一枚の分厚いガラス越し、向こう側でか細い手がそれを掴もうと何度も上下する。手を伸ばす位置が良くても、指先を掠めるばかりでうまく取れない。しっかり握ることが出来ても、伸ばした手の非力さにそれは落ち、ガラスケースの中をころころ転がっていくばかり。
 惜しい、あともうちょっと、頑張れ、ああっ!なんで今ので落ちるかな〜……!もっかいだ!いけるいける……!とガラスケースの前では賑やかな会話が繰り広げられている。賑わいは落ち着くどころか、それが取れなければ取れないほど、ぼとり、と落ちれば落ちるほどにヒートアップしていく。

 ここは異人町にあるクラブセガ中華街店のUFOキャッチャーコーナー前。軍資金なんて大したものは用意していなかったが、退屈しのぎにぶらりと街を歩いていた矢先に二人が足を止めたのが、このゲームセンターだった。勇ましい足取りで店内へ入り、何で遊ぼうかと物色していたところ、真っ先に釘付けになったのは彼女の方で、指を指した方向には猫のぬいぐるみがちょこんと座しており、よっしゃ!いっちょやってみっか!と二人でプレイし続けているのだが。

「だぁ〜っ!こんなに取れねぇもんか、最近のヤツはよぉ……!」
「春日さん、ちょっと足立さん呼びましょうよ」
「そういや、足立さんこれうまいっつってたな」
「なんだっけ、キャバ嬢の子に取ってあげてたんでしたっけ」
「そうそう。足立さんもこんな難しいの、よくやるぜ」

 もうやめて、プリクラでも撮ります?プリ……?ああ、あの写真撮るやつか!でもなぁ……。あ、やっぱり引っかかります?おうよ、もうこうなったら足立さん投入だ!わ〜〜〜!
 賑わう店内以上に賑わう二人はもう引き返せないと、強力な助っ人である足立を呼び出すことにした。しかし、敢えて春日からではなく、なまえから声をかけることで快諾してくれるだろうと連絡をしてみれば、予想の通りすぐに来てくれることになった。

「しかし、足立さんも女の子に弱えよな」
「誰にでもデレデレしなかったら、優しい人なのにね」
「おい、それ足立さんの前で絶対言うなよ」
「どうしてですか、」
「そりゃあ……、足立さんだけずるいだろうが」

 春日の言った、ずるいの一言がうまく理解出来なかったが、なまえが春日とおしゃべりに興じていると、先程の二人に次いで勇ましげに店内に入ってくる人物がいた。おっ、いたいた!と聞き慣れた声の主は二人のよく知る、足立本人であった。

「あ、足立さん!こっちこっち!」
「なんだよ、春日もいんのか。俺ぁてっきり、」
「まあまあ、そんなつれねぇこと言うなよ」
「俺はなまえちゃんと二人きりで……」
「足立さん、あの猫のぬいぐるみなんですけど、」

 子供のように不貞腐れる足立の意識を春日から、ぬいぐるみの景品に逸らし、あれが中々取れなくて……。と足立に話した。すると、いや、あれは比較的楽な方だ。ちょっと待ってな。と財布を取り出し、その中のぎらりと光る百円玉を機体の投入口に投下した。ポップな音、『1』と表示されたプレイ回数、手首をぐるりと回した足立の不敵な笑み。そして、どんと身構えた足立の両脇から春日となまえが顔を覗かせる。

「いいか、こう言うのはな、ぬいぐるみの位置をよく見るんだ」
「位置なら正面と横側からちゃんと見たぜ」
「いいや、位置だけじゃねえ。ぬいぐるみの形もよく見て……、」

 カチ、カチ、と細かくレバーを動かし、何度も正面、側面から覗き込んで、ぬいぐるみの位置にアームを合わせていく。ぴたり、と揺れの余韻を残したアーム、その真下にあるのはなまえが欲しがる猫のぬいぐるみ。そして、遂にボタンは押し込まれた。
 自分たちの時とは違い、やけに頼もしく見える手がぬいぐるみ目がけて伸ばされていく。足立、春日、なまえの目はその瞬間を今か今かと待ち、釘付けになっている。三人もの大人が眉間に皺を寄せ、固唾を飲んで見守っている姿はある意味異質ではあった。

 大きな手のひらでぬいぐるみの頭に触れ、しっかりと持ち上げていく。大丈夫だろうか、途中でぐらりと揺れて落ちてしまわないか、このままなら大丈夫そうだが、持ち上げられたぬいぐるみがぐらぐらと揺れている!しかし、一番不安なのはあのアームが上に戻った時の衝撃だ。あの衝撃にやられて今まで何度も悔しい思いをしてきた。

「だ、大丈夫か、足立さん」
「まあ、いいから見てろ」
「どきどきするね、」

 緊迫した一瞬、ぬいぐるみは知ってか知らずか些細な振動に傾いてみたり、そのまま安定姿勢を保ってみたりと大の大人三人の不安を煽る。クレーンゲームのプロである足立でさえも読めないぬいぐるみの不安定さに口を閉ざし、全敗だった春日は尚のこと不安さを露呈させている。なまえに関しては両手を組み、ひたすらに神頼み。クレーンゲームの神など存在するのかどうかはさておき、それほどまでに三者三様の一瞬がこの場に存在していた。
 技術が気まぐれに勝ち得るか、露骨な不安に救いの手が差し伸べられるか、祈りが神に届くか。結果は既に出ていた。それぞれの集中を遮るように聞こえた軽い音に、三人はガラスの奥で揺れている身軽なアームを見る。その手にぬいぐるみの姿はなく、かと言って向こう側のどこにもあのぬいぐるみは居ない。

「あっ」
「えっ、」
「ん?」

 味気ない反応が出揃ったところで、三人は気付く。見失ったぬいぐるみがどこに隠れていたのか。それはクレーンゲームの取り出し口にべたっと横たわっており、三人の元に喜びが遅れてやってくる。沈黙数秒、衝撃一瞬、歓喜の声が上がるまで一分もかからなかった。これまた大の大人が三人寄り添って、取り出し口を覗き込んでいる。その顔は皆嬉しそうに緩み切っていた。

「おい……、マジで取れちまったぞ」
「あんなに、あんなに取れなかったのに」
「俺にかかれば、ざっとこんなもんよ」
「つっても足立さんもハラハラしてたじゃねぇの」
「え、本当?」
「んなこたぁいいんだよ、さ、早くなまえちゃん取りな」
「そ、それじゃあ失礼して……、」

 恐る恐る手を伸ばし、奥に横たわったままのぬいぐるみの手を取る。手に汗握る展開だったせいで、僅かにかいた手汗を申し訳なく思いながら、ふわふわとした柔らかな彼、もしくは彼女の手をそっと握り、手前へと引っ張り出せば、そのにこやかな笑顔についつられて破顔する。柔らかいこと、可愛いこと、嬉しいことを傍にいる二人に伝えようと視線を戻すと、春日と足立は互いに目を丸くしたまま、こちらを見ていた。先程とは全く違う、きょとんとした顔にまた笑みがこぼれる。柔らかな肌触りのぬいぐるみを腕に抱き、ありがとうございます。と頭を下げれば、頭上から慌てふためく声が降ってくる。

「取ってやれなくてわりぃな、本当は俺だって取ってやりたかったんだ」
「もちろん、わかってます。ふふ、春日さんもありがとうございます」
「なんだかいい気分だなぁ、そこまで喜んでくれるんなら何個でも取ってやりたくなるってもんだ」
「わたし、この子だけで充分ですから。足立さん、本当にありがとうございます」
「そうか?はは、年甲斐もなく照れちまうなぁ」

 ようやく残りの二人も笑顔を見せたところで、なまえはふと思いつく。折角、ぬいぐるみも取れたことだし、何か食べに行かないかと。ちらりと見た腕時計もまだ遅い時間ではないと告げている。気分もよく、時間もある。ならば、今更断る理由を並べてしまうのは無粋のような気がして、誰もが頷き、その足は退店を迷わずに選ぶ。

「何が食べたいですか?」
「そうだな、ガッツリとまでは行かねぇが軽く食っておきたいくらいだな」
「俺は一杯引っかけたいところだが、そうだな、なにか軽くつまみたい気分だな」
「軽くって言うと、中華まんとかですか?」
「お、いいじゃねぇか。なあ、足立さん」
「美味いんだよなあ、肉まん」
「確かこの近くにありますよね、お店」

 蒸酵房つったか?そうそう。ん?じゃあ、究極の豚まんが食えるっつうのはどこだ?それはお土産屋さんの近くのお店ですよね?でもよ、あそこって隣に同じような店あったよな?……ち、ちなみにどこの中華まんがいいかなんて決まってないです、よね……。
 店を出てすぐに三人の足は立ち止まっていた。ここは横浜の中華街。中華料理店も多ければ、そのような軽食屋もあちこちに点在している土地だ。食べ歩きという言葉で連想される地名の一つである横浜で、一つの品を探すことの方が難しいくらいにここは中華料理に溢れている。

「どうしましょうか」

 なまえは立ち止まったままの足元を見下ろしながら、鼻先をくすぐる食欲をそそる匂いにどうしようか考えあぐねていた。それは他の二人も同様で、どうすっか、どうすっかねぇ、と似た言葉を口にする。
 そんな数の多い選択肢に悩まされた大の大人三人がゲームセンターの店先で立ち止まっている姿を偶然にも見かけた人物がいた。ぶらりと気まぐれに、且つ軽い足取りでその輪に自然に加わると同じように眉間に浅い皺を寄せながら、春日くん達、こんなとこで何してんの?とこれまた軽い口調で問い掛けた。

「ああ?今ちょっと取り込み中でな」
「あれ、なまえちゃんその手に持ってるの、ここの景品かな?」
「足立さんが取ってくれたんですよ!」
「へえ〜、足立さんの意外な特技ってヤツ?今度、俺の分も取ってくれない?」
「野郎はお断りだ」
「ちぇ、じゃあコツだけでも教えてよ」
「今はそれどころじゃねぇんだよ」

 だから、皆で何してんのって聞いてるでしょ。と話が元に戻ったところで、先にその人物に気付いたのは、立ち止まった爪先に見飽きたなまえだった。

「あ、趙さん」
「やっと気付いてくれた?春日くんも足立さんも全っ然気付いてくれないからさ、ちょっとさみしかったんだよね」
「どうしたんですか、こんなところで」
「それはコッチのセリフ。たまたまここら辺をぶらついてたらなまえちゃん達を見かけて、それで今こうして輪の中に混ざってるってわけ」
「実は今、ちょっと困ってて」

 困りごと?また春日くんと足立さんが絡まれたとか?と趙は口元に指輪でぎらつく手を添え、にやついた笑みを見せる。なまえは恥ずかしい話なんですけど、と置き、今も頭を悩ませる中華まんの店について打ち明けると、拍子抜けといった趙の表情が相槌代わりに返ってきた。

「今日もこの街は平和だね」
「趙さん、おすすめのお店知ってたりします?」
「まあ、おすすめの店は知らないけど、ここにやたらと料理の上手い人がいるじゃない」
「趙さんって肉まんも作れちゃうんですか……!」
「材料と場所さえあればね」

 えええ、すごい……!と黒目を輝かせたなまえに気を良くした趙は、買い出し手伝ってくれるなら作ってあげよっか。と更になまえとの距離を詰め、ささやくように呟く。趙の優しい提案になまえは隣で未だに悩み続けている春日と足立に声をかけ、ようやく決まった選択肢を、行き先を伝えれば、どちらも納得したらしく、うんうんと頷いてみせた。

「確かに趙の作る肉まんってのも美味そうだな」
「下手に悩むよりは上手いヤツに作ってもらった方がいいのかもしれねぇな」
「じゃあ、あの、趙さん。私たちもちゃんとお手伝いしますから、よろしくお願いします」

 いいよ、それじゃあ行こっか。と楽しい作戦会議を終えた三人と趙はようやく店の前から離れることとなり、新しく加わったぬいぐるみと共に近くのスーパーへと連れられて行った。