今日の八神探偵事務所になまえの姿はない。だが、その代わりに八神、海藤、杉浦の姿があり、東は後から遅れて来るのだと言う。三人、事務所に詰め寄って話し合うとすれば、ここ最近話題に上がり続けた彼女のことだ。

「それで結局、何が『災い』だったのか、わからねぇとはな」
「でもさ、話を聞いてるとなまえさんも大変な四日間だったんじゃない?」
「確かに、おかしいくらい立て続けにトラブルに巻き込まれてる」
「大なり小なり、どれにも男が関わってるわけだし」
「なら、逆にもう何も起こらねぇんじゃねえか?『災い』っつったって、流石にネタ切れになんだろ」
「どうだろうね」

 他に変わったところってなかったの?なまえさん。と口にした杉浦の一言で、途端に事務所内の空気が変わる。三人がそれぞれ目を合わせないように、それとなく視線を逸らしている。言い出した本人である杉浦さえ、どこか気まずそうだ。『災い』の他に変わったところなら、ここにいる三人、外出中の東も含めた四人全員に心当たりがあった。言うべきか、言わないべきか。張り詰めていく空気に三人の口は重いままだった。


「もし、何かまだ言ってないことがあるなら言って欲しい」

 沈黙を貫き通して数分後、先に口を開いたのは八神だった。自分達が話を曖昧にして一番困るのは彼女だ。『災い』の正体も分かっていない、『きっかけ』だと言われた意味も解明していない。こんな状態で彼女が『災い』から解放されたとは言えないはずだ。杉浦、海藤も八神の言い分に納得し、頷いている。彼らも彼女のことを不憫に思っているのだろう、遂に三人は連続したトラブルの他に何があったのかを、一人ずつ話し始めた。

「じゃあ、僕から」

 意を決して、彼女との出来事を話したのは杉浦だった。彼は二日目において、この事務所に押しかけてきた悪徳詐欺業者を撃退している。だが、他にも事務所での出来事はあった。八神が事務所を構えているビルのオーナーである、冨岡が差し入れにハンバーグを持ってきたこと。なまえの働きぶりを初めて見たこと。あとは……、と今まで流暢に話していた杉浦が途端に言葉を濁している。

「なんだよ。そこでだんまりされちゃあ、余計に気になるだろうが」
「なんて言うか、別にやましいことじゃないんだけど、」
「杉浦、頼む」
「じゃあ、八神さんも海藤さんも怒らない?」
「怒らない、ってどういうことだよ」
「僕が今からする話、聞いても怒らないかって」
「大丈夫。俺も海藤さんも怒らないよ、約束する」

 杉浦はあの日、なまえと何があったのかを話し出した。悪徳詐欺業者を撃退した後、彼女は自分をとても労ってくれたのだと。彼女は頭を撫でられるより、撫でていた時の方がとても嬉しそうだったこと。自分の前ではしっかりとした年上の女性でいようとしていたこと。杉浦しか知りえない全てを二人に明かせば、二人は目を丸くして驚いているようだった。海藤に至っては眉間に皺が寄り始めている。

「つーことは杉浦、お前はなまえちゃんといちゃいちゃしてたってことか?」
「ちょ、ちょっと、怒らないって言ったでしょ!」
「いや、俺は怒ってねぇよ。ただもう少しじっくり話が聞きてえと思っただけだ」
「まあまあ、海藤さん。約束だから」
「じゃあ、海藤さんはどうだったわけ」

 あ?と更に皺が深くなっていた海藤に、今度は杉浦が訊ねた。なまえさんと二人きりの時、何してたの。怒らないから、言ってみて。と強気で迫ってくる杉浦に、海藤は八神に助けを求めた。しかし、今は丁度その話をしている。その為、八神からの助けは得られなかった。

「わかったよ。話せばいいんだろ、話せば」
「言っとくけど、なまえさんに変なことしてたら僕怒るから」
「お、お前、さっき怒らないって……!」
「変なことしてたらの話」

 海藤は三日目における、彼女との出来事を語る。八神の代理で依頼人に話を聞き、彼女の素行調査を行うべく、二人でピンク通りに向かった。だが、そこで依頼人の彼女の姿を見つけることは出来ず、撤退したと。今のところ、おかしなことは起きていないと杉浦は黙って話を聞いていた。それから、なまえにキャッチの男が声を掛けてきたこと。次に自分が飲み屋のお姉ちゃんに捕まったこと。そんな状況を打破してくれたのは、なまえの意外な行動だったことを明かす。

「へえ、それで海藤さんはその日一緒にご飯行ったんだ」
「まあな。なまえちゃんも結構悩んでるみたいだったし、」
「でもさ、まだお店のお姉さん達には誤解されたままなんでしょ」
「何がだよ」
「なまえさんのこと。海藤さんの彼女だって勘違いされたままでしょ」

 杉浦の鋭い指摘が深く刺さる。やけに痛いところを突かれたようで、海藤は何も言い返せなかった。海藤はあの日、なまえに店に行きづらくなった分、事務所で飲むから付き合ってくれればいいと言ってある。杉浦がこれを聞いたら、相当怒るに違いないと思ったのだ。

「まあ、杉浦。落ち着けって」
「言っとくけど、次は八神さんだよ」
「そ、そうだぞ!ター坊」
「俺は特にこれと言って……」

 一緒にダイキューしに行ったくらいかな。ダイキューって、あの?最近オープンしたばっかのVRとかなんとかの店だろ?
 八神の話には特に噛み付く要素がなかったのか、杉浦と海藤は大人しいままだった。しかし、京浜同盟の追っ手から逃れた先で、彼女のことを懐に収めたことは伏せていた。あれは偶然だったのだ、身の危険を回避する為の必要行動だったのだと八神は強く思っている。

「あとは東だけか、」
「でも、東さんなら海藤さんと違って、変なことしてなさそうだよね」
「まあな。ああ見えて、アイツ根は真面目だからな」
「本人が居ない時にそれ言うの、可哀想だよ」

 三人はそれぞれ椅子に深く腰掛けると、ため息を吐いた。それぞれの話を聞いても、怪しげなところが何一つ見つからないのだ。それは恐らく、東の話を聞いても同じことだろう。今頃、なまえは何をしているだろうかとぼんやり考えては、『災い』という目に見えぬ不確定なものに踊らされている自分達がどこか情けなかった。


***


「今はもう、あの『災い』は見えない」
「え、ほ、本当ですか……!」
「ええ、本当。でも、凄く強い何かを感じる」
「強い何か?」
「最近、特定の異性と距離が縮まったことはない?」
「異性……?いえ、これと言って何も」

 おかしい。と顎に手を添え、深く考え込むのはあまねで、その問いに首を傾げているのはなまえだった。この四日間、男性絡みのトラブルに見舞われはしたが、その中で誰かと恋愛感情を育んだ場面はない。もしかしたら、あの時……と思うところはあれど、相手にとってはそうではないかもしれないと、可能性をゼロだと信じて疑わなかった。だが、なまえの言葉をあまねは素直に受け止められずにいた。何故なら、彼女が今見ている『強い何か』の存在がブレてしまうからだ。

「いいえ、あなたは確実に誰かと心の距離を縮めたはず。だから、数日の出来事は『きっかけ』でしかなかったの」
「そう言われましても……」
「本当に心当たり、ない?」
「はい。みなさん、『災い』から守ってくれる為に付き合ってくださったので」
「そう」

 なまえの答えにあまねは返す言葉もなかった。彼女自身、自覚があるのなら新しく見えた『災い』の話をするところなのだが、自覚がないと来れば話は別だ。ただ、それとなく今後も異性関係には気をつけることと釘を刺し、なまえもそれに深く頷いた。

「でも、異性関係って今のところ無縁ですからね……」
「意外とそうでもないかも。ただはっきりと分かっていないだけで」
「そういうものでしょうか……?」
「運命に身を委ねるのです。そうすれば、きっと」

 あ、あまねさん……。ふふ、ほら泣かない。だって、なんか凄く優しい言葉かけてくれるから。焦ってもしょうがないわ、あなたの周りには好意が渦巻いてるから。またそんな調子のいいこと、言って。
 真剣に受け止めていないなまえに、あまねは本当に自覚がないのだと知る。八神からなまえについて相談を受けた時、彼が出した三人の名前から感じるものがあったのだ。なまえが彼らの好意に気づいた時、真の意味で『災い』がやって来るのだろう。今はまだそれについてはあまり語らないでいようと思う。しかし、あまねには一つだけ引っかかっていることがあった。不意に遮るように映った赤いジャケット。なまえと親密になるであろう赤いジャケットの誰か。


「本当に大変ね、あなた」
「あ、もしかして、何か見えたんですか……?!」
「運命に身を委ねるのです」
「そう言って、なんか誤魔化してません?」

 そんなことは全く。と笑顔で返したあまねに、なまえは疑いの目を向けていたが、彼女の言う通りで運命とやらは突然やって来て、色んなことを掻き乱していくのだろうと悟った。そうですね、身を委ねようと思います。と返せば、また何かあったら連絡して。と神秘的な笑みを浮かべたあまねに頷いていた。