「どうやってアイツはお前のことを嗅ぎつけたんだろうな?」

 今では落ち着いた身なりをした女に問いかける。彼女は自分でも分からないと言うように首を振った。廊下には半グレの男のものと思われる足跡と、この部屋に乗り込んできた黒岩の足跡が残されていた。その後片付けについても黒岩は難色を示し、更には突然やって来た半グレの男についても怪訝な顔をしていた。

「黒岩さん。あの人、私と話がしたいって」
「ったく、どうせつまらねぇ昔の話がしてぇんだろうよ」
「……でも、あの人が喜ぶようなお話は、」
「そりゃあ、出来ねぇだろうな。今のお前はただのカタギだ」

 だが、アイツがどこでお前の情報を掴んだのかは興味がある。と黒岩は俯く女を見た。首元についた傷は浅く、絆創膏を貼る程度で済んだのは幸いだ。あの男に彼女を殺す気はないのだろう、みょうじなまえと言う稀有な家系に生まれた女のことを。
 なまえの家系は代々、偽造業を生業としており、裏社会と密接な関係にある一族だった。しかし、時代が進むにつれ、彼女ら一族は廃れていった。自分達の特殊な技術を真っ当なことに使いたいと思う者もいれば、一族の歴史に後ろめたさを感じてカタギであろうとする者もいた。そうして身内で行われていた稼業も次第に離反者が増え、幕を閉じたのだ。彼女もまたその離反者の一人であり、カタギとして真っ当な生活を営んでいたのだが、一人の男と接触したことにより現在に至る。勿論、その男とは黒岩満である。

「そう言えば、黒岩さんはあの人と話してましたよね……?」
「また来るとほざいてたよ」
「え……!ま、また来るんですか……?」
「だから、用心しとかねえと、また素っ裸で出迎える羽目になるぞ」
「そ、それだけは嫌です……!ただでさえ、今日のことだって嫌なのに、」
「よかったな、アイツに女犯す趣味がなくて」

 ……全然、笑えないですよ。なまえは薄ら笑いを浮かべている黒岩にゾッとしたものを感じながらも、首の絆創膏に触れる。このような恐ろしい思いをしたのは久しぶりだった。なまえは過去に一度、同じような目に遭っている。それは自身の目の前で平然と会話をしている、黒岩によって。


***


 黒岩との出会いは一方的だった。別の土地で静かに生活を営んでいたなまえの元に、彼は突然姿を現し、とある取引を持ちかけたのだ。かつて違法行為に手を染めた事実を知った上で、警察の協力者となってもらいたいと言う話だった。もし承諾してくれるのであれば、今後なまえを追う裏社会の人間を追い払い、身の安全と静かな生活を保証すると。
 黒岩に持ちかけられた取引の内容は彼女の理想に近いものだった。静かな生活を送る為に今まで何度各地を転々としてきたことか。その土地に馴染めたかと思えば、どこからとも無く噂を嗅ぎつけてやってくる裏の人間に平和を脅かされた。一族の子孫と言うだけで、その力を自分のものにしようと企む人間がこの世には数多く存在する。

 なまえにとってこの話は悪くない話だった。だからこそ、黒岩と手を取り合うことにしたのだが、違和感を覚えたのは黒岩の元に身を寄せてからのことだった。ふと生まれた疑問がある。黒岩は一体どうやって自分の居場所を突き止めたのだろう。一族の子孫は自分だけではない。それにカタギとして生きる際には、戸籍も何もかもを新しく作り変えたと言うのに。どうして。どうして、なまえが裏社会の人間に追われていることも知っていたのだろう。ぞわりと肌が粟立つ。得体の知れない恐怖に晒され、思考が凍りついていく。


「みょうじさん、どうしましたか」

 黒岩に連れられたなまえは神室町近辺に手配されたマンションに暮らしていた。そこは黒岩の務め先の神室署がある神室町からさほど遠くない場所に建っている。時折、様子を見に黒岩が訪れる以外に変わったことはなかった。黒岩は住処だけでなく転職先の面倒も見てくれ、なまえは心を許していたのだが、その疑問に気付いた時には背筋が凍る思いだった。

「あの、黒岩さん」
「何かありましたか。怯えた顔をしている」
「ひとつ聞いてもいいですか」
「なんでしょう」
「黒岩さんはどうして私の居場所がわかったんですか」

 どうしてって、と困惑した表情を見せる黒岩に確信が揺らいでいた。しかし、全くの別人になってしまった自分の素性がバレているのは何故だろうか。どんなに良いように考えても行き着く答えはひとつしかなかった。黒岩もまたなまえを追う側の人間だったのだと。

「勘が良いんだか、悪いんだかわかんねえな。お前」

 善人の顔を取り外した黒岩の目は深い闇そのものだった。どこまでも終わりのない真っ黒な闇が続いている。陰湿でありながら執着の色すら見える瞳に、既に自分が逃げられない状況にあるのだと悟った。手を取り合ったあの日から退路は断たれていたのだと。いや、今思えば、手を取り合ったのではない。黒岩に無理に手を引かれたのだ。
 その日から黒岩は善良な刑事を演じるのを止め、今と変わらない砕けた態度をとるようになった。内に秘めているであろう凶暴性を時折、垣間見せながら。そして、なまえは黒岩の凶暴性の受け皿になりながらも、今日まで何とか平穏に過ごしている。なまえもまた、黒岩と同じく常識のネジが外れた部分があるのだろう。でなければ、黒岩の逃れられない呪縛を恨めしく思うのが普通だ。厳重に閉じ込められた檻の中だと言うのに。


「俺のところに来てもう二年は経ってるってのに、今更お前のことを知った奴がいる」
「そもそも、あの人って一体……、」
「アイツは神室町の半グレ集団のリーダーだよ」
「半グレ集団の?」
「そんでアイツは俺と同じ組織出身の潜入だろうな」
「でも、半グレ集団のリーダーなんですよね」
「じゃなきゃ、アイツは俺のことを同僚だなんて言い方しねぇだろ」

 とにかく気味の悪ぃ野郎だ。と悪態をつく黒岩を横目に、黒岩と自身を紐付けた噂が半グレ集団のリーダーである男と自身を結びつけようとしていると知り、諦観を匂わせた。かつて手放したはずの過去は自分をそう簡単には手放してくれないし、何よりその因果すら断ち切れないのだから、なまえはここに居ることを望む他にない。