服毒、爆破、器物破損、殴る蹴るの暴行は当たり前。体格差を考えた上で必要とあらば、物騒な得物を手にすることも厭わない。真島の中で一躍有名になった彼女は、真島とのデートを最後に姿を見せなくなった。しかし、真島はそれでも神室町を闊歩するのを躊躇わず、自分の庭のように彷徨いては夜な夜な待ち人を探す。
今夜の彼女は何を考えているだろうか。どこに身を潜めて、機を狙っているだろうか。見ず知らずの他人が繁華街の通りを喧しく埋め尽くす程に、密かに血が騒ぎ立てるのだ。その喧騒の中に彼女がいるとして、どのように ──── 。
ふと、背後が静かなことに気付き、足を止めて振り返ってみれば、自分の『子』が地面に伏しているのが見えた。悲鳴一つ上げることなく、静かに襲われたのだろう。こんなことが出来るのは、彼女以外に居るはずもなく。深いため息を吐き、真島は再び歩き始める。こんなんでやられとったら、命がいくつあっても足りひんなァ。とぼやいていると、真隣に接近してくる人影が視界の端に映り込んだ。
「こんばんは」
「ラブホの一部屋、吹き飛ばして以来やな」
「楽しかったデートのお礼よ」
「俺やなかったら、死んどったわ」
「皮肉ね、へこんじゃう」
「よう言うわ」
いいの?自分のとこの『子ども』なんでしょ?ええ、ええ。ほっとき。かわいそうに。なら、医者でも呼ぶんか?いいえ、私は組長さんとお話がしたいの。
なまえはトレンチコートを翻しながら、辺りの景色に目配せをしていた。真島は突然現れた彼女にペースを乱されることなく、ただぶらついている。すると、不意にジャケットの袖を軽く引っ張られた気がして、真島は彼女の方を見た。確かに袖を引っ張ったのは彼女で間違いなかった。
だが、真島は自分の目を疑った。彼女のもう片方の手に握られた、薄手の板で簡易的に作られたどこかの店の看板は、たった今初めて見たものだ。今夜も女の口が三日月に裂ける。すぐに掴んだ手を振り払い、彼女の一撃をいなしてみせれば、次の瞬間にはどこかの居酒屋で見かけるビールケースを手にして振りかぶっている。
「街って色んなものが落ちてて面白いわ」
「それはかっぱらってきたんやろが……」
「次は何がいい?もう少し重みのあるヤツにしようかしら」
「ほっそい腕で持てるもんなんぞ、限られとるやろ」
「そうね、じゃあ『いつもの』にする」
ビールケースを真島に向かって放り投げると、なまえはコートのポケットから片手大の黒いものを取り出した。悪戯な笑みを浮かべ、なまえはその突起部を真島の腹部に押し当てた。親指の腹でスイッチを押し込む。焦げ臭さが鼻についたが、正面に真島の姿はなく、スタンガンを押し当てていた腕は空中を舞っている。通電の瞬間、真島は本能で動いたのだろう。咄嗟に腕を弾かれ、なまえは今度はスタンガンの柄で真島の頬を打つ。鈍い衝撃がなまえの手にも伝わり、確かな感触として余韻が残る。
「ごっついのぉ!ヒヒヒ、相変わらずやァ!」
「組長さんのその顔、好きよ」
「お姉ちゃんもええ顔しとるわ!」
じゃあ、もう一発。となまえは威嚇ついでにバチバチと放電させ、真島の懐に潜り込もうとした時だった。彼女は突然、手を止め、その場で立ち止まる。次に備えていた真島もなまえの様子が変わったことに気付いたのか、構えを解く。
「どないしたんや、」
「……なんか嫌な視線を感じる」
「嫌な視線やとォ?」
急激に動から静へと転じた二人は混み合う通りの人波に身を潜め、なまえの言う嫌な視線から逃れるように脇道へと入っていく。彼女も苛立っているらしく、足音が忙しなく路地裏の静寂を突き刺している。真島はまだ疑問に思うところがあった。なまえの言う、『嫌な視線』が本物なのかどうかだ。本来、嫌な視線を向けられるのは標的である自分であって、彼女ではない。では何故、彼女は今こうして苛立っているのか。真島は口を開く。
「さっき言うとった話やが、」
「組長さんは感じなかった?」
「そないなもんに一々構っとったら、ヤクザやってられへんやろ」
「それもそうね。ヤクザの組長なんて、辺り一面嫌な視線だらけだもの」
「で、お姉ちゃんが感じたのは何や」
「……見られてたの。私たちが仲良くしてる時に」
なまえは苛立ちを抑えながら、真島と一方的に肩を組んだ。そして、小声で少しだけ付き合って欲しいと告げた。この路地の突き当たりまで行き、自分達のストーカーをおびき出そうと。真島はなまえの提案に概ね賛成だった。先程までの楽しい雰囲気をぶち壊しにし、昂っていた欲求を白けさせたのだ。暫くぶりである彼女との逢瀬を邪魔した相手にそれ相応のケジメをつけさせなければ。
「もし、あのままやってたら」
「共倒れやったやろなァ」
「それはそれで面白そうだけど、組長さんを取られるのは嫌」
「俺も見ず知らずのヤツにやられたないわ」
「あ〜あ、折角組長さんの為に、色々と整えてきたのに」
レビューに基づいたコスメの厳選や旬のメイク研究。もう少し筋肉をつけたいからと通い始めたジム、体を整えると言う名目でサウナにもしっかり通っているのだと彼女は不在期間中の過ごし方を真島に明かした。他にも……と長く続きそうななまえの自分磨きの話は一旦止めにして、近付いてきた目的地に二人は気を引き締める。
やがて口数が減り、黙り込み、足音だけが闊歩している路地裏でそれはやって来た。路地の突き当たり。開けてはいるものの、辺りはビルの壁に囲まれて行き止まりとなっており、逃げ場はどこにも無い。なまえと真島は無口なまま、互いを見合う。すると、どこからともなく複数人の足音が路地裏に響いた。振り返ると同時に、真島は拳を、なまえは壁に立てかけられていたビニール傘を手に取り、振り下ろす。
「あら、どこかで見た顔じゃない」
手始めに二、三人は薙ぎ倒したなまえと真島に辺りはどよめく。そして、なまえは自分達を追って来た複数人の顔を見た途端、嫌な視線を向けていた彼らの正体を知る。彼女の眉間の皺はより深く刻まれていく。内心、いや、隠さずとも苛立っているのが表情から読み取れる。彼女の怒りの矛先は彼らと自分の組織に向けられていた。
「なによ。人の仕事、横からかっさらおうって魂胆?」
「もう待てない、そうだ」
「……待てない?」
「文句があるなら、ウチのボスに言ってくれ。俺達は仕事しに来てるんだ」
「じゃあ、私がその仕事の邪魔してあげる。アンタ達が先に邪魔してきたんだから」
子供じみた言い分に首を縦に振ったのはたった一人だけだった。それは彼女の真隣にいて、隻眼をギラつかせているパイソン柄の男だ。
「あかんなァ〜、勝手に割り込みすんのは」
真島は相手が二の句を続ける前に沈めてしまった。最初から話を聞く気はなかったのだろう。そして、それだけでなく自分達の関係に水を差す第三者の存在を良く思わなかったのが本音だ。彼らにどんな事情があろうと、真島には関係なかった。真島が手を出したのを合図に、なまえも手にした傘でフルスイングして見せた。肉にビニール傘の粗末な骨がくい込んでいく感覚が面白くて笑みを零す。
「話にもならんヤツらやなァ、これならまだお姉ちゃんの方がええわ」
「まだ邪魔し足りないの。さ、どんどんはじめましょ」
「組織を裏切るのか……!」
「……はあ?」
仲間が減った焦りで相手はなまえにそう問いかけた。しかし、その問いかけになまえは鋭い眼光で男を睨みつけた。
「先に邪魔してきたのはそっちでしょ?それなのに、いざやられたら裏切りだなんて」
その目の鋭さは衰えるどころか、より鋭利さを増していく。辺りの空気に緊迫感が入り交じる。なまえはそんな状況で裏切りだと口にした男が許せなかった。今更、ぬるい事を言われては裏の稼業などやって行けるはずがない。裏切りはあって当然。誰かの仕事に手を出せば、出したその手を切り落とされても文句は言えない。そう言った世界に住んでいるというのに、どこかのほほんとしたことを口にする男達に嫌悪を抱く。
「ここでおしゃべりしてる暇はないの。私だって自分のやりたいことがあるから」
「それは俺も同感や」
「じゃあ、組長さん」
あとはお願い。と耳元で囁いてすぐ、なまえは男達の間を掻き分け、路地裏の闇に飛び込んで行った。追っ手が来ないよう、ビニール傘を開いては投げ捨て、足音は次第に遠くなっていく。
「……な?お前らより、あの子の方が何倍もおもろいねや」
せやから、さっさと終わらせようや。と真島は首の骨をわざとらしく鳴らしてみせる。男達もこのままではいられないということだけは分かっているらしく、真島を取り囲むようにして挑む他になかった。路地裏にはけたたましい悲鳴と肉と肉がぶつかり合う音だけが響いていた。