中道通りをなまえと行く海藤の表情は険しかった。真横に並んで歩いているなまえは眉間の皺が深い海藤に中々話しかけれずにいた。昨日、事務所にやって来た悪徳詐欺の男の話、一昨日の強引な声掛けをしてきた二人組の男の話が既に海藤の耳に入っているらしく、この日はずっとこの調子なのだ。いつもより居心地の悪い海藤の隣で威圧的な空気に押されてはいたが、二人は今しがた新しい依頼人と会ってきたばかりだった。

「で、彼女の素行調査ときたか。最近のヤツぁ、気にしすぎでいけねえ」
「確かに、結構悩んでいる感じでしたね」
「男ならどっかりと構えてりゃあいい。それで済む話だろ?」

 今日も嬉しいことに八神探偵事務所に依頼が舞い込んでいる。八神は所用で手が空かないらしく、この依頼は海藤となまえに代理で話を聞きに行くように言われていた。最近の八神の活躍のおかげもあり、ちょこちょこと仕事が増えてきているのだ。そして、二人は依頼人が話していた『彼女』を見かけたという、ピンク通りに向かっている最中だった。

「みんながみんな、そういう訳にはいかないんじゃないですか?」
「ま、これで仕事が来るんだから、ありがてえけどよ」
「……ちなみになんですけど、どうして今日はそんな怖い顔してるんですか」
「ああ。これは簡単に近づけねえようにな、目ェ光らせてんだ」
「目を光らせてる?」
「二日連続で変な男がなまえちゃんの周りに現れてるだろ?こっちもいよいよ本腰入れねえとって思ってよ」

 やはり例の件は既に耳に挟んでいるようだ。ごめんなさい、迷惑かけちゃって。と項垂れると、なまえちゃんのせいじゃねえ。と優しい言葉が返ってきて、じんわりと心に沁みていく。
 なまえも気にしていない訳ではなかった。東、杉浦……と自分の厄介事の為に時間を割いてくれていることに、同等の感謝と申し訳なさを抱えていた。自分一人で解決出来ない問題を、誰かの力を借りて解決するのは悪いことではない。頭では分かっていても、感情面で連続する問題に心が折れそうになっていたのだ。東と杉浦はあの後も心配の連絡を入れてくれる。その度に胸の奥がもやもやとしてしまい、気分が沈んでしまったりもしている。そんななまえの姿に、海藤は一つ提案した。


「じゃあ、依頼人の目撃証言が本当か確かめたら、今日は終いだ」
「わかりました」
「んで、その後はメシでも食いに行くぞ」
「ご飯、ですか?」
「おう。こういうのは大体、腹が膨れるか、寝るかすりゃあ治る」

 可愛い後輩のためだ。今日はこの大先輩に甘えとけ。と比較的優しく背中を叩いた海藤に、なまえは曇った表情のままでいられず、顔を綻ばせながら頷いた。自分がどうしようもなく頼りないと感じた時、頼れる誰かがいて良かったと心の底から思うことがある。それはつまり、自分はまだ未熟で、しかし、まだ習うべきものがあるとあの背中が教えてくれているのだ。繊細で寄り添いすぎな優しさより、これくらい直球なものの方が気を楽にしてくれることもある。

「そうだ、ご飯で思い出したんですけど」
「なんだ、うまい店の話か?」
「海藤さん、知ってます?神室町で八神さんしか食べられないメニューがあるんですって」
「ター坊だけ?何でだよ」
「色んなお店の店員さんと仲良いみたいで、特別に食べさせてもらえるらしいです」
「あのター坊がねえ。んじゃ、今度ご馳走になるか!」
「わ、わたしは、お金払いますよ……!」

 だから、甘えとけって。と再び背中を叩かれたなまえは少しだけビリビリとした痛みにまた元気を貰えた気がしていた。


***


 そして、二人の姿はピンク通りにある。依頼人は付き合っている彼女の様子が最近おかしいと話しており、更にはピンク通りでの目撃も重なり、不安な部分があるのだと言っていた。海藤はあまり気乗りしていないが、これでも仕事には変わりないと説得し、二人は依頼人から貰った写真の『彼女』を探していた。だが、人通りの多さに『彼女』に似た人物を見つけられずにいる。もしかしたら、今日はここに来る日ではないのかもしれないと話し込むことも数回あった。

「明日、また出直してくるか」
「……そうですね。他の情報から彼女さんのこと、掴めるかもしれませんし」
「見つけられりゃあ、話は早かったんだがな」
「ちなみに彼女さんを見つけたら、どうするんです?」
「そりゃあ、とっ捕まえて話をだな……」
「……彼女さん、びっくりして逃げちゃいますよ」

 なまえと海藤が道端で話し込んでいると、ピンク通りに立ってきたキャッチの男が声をかけてきた。男は通りから、なまえの姿を目にしたらしく、お姉さん、可愛いね。から始まり、ウチで働かない?お姉さんだったら、すぐにたくさん稼げると思うよ。と勝手なことを口にしては、傍に寄り、隣にいる海藤のことなどお構いなしだった。なまえが答えるよりも先に、大きな背中に遮られる。

「おい、この子にそんな気はねえ。とっとと失せな」

 慣れた様子で人を払う海藤の顔は、一瞬で険しいものに変わっていた。元ヤクザということもあり、たったひと睨み効かせるだけで相手が逃げていく。眉間の皺の深さから相当面白くなかったのがわかる。突然、間に割って入ったかと思えば、不躾な勧誘なのだから、神室町は本当に油断ならない場所だ。それに『災い』のことも気にしているのだろう、途端に辺りを警戒し始めた海藤の元に更なる接触がやって来る。
 キャッチの男と違い、華美なシルエットであり、周囲の目を引くその人物は女性であった。しかも、一人ではなく複数人いるようで、海藤は小さく声をもらした。その後からなまえも何となく察しがついてしまい、海藤を見た。あちゃ〜……と頭を抱えている。相手が男性ならば、さっきのようにひと睨みで済んだのだが、相手が女性となるとそうはいかない。


「ね、海藤さん。今夜、どう?ウチのお店に」
「ちょっと!抜け駆けしないでよ。最近、遊びに来てくれないから寂しくて」
「そうそう。たまには付き合ってよ」

 一瞬にして海藤の周りが賑やかなものになっていき、なまえはと言うと完全に輪から外れていた。それを目ざとく見ていたキャッチの男も、なまえの傍に戻って来て、またごにょごにょと話しかけてくるのだから、なまえは思考が停止していた。海藤はこの街と馴染み深い人間だ。となれば、神室町に知り合いのような相手がたくさん居てもおかしくはない。しかし、一人放ったらかしにされている内に、なまえの中でふつふつと沸き立つ衝動があった。それは拗ねた子供の心情と全く同じ、だったかもしれない。

「あの……!」

 なまえの上げた大きな声に、海藤や周りの華美な女性達、更には隣にいたキャッチの男も目を丸くして、なまえに注目していた。視線が鋭く突き刺さる中、なまえは海藤の腕を自分のものと絡ませ、こう言い放った。

「この人、わ、私のです……!ですから、その、」

 ゆ、誘惑しないでください……!と言い切ったなまえを見て、女性達はどこか嬉しそうに破顔する。キャッチの男は場の空気を読んでか、いつの間にか居なくなっていた。当の本人である海藤はまだ驚きを隠せない。

「なんだ、やっとカノジョ出来たの?」
「だったら、付き合い悪くてもしょうがないよね」
「ていうか、彼女さんも気をつけないと。海藤さんって結構えっちだよ〜?」
「ばっ……!お前らなあ……!」

 行きましょう、海藤さん……!となまえは最後に彼女達へ頭を下げ、その場を立ち去った。無理やりに腕を引っ張って歩いていくなまえに連れられ、海藤はピンク通りの人波に飲まれていく。行き交う人波を俯きながら、掻き分けるなまえに今は任せ、海藤は彼女の意外な一面に心臓が喧しく音を立てていた。


***


「……ごめんなさい」

 場所はピンク通りから離れた、天下一通り裏の第三公園。なまえはベンチに腰掛け、両手で顔を覆ったまま動かないでいた。その隣に大股で腰掛けているのは海藤で、なまえから何度も必死の謝罪を受けているところだった。

「いや、俺は別に気にしてねぇよ。少しは驚いたがな」
「ほんとうにごめんなさい」
「どうして、あんなマネを?」
「それは、」

 蚊帳の外にいたなまえは思考が停止してはいたが、あたふたとして強く断れない海藤の姿を見ている内に衝動的になってしまった。時折、自分を気にかけて、チラチラと視線を逃がしている姿を見て、何もせずに待っていられなかったのだ。消え入りそうな、か細い声で事の動機を明かせば、なまえは余計に俯き、黙って首を横に振るばかりだった。

「なんだよ、やきもちか?」
「や、やきもちとか、そう言うのじゃないです……!ただ、」
「ただ?」
「……ただ、海藤さんが困ってたから」

 それで、つい……。本当にごめんなさい。
 ここでようやく顔に貼り付いていた手が取れ、なまえの沈む目を見た。談笑していた時と違い、明らかにブルーめいた感情が滲んでいる。申し訳なく思うことなど、ないだろうに。言葉を選ぶより、先に手が触れた。パンパン、と軽い音を立てて、海藤がなまえの肩を叩いている。

「そうか。気ィ使わせちまって悪かったな。でも、おかげで助かったぜ。ありがとよ」
「……いえ、そんな」
「なまえちゃんがああやって体張ってくれなきゃ、今もまだ捕まってたかもしれねえ」
「海藤さんには、いつも助けてもらってますから」
「だが、あれは相手を選ばねえとな」

 勘違いする野郎が出てきてもおかしくねえ。と沈む目を覗き込めば、次第に何かが込み上げてくる。ぷ、と吹き出すように笑ったのは、なまえだった。たったそれだけで青みがかった瞳が暖色に染まる。よっしゃあ!やっと笑ったか。と海藤も嬉しそうに笑い、互いの緊張の糸がようやく切れた瞬間だった。

「あれで勘違いしてくれるんですか?」
「おうよ。世の男はああいうのに滅法弱え」
「ふふ。でも、もうやらないと思います」
「そうか?悪くなかったぜ?」
「あれは、その、咄嗟のことでしたし、」

 子供っぽい行動だったと、視線を逃がすなまえはどこか照れているように見える。海藤が何気なく訊ねたところ、なまえは笑わないでほしいとだけ約束を取り付け、話し始めた。海藤もこの時は深くは考えていなかった。なまえの話がどれだけ内情を煽るものかを知らずに。

「……あの時、実は寂しかったんです」
「寂しかった?」
「海藤さんを取られちゃったような気がして」

 何言ってんだ。と海藤はなまえの言い分を笑うつもりでいた。だが、思わぬ一言に海藤は弾かれたようになまえを見た。……な、なんですか。と首を傾げているなまえに、自分が狼狽えていることを悟られぬように言葉を濁し、その場を取り繕う。しかし、あの言葉を聞いてしまっては、自分がまるで勘違いを起こす側の人間のように思えて冷静ではいられなかった。

「みなさん、綺麗な方達だったので余計に」
「まあ、みんな飲み屋の姉ちゃんだからな、はは……」
「お店、行きづらくなっちゃいましたよね」
「あ、いや、それはなまえちゃんが気にすることじゃねえだろ」
「この埋め合わせは必ずします。ですから、何かあったら遠慮せずに言ってくださいね」
「え、ああ、……おう。そうさせてもらうわ」

 すっかり表情の明るくなったなまえとは対照的に、余裕なさげな雰囲気を漂わせているのが海藤だ。迷惑ではなかった、ああやって場を乗りきってくれたことは。寧ろ、彼女の強かさを目の当たりにして成長を感じていたと言うのに。小難しい理屈や言い分が目まぐるしく浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返している。だが、自分は八神のように頭で考えてから動くタイプではない。


「だ〜〜ッ!やめだ、やめ!」
「海藤さん……?」
「しばらくは事務所で飲む!それになまえちゃんも付き合ってくれりゃあいい」
「わ、わかりました……!」
「そんで、やっと仕事も終わったことだし、メシ食いに行くぞ!」
「はいっ!」

 勢いよくベンチから立ち上がった海藤につられてなまえも立ち上がる。そして、今度はと言わんばかりになまえの手を取った海藤は、やけにむしゃくしゃする心境のまま、七福通り東にある韓来を目指すのだった。