女は謎めいた顔で自分を見上げている。男は近くにあった手頃なシーツで彼女の体を汚す血を拭いていた。下腹部、くびれ、胸元と際どい箇所に触れると、女ははにかんで笑う。くすぐったそうに、または嬉しそうに。呼吸の度に膨らんでは沈む、女のなだらかな肉体にヤクザの男は触れていた。すると、女はするりと男の下を抜け出て、バスルームからタオルを持って来た。そのタオルは水で湿っており、女は男の傍に腰掛けると血で汚れた口や鼻の周りを丁寧に拭っていく。

「組長さんはかすり傷だって言ってくれたけど、そうは見えない」
「あァ?俺の言葉が信じられんっちゅうんか」
「そう。だって、かすり傷より痛々しいんだもの」
「あ〜……、そらぁ血が出とるからや」
「だから、今から優しくしてあげる」

 ごめんなさいね。と女は初めて悲しげな顔を見せた。こんな時にこう思うのは、少しアレなのかもしれないが、正直悪い気はしていなかった。自分に甲斐甲斐しくしてくれる女はランジェリー姿の軽装で、ある意味自分に惚れ込んでいる人物だ。そんな女を前にしてヤクザの男はそれとなく、それとなく手を伸ばしてみた。不自然にならないよう、それとなく。

「おさわりしていいなんて言ってないわ」

 臀部に伸びた手を見透かしていたかのように、悲しそうな顔を貼り付けたまま、男の手を捻り上げる。……や、優しくしてくれるんとちゃうんか。と愚痴る男に女は、それとこれは別。とバッサリ言い切った。

「ガードが緩いんか固いんかはっきりせえ」
「組長さんはすぐに手を出すタイプなの?」
「誰でもええわけやないけどな」
「嬉しいこと言ってくれるけど、おさわりはダメ」

 ……なら、触らんと何すんねや。ずいっと迫る男に女は、わたし結構、貞操観念しっかりしてるのよ。と言い放った。それに初デートじゃ、キスまでが普通でしょ。と優しく男を押し倒し、女はベッドを離れた。やんわりとバウンドする体に男は、膨らみすぎた期待が萎んでいくのを感じていた。
 すっかり荒れ果て、ボロボロになった一室で二人はじゃれ合うように過ごしている。中身のない話をしたり、汗が気持ち悪いからとシャワーを浴びたり、眠たくなればベッドに横たわる。時折、男が女にこっそりと迫ってみれば、やはり駄目だと押し返される。そして、女はこう言うのだ。今日はデートの約束でしょ。退院おめでとう。と頬に軽くキスを添えて、女は再びベッドに潜り込んだ。丸く膨らんだシーツのシルエットが恨めしい。こんなことなら、あの時の来客は無視して彼女に付き合うべきだったと、ベッドの上で大の字に横たわった。ちらりと横目で女を見れば、女も乱れた髪の隙間からこちらを覗いていた。

「なんや、そないにじっと目ェ見て」
「明日からもよろしくねって」
「今からでもよろしくやれるんちゃうか?」
「今日は快気祝いでこうして付き合ってあげてるけど、明日からは元の関係に戻るのよ」
「どんな手ェ使うても俺を殺るっちゅう話か」
「しつこくつきまとうわ。あなたの最期は私が看取ってあげるの」
「今みたいにか?」
「そうね、出来ればベッドの上で安らかにしてもらいたいわ」
「なら、腹上死やろなァ……」

 それなら簡単ね。組長さん好みの女の子用意しておけばいいんだもの。……お姉ちゃん、エグいこと考えとるやろ。そんなことないわよ、一番気持ちいい瞬間に死ねるなんて最高じゃない?
 私にはよく分からないけど。と彼女はあたかも自分が正常側であるかのように話をしているが、元を正せば殺し屋も極道もどちらも異常側ではないかと思うのだ。

「あんなァ、お姉ちゃんも俺もそない変わらへんで」
「な、なんでよ」
「人のタマ獲っとる時点でアカン側の人間やろが」
「そんなことないわ。こう見えて家族は大切にしてるし、簡単に体は許さないし、」
「でも、人に毒飲ませたやないか」
「……アカン側でもまともな方じゃない?」
「いや、まともちゃうで」

 それにまともなヤツやったら、こないに部屋荒らさへん。せやろ?途端に正論で返されたなまえはばつが悪そうに、シーツを頭まで被ってしまった。……だって。と小声で続けたなまえの言葉に真島は面食らうことになった。

「……だって、私がいるのに他の子によそ見してるんだもの」
「なんや、お姉ちゃん。ヤキモチ焼きかいな」
「じゃあ、もし私が組長さんと同じ状況だったらどうするの」
「そないなもん、決まっとるやろ。相手の男、半殺しや」
「ほら、やっぱり」

 もぞもぞとシーツに包まって蠢いているなまえはこっそりと真島の太腿に頭を乗せた。そして、ちょこんと顔を出してはすぐに横を向く。真島はそれが意外だったらしく、咄嗟に上半身を起こすと膝元でそっぽを向いている彼女の頭に触れた。さらさらと髪が流れ落ち、指に触れる感触は気持ちのいいものだった。

「わたし、眠たくなっちゃった」

 なまえは眠たそうに瞬きをしている。メイクはシャワーを浴びた際に落としていたようで、何度も手で目をこすっては大きなあくびを噛み殺していた。確かに肌に触れると、やけにあたたかく体温も上がってきているようで、本当に眠いのだと知る。

「なんや、俺の膝枕で寝たいんか」
「だめ?」
「……えらいかわい子ぶっとるな」

 なまえは敢えて何も言わず、じっと見上げている。眠たそうに蕩けた瞳が何かを訴えるように見つめている。無言であるが故に真島も変な態度は取れないと、なまえの要求を了承するしかなかった。

「ったく、好きにせえ」
「ありがと」

 嬉しそうにふにゃふにゃの笑顔を見せたなまえに、真島は不覚にもどきりとした。相手は自分の命を狙う殺し屋だと言うのに、全くそう思わせない自然な態度や表情に真島は心中をかき乱されていた。本来ならば、今すぐにでも自分の身を脅かすものは消しておいた方がいい。しかし、彼女に限ってはそう思えない。自分とどこか似ていて、人一倍自分に執着している彼女を手放す気にはなれなかったのだ。それに、こうしてじゃれ合うような関係も悪くないと思えた。そう思ってしまうのは、相手が彼女だからだろうか。