煽られ、次からそうする……!ありがとう!と無理矢理会話を終了させる。辻は、どういたしまして、とここでようやくストローを食み、シュワシュワと泡立つ緑の炭酸を吸った。
それから少しすると、店員である彼や彼女が二人の注文した料理を運んでくれ、二人はやや遅めの夕食を食べ始めた。あんなに食べる時間を気にしていたなまえでさえ、おいしい、と頬張りながら着々と食べ進め、辻はと言えば静かに、かつ大きな一口でガッツリと食べ進めていく。平皿の上にあったふっくらと盛られたライスも、黒々と熱せられた鉄板の上にあった厚みのあるカットステーキや丸く形の整えられたハンバーグも、二人の胃袋を徐々に満たしてくれる。
なまえがセットのサラダを食べていると、広がりつつある食器の余白を前にして、突然動かなくなった者が一人。無表情で一点を見つめている辻の視線の先にあったのは、肉のない鉄板だった。肝心の肉はないけれど、その代わりにちょっとした野菜は残ったままになっている。もしゃもしゃ、と咀嚼を続けつつも、辻のその無表情を見ていると、不意に辻の目がこちらを向いた。どきっと心臓が跳ねる、口の中に広がるごまドレッシングはとにかく食べやすくて美味しい。
「なまえちゃんさぁ、野菜好き?」
鉄板の前で構える両手にはナイフとフォークが握られており、さっきから全くと言っていいほど動かない。なまえはまださっきの一口を飲み込んでいないこともあり、返事が出来ず、ひたすらに辻の目を見て訴える。それを察した辻は、いいよ、そのままで。と相変わらず両手は動かさないまま、話し始めた。
「さっきから、やけにうまそ〜にサラダ食べてるし、俺のも食べていいよ。」
「……辻くん、野菜も食べなきゃだめだよ、」
「なまえちゃんってケッコーまじめちゃんなわけ?」
「そうでもないと思うけど……、」
辻くんも、もう大人でしょ。とその全部を言い終える前に口元へ寄せられたフォークの先にはブロッコリーが刺さっており、ちらりと辻の顔を見れば、既に食べてもらうつもり満々で、なまえは諦めると共にその緑を口に含んだ。おおっ、やっぱりなまえちゃんは優しいねぇ、なんて寝そべった三日月のように辻が笑うものだから、なまえはささやかな反抗として、おいしい、と呟いた。
そして、あとはゆっくりと皿の上を片付けていくだけだった。肉汁やソースが跳ねる程に熱せられた鉄板も今ではすっかりおとなしく冷め切っており、緩やかな山を築いていたライスも一粒残さず綺麗に削り取られ、サラダや付け合わせの野菜の森でさえも食器の上にはない。
「ごちそうさま。美味しかったね、辻くん。」
「ん〜、そこそこには満足した。」
「次からはちゃんと自分で野菜食べようね、」
「じゃあ、その時もなまえちゃんのこと呼ぶからさ、またヨロシク。」
「辻くんは私のことなんだと思って……、」
「え〜、なまえちゃんに会いたいからって理由でもだめ?」
そ、それは、と予想外の返事に言葉を詰まらせる。で、お返事は?と追い詰めてくる辻の愉しそうな顔を見て思う、本当に辻隼人と言う男はずるい奴なのだと。
「……また呼んでね、いつでも待ってるから。」
「はい、よく出来ました。じゃあ、なまえちゃんにこれをあげよう。」
そう言って辻が取り出したのは、黄色くて小さな生き物。を模したおもちゃだった。特にお風呂場で見掛けることが多い、その黄色いおもちゃはアヒルの形をしている。
「アヒルのおもちゃ……?」
「お風呂中のとこ、邪魔しちゃったからね。これ、お詫びにどーぞ。」
「あ、ちょっと可愛い。本当にいいの?もらっちゃって、」
「いーよ。明日から一緒にお風呂入れてやってね、」
辻からのへんてこりんなプレゼントに、なまえは頷き、そのアヒルとにらめっこをしている。すると、相手にされなくなった辻は退屈そうな顔で、俺にもかまってよ〜。となまえを呼んだ。なに、と相槌を打つつもりで辻の方を向けば、間髪入れずにシャッター音が聞こえて来た。
「……え?なに、今の、」
「なまえちゃんとアヒルちゃん、ずーっと見つめ合ってるから。」
「な、なんで今撮ったの……?!」
えー?撮りたかったから。と辻の端的な動機に困惑していると、テーブル上に置いてあったスマホが震えた。暗転していた画面にメッセージの通知が来ており、辻を見た。人の気も知らずにメロンソーダを飲んでいる。なまえがその通知に触れると、自動でメッセージアプリが起動し、彼とのトークルームが表示された。そこにはなまえが辻から呼び出された着信の履歴と、その他に新しく一枚の画像が投稿されていた。
「ちゃんと盛れるカメラアプリで撮っといたからさ、なまえちゃんにもおすそ分け。」
「……ちゃんと盛れるって、気を遣う所そこじゃない気が、」
「まあ、いいから、まずは見てみなよ。結構、可愛く撮れてるから、」
半信半疑で画像をタップし、画面を覗く。画面いっぱいに表示された写真は過度な装飾効果のないナチュラルなものだった。肌のトーンも明る過ぎず、目も大きくなり過ぎず、と言った絶妙な加工力に、今度はその写真から目が離せなくなった。
「どう?ちょ〜いい感じじゃん?」
「……ちょーいい感じ。このアプリ、なんてやつ?」
「うーん、」
「うーん、ってなに、」
「本当は教えたくないんだけど、」
「どうして?」
ここで教えちゃったら、なまえちゃん満足して帰っちゃうでしょ?と辻は遂にコップの中のメロンソーダを飲み干した。帰る理由はあった、丁度食事も終え、店を出ていく雰囲気すら漂い始めている店内で、辻は延長を望んでいる。退屈しのぎをしていたいからだろうか、ふと問い掛けてみる。
「私が帰ると、退屈になるから?」
「そ、ご名答〜。それに俺、不良少年?ってヤツだからさ、まっすぐお家に帰っちゃったら、不良少年の名が廃っちゃうしね、」
妙な説得力になまえは『帰る』の二文字を飲み込み、それじゃあ、どうするの?この後。と繋げた。確かに帰る理由はあるのだが、それと同様に自由な時間も丁度手持ちにある。辻は、ん〜。と間を空けた後にこう言った。
「コンビニ行こ、なまえちゃん。」
「……コンビニ?良いけど、」
「今日から実装のSSRまだ取れてないんだよね。」
「ああ、さっき言ってた、……って、今日からだっけ、」
「ソイツ、ゲームバランス崩壊の人権キャラだから、チェックしとかないとダメだよ〜。」
「だったら、私も回そうかな。まだ持ってないキャラとかも多いし、」
「おお、いいじゃん。じゃあ、善は急げってことで。」
先に席を立った辻の次になまえも席を立つ。辻から貰ったアヒルのおもちゃを手に追い掛けた、会計へと向かっていく背中が楽しげに見えるのは、やっとかまってもらえた嬉しさなのか。はたまた、退屈しのぎが延長されたからなのかは分からない。しかし、あれ?なまえちゃんもなんか嬉しそうじゃん。と辻に言われると、自分自身も本当は帰りたくなかったのではないかと思うのだ。
会計を済ませてファミレスのドアを開ければ、まだ外は劣らぬざわめきで溢れている。人とざわめきに溶けていく瞬間、何かに手を攫われていた。心当たりのある人物を見れば、その人物はまた三日月のような笑みを浮かべ、彼の黒い満月の中心には驚いた顔の自分が映っていた。