あの三人が食事を終え、店を出た後でなまえは趙に休憩を持ちかけられた。元々、客足の少ない店だったこともあり、片付けも三人がいたあのテーブルだけで済む。なまえが了承すると、趙は厨房を飛び出し、近くのカウンター席になまえと共に腰を下ろした。

「なまえちゃん、あんまり愛想良くしちゃ駄目」
「もしかして、さっきのお客さんのこと?」
「そ。俺、ちょっと久しぶりにメラっと来ちゃった」
「や、やだなあ。もう私たち、そういう可愛い関係じゃないのに……」
「そんなこと言って、すごく嬉しそうな顔してるけど」

 そ、そうかな……?と突然、慌ただしくなった表情や手の動きに、趙はなまえが器用な相手ではないと思い出した。そこが彼女の好きなところでもあるのだが、その人懐っこさに悪質な男が寄り付かないよう、気を引き締めておきたかったのだ。彼女は気付いていないが、本当に嬉しいことがあった時は左手の指輪に触れる。これは一生を添い遂げると約束した日から見られるようになった、彼女の新しい癖だ。

「俺はいつだって付き合ってた頃と変わらないつもりでいるんだけどな」
「なら、私だって前みたいに」
「それはなまえちゃんに任せるよ。でも、俺はまだ可愛い関係をやめたくないんだよね」

 こうやって夫婦にもなったのに、子供っぽいかな?ううん、そんなことない。だって、今じゃなまえちゃん、滅多にやきもち妬いてくれなくなっちゃったし。そ、それはお店にいると、女の子とかあんまり来ないから……。それってなまえちゃん的に嬉しい?……うん、実を言うと嬉しい。へへ。そっか、じゃあいいや。
 膝の上に置かれた彼女の右手に、趙は自分の左手を重ねる。煌びやかで派手な指輪に彩られた薬指の付け根には、ひっそりと光るプラチナが隠されている。過干渉や束縛などは二人の間に存在しなかった。しかし、その代わりに素直でいることを互いの約束として交わしている。喧嘩をしようが、愛おしく思おうが、切なさに砕けそうになろうが、思ったことはしっかりと相手に伝え、受け止め、共に考える関係を築いていた。

「でも、珍しい。今までこんなことなかったのに」
「そうだね。下のヤツらなら、俺たちのこともよく分かってるし、一見さんはまずそんなことしないでしょ」
「じゃあ、海藤さん達を連れてきた鉄爪さんは」
「ちょっとあとで顔見せに行こうかな」
「……ふふ、だめ。鉄爪さん、本気にしちゃうから」
「いいんじゃない?相手はマフィアの構成員なんだし」
「ううん、下の子に意地悪しない」

 なまえちゃんがそこまで言うなら、しょうがない。と肩を落とす趙に、心配してくれてありがとう。となまえは笑いかけた。二人の間に心地よい雰囲気が生まれ、二人は突然無口になってしまった。重ねた手は解けずにそのまま、視線も時折すれ違うばかりで滅多に相手を見なくなった。照れ臭さだけが加速しているようだった。趙については不明だが、特になまえは付き合っていた頃のことを思い出しては頬をほんのりと赤らめている。

「なまえちゃん、」
「なに……?」
「ご飯食べたら、今日はもう店閉めよっか」
「どうしたの、突然」
「なんか、二人で過ごしたくなっちゃって」
「なにそれ、ふふ」
「お客さんになまえちゃん取られっぱなしだったから」

 それ、ずる休みだよ。いや、なまえちゃん取ったアイツらの方がずるい。……人手、増やす?うーん、まだこのままがいいなぁ。そう、じゃあ今日だけね。重なっていた手の指がぎゅっと絡んでいく感触に、なまえは趙を見た。惹かれ合う時、人はいつも無口になってしまう。店内の二人もそれは同じだった。換気扇の音だけが店内に響き、二人は少しだけ前のめりになる。夫婦になっても、愛情表現はまだ恥じらいの伴うものだった。だからこそ、指先や唇が触れ合う時、とても満たされるのだろう。鼻先を僅かに掠め、あと数センチという所で、いきなり店内に勢い良く駆け込んでくる人物がいた。


「なまえちゃん!俺の携帯、見なかったか?!」

 再び店を訪れたのは、海藤だった。突然のことでなまえは驚き、上手く返答が出来なかった。しかし、趙は至って冷静に席を立つと、海藤が先程まで食事をしていたテーブルに近付き、目に付いた何かを手に取る。そして、お客さんが探してるのってコレでしょ。と海藤の目の前に差し出した。

「おう。これだよ、これ。悪ぃな、突然押しかけちまって」
「良いタイミングだったね。もう今日は店じまいにするとこだったから」
「すぐに戻って来て正解だったぜ」
「か、海藤さんも忘れ物、気をつけてくださいね」
「全くだぜ。じゃあな、おふたりさん」

 悪びれることなく、海藤は店を後にする。なまえはまだ胸が高鳴っているのか、胸元に自分の手を当てており、趙は念の為に外の様子を窺っていた。付近の通りに海藤や後の二人の姿がないのを確認すると、胸を撫で下ろしているようだった。そして、店内に戻り、表の看板の照明を落としていた。

「ほんとにあの人、凄いね。とことん、やられてる気がする」
「で、でも、良かった。その、……してるところ見られなくて」
「逆に見せてあげた方が良かったかもしれないよ」
「わ、私の気持ちも尊重して……!」
「大丈夫、なまえちゃんの嫌がることなんかしないから」

 海藤が去り、また静寂が辺りを包む。妙な気まずさと共に二人が置き去りにされていた。なまえはまだ胸元の手を退かせず、趙も椅子に腰掛けるが黙ったままでいる。

「……えっと、」
「うん」
「さっきの続き、する……?」
「どうしよっか。なんか俺、また邪魔されそうで怖いんだよね」

 それでも、する?と問い掛ける趙に、なまえは意を決して一度頷いた。それを見ていた趙はそれ以上何も言わず、我先にと前屈みになり、なまえの緊張しいな唇に触れた。ちょん、と触れるだけのそれになまえは嬉しそうに微笑んでいた。きっと少し抑えている部分があるのだろう。なまえの口元が時折柔らかく歪むのを見て、込み上げてくる熱い感情にまだ飲まれぬよう、自分を律するのだった。