無事に意識が朦朧としている彼女の姿を見て、概ね満足していた。思考が上手く働かないせいで、何もかもが幼さを帯びる彼女を、あの黒岩は知っているのだろうか。頬を撫でてやれば、小さく声が漏れる。女の唇から幼さが溢れる。名を呼ばれた時も、言葉を交わした時も悦を感じていた。きっと今なら殺めることさえ、赤子の手をひねるように容易いはずだ。だが、相馬の目的はそこにはない。優しく揺り起こし、声をかける。僅かに目覚めた彼女は蕩けた顔で自分を見つめている。たまらなく、背筋が震えた。

「あ……、ごめ、……なさい」
「気にしないで。ここならゆっくり出来るだろうから」
「ここ……?」
「そう。だから、何も気にしなくていい」

 彼女は寝室のベッドに寝かせていた。アジトで眠りに落ちた後、相馬は再び部下に車を手配させ、今度は自分の住処である部屋に連れ込んだ。そして、寝室に二人きりで、男は意識のあやふやな女の素肌に馴れ馴れしく触れている。許されてなどいなかった。許される必要などないとさえ、思っていた。あの黒岩から彼女を攫ってしまえば済む話なのだから。しかし、ただ攫うだけでは面白みに欠けると判断した相馬はもう少しだけどうにかして遊びたい気分だった。

「そう言えば、黒岩さんには何か酷いことされなかった?」
「……なにも、」
「本当に?殴られたとか、そう言うのも?」
「かお、たたかれて、」

  相馬の問いにようやくなまえはひとつを吐き出した。上体を起こした彼女は自分の左頬に触れ、目を閉じている。まだ僅かに眠気が勝っているのかもしれない。彼女の手に自分の手を重ね、可哀想に。と労わるように手の上から頬を撫でた。可哀想に、と呟いてはみたものの、それ以上の感情も重みも乗ってはいない。ただ適した言葉を見繕って、なぞらえて、口にしただけ。それでも彼女は潤んだ黒目で自分を見つめるのだ。体温は彼女の方が高かった。寧ろ、自分の方が冷め切っているようで、互いの体温が混ざり合い、熱を奪っていく感覚がやけに心地いい。

「可愛い子には旅をさせよって言うけど、その挙句に姿を消しちゃったら意味ないって気付かないんだろうなあ」
「……そう、まさん」
「なに、」
「今日は、……ありがとう、ございます」

 優しくしてくれて。と彼女が続ける。相馬は急速に熱をその源から奪い去ってしまいたくなった。蛇が睨んでいたはずの蛙は今、人懐っこくその頬を寄せて頬擦りをしているのだ。ヒビが入ったような鱗が連なる肌に柔い肉を擦り付けて、嬉しそうに頬擦りをしている。こんなに愚かで馬鹿馬鹿しいことがあるか、笑いをいよいよ噛み殺せなくなる。
 黒岩さんよりかは優しいとは思うけど、そんなんじゃない。と相馬はベッドになまえを再び横たわらせ、その体にいよいよ跨る。ぐっと沈むベッドになまえはまだ分からないでいた。反応が鈍いのを良いことに、相馬はなまえの服を捲りあげ、無防備な腹部を晒し出す。彼女の体はやはり温もりの心地よいものだった。そして、彼女の言う通り、体のどこにも暴力の痕跡は見られなかった。腹部や胸元、背中に臀部、そのどこにも見つけられなかったのだ。

「血の気が多い割りにしっかりしてるよ、あの人」

 相変わらず冷たい指先で、今度は体の曲線をなぞり始めた。柔らかな丘、滑らかな肌、肉付きも程々に良い。見上げられるのは悪い気分ではなかった。又、見下ろすことも同じだった。徐々に、徐々に覆い被さり、彼女を自身の影の中に閉じ込めていく。狼狽えているように見える唇に重ねてみれば、どこか癪に障る。そもそもが気に食わない、誰かに教え込まれたような口づけに相馬は瞳を真っ黒に塗り潰す。
 唇が離れてすぐ、相馬は大きくため息を吐いた。そして、なまえの口内に自分の指を二本ばかり侵入させると、真っ先に舌を掴み、指先で蹂躙する。舌を掴まれて困惑しているようだった。時には歯列を指でなぞり、舌を指先でしっかりと捕え、視線を合わせる。そして、言い聞かせるように相馬は口にするのだ。自分に合った、新しいやり方を。

「さっきのはあんまり好きじゃない。寧ろ、不快だ」

 何度も、何度も、分かりやすく噛み砕き、彼女に言い聞かせる。そして、もう一度唇を重ね、それでも気に食わなければ、何度でもなまえに教え込んだ。唇の吸い付きや舌の絡め方、黒岩が喜ぶようなものは全て上書きさせるつもりで、相馬は何度も繰り返した。なまえが相馬の気に入るものが出来るようになったのは、少し時間が経ってからのことだった。何度も口内で繰り返される陵辱に、なまえの幼い理性は耐えられなかった。
 相馬はなまえが自分の理想に近付く度に、労いの言葉を吐き出すことを忘れなかった。自分が黒岩と一線を画す、決定的な差だ。彼女の頑張りはしっかりと評価し、労い、認められる心地良さを実感してもらう。そうすれば、何も力任せに従える必要はなく、優等生気質である彼女ならより容易く手中に落ちると思っていた。まるで優しい毒を体内に注入しているかのように、耳触りのいい言葉はなまえにすんなりと浸透していった。だが、それが悪質な遅効性の毒であるとは気付けるはずもなく。

 依然として、自分の影に彼女を閉じ込めたまま、相馬は事を進めていく。理性の文字すら頭にない彼女を剥くことも、彼女を組み敷いて束縛することも、普段より容易く呆気なかった。相馬は傷ひとつない綺麗な体に歯を立てた。最初は遊びのつもりでそうしてみれば、なまえが体を震わせ、声を漏らす。痛みに喘いでいると知り、思い出すことがあった。以前、部下に軽い気持ちで話を聞いた時、意外だったのを覚えている。
 相馬はすぐにベッドから離れると、近くの棚から何かを手に取り、彼女に跨った。密閉された小袋を破り、中から針を一本取り出す。そして、一緒に持ってきていた軟膏に似たものを指先で掬い取り、なまえの耳朶に塗り付けた。両耳へ丹念に塗り広げる様子に、なまえは相馬に問いかけた。一体、何をしているのかと。すると、俺からの贈り物だよ。頑張ったみょうじさんに。と笑みを浮かべるばかりだった。

「そうまさん、こわい、です……」
「怖い?そんなことないよ」
「だって、なにかしようとして、」
「あー、大丈夫。そんなに気にしなくても」
「でも、」
「大丈夫だって、みょうじさんはやれば出来るんだから」

 やれば出来ると言う言葉が持つ意味を理解出来なかったなまえは途端に恐怖に体を強ばらせる。そして、すぐに終わるから。と残し、それは身勝手に始められた。鋭利な針の先端が薄い肉に突き立てられ、深く切り裂かれていく。耳から体に走る痛みになまえの体が発熱していた。相馬からすれば、自分の下で可哀想な女が痛みに身を捩っている。しかも、それは自分が良かれと思って与えた痛みに。針と耳朶の境界線からは血が溢れる。恐らく体は興奮状態にあることだろう。だが、それはそれで好都合なのだ。人体と言うものは意外と気遣いそのもので出来ている。例えば、体に痛みを与えた時、その痛みを和らげる為にいくつかのホルモンが分泌されて、精神、肉体共に作用するそうだ。勿論、彼女も例に漏れず、その恩恵を受けている筈だ。
 耳朶を貫通した針の尾に小ぶりなプラチナを取り付ける。そして、そのまま針を肉から押し出せば、自然とピアスが出来たての生傷に装着される。相馬の手際は良かった。何せ、躊躇いがないのだから、かかる時間も少なくて済む。なまえは痛みと恐怖に麻痺しているようだった。無事、彼女の脳内で『優しさ』が分泌されているのだ。

「ほら、すぐに終わった」

 涙で潤んだ瞳を遮るように、彼女の瞼に唇を押し当てる。よくやった、頑張ったと薄っぺらに褒めそやして。両耳を飾るそれに相馬は欲望が一つ塗り潰され、満たされたのを感じていた。愛おしむように熱を帯びる耳朶を食む。すると、どうやら痛みが彼女の皮膚の感覚を繊細にしているようだった。歯を立てるでもなく、唇で食んでみせただけで彼女からは声が溢れた。
 それに居ても立ってもいられなかったのか、自身の間に華奢で頼り甲斐のない腕を挟む。力いっぱいに押し返しているつもりだろうが、大した抵抗にはならなかった。可愛いものだとさえ思えた、あまりにも話にならない差が目の前にある。まだ薬が尾を引いており、ぼやけた意識の中で懸命に抵抗しようとしている。徐々に意識が定まっていくまでを眺めていても悪い気はしないが、なまえの見せた抵抗は相馬の歪な加虐心を刺激させる結果となった。

「もしかして、気に入らなかった?」

 なまえは自分の抱いているものを言葉に表せない。ただ虚しい抵抗を繰り返すばかりだ。自分の華奢さを恨むだろうか、自分の無力さを恨むだろうか。くだらない抵抗は彼女の両手首を捕まえてしまえば、すぐに終わる。自分でさえも憐れだ、不憫だと感じる人間の感覚には疑問を抱かざるを得ない。慈愛に満ちているのかと思えば、そうではない。憐れである、不憫であると主張だけはするくせ、内心ではどこかその状況を楽しみ、自身の慰めに利用するのだ。
 その点、相馬は外面が良いばかりの人間ではない。自身の欲や正義には忠実で、勿論彼女に抱いた情欲を今更綺麗に包み隠すことなどしなかった。

「それじゃあ、今度選びに行こうか」

 両手首を放してやれば、なまえは力なく首を横に振るだけだった。乱れた髪が肌を覆う。しかし、相馬は見逃しはしなかった。乱れた前髪の隙間から、こちらを見つめるじっとりとした熱視線を。もしかしたら、この世には絶望に取り残されることを悦びとする種類の人間が僅かながらに存在するのかもしれないと、相馬はなまえの黒く潤んだ瞳を見て、さながら深淵を覗き込んだかのように感じていた。