男の下で女は喘いでいる。痛みに捩らせていた体が今度は快楽の波に呑まれそうになっていた。もう人の形を保てないほどに何もかもがぐずぐずだった。身に纏うものは何もなく、薄暗がりに塗り潰された彼女には両耳のプラチナしかない。虚しかった抵抗も掻き消えてしまった。その現状は男にとって満足の行くものになったとは思う。たった今、組み敷いているのは黒岩のものだった女だ。だが、その女を染め上げているのは紛れもない自分自身で、女が口にするのも自分の名だけだ。相馬の征服感の満たされ様は異常な程だった。
 彼女はどう思っていることだろう。苦しみ悶えながら、持続的に与えられる快楽に体を、瞼を、声を、唇を震わせている。これはただの防衛本能だろうか。彼女の下腹部は熱に犯され、水音を絶やさない。密接に折り重なる肉体は緩急を経て、強ばったり、和らいだりと忙しない。理性などもう忘れてしまっているだろうと思えば、何気なく奪った時に『自分の好み』でいようとする彼女には内心驚かされていた。これを教育の賜物と呼ぶには、あまりにも皮肉的だ。脱力がちな体であっても、満たされるものは少なからずあり、呼吸や声が乱れる度に衝動的であることを強いられる。

 ぐったりとした体を弄んでいるのは男で、部屋の暗がりに沈んでいるのは女だ。甘い声で鳴かれれば、その細い首に手を回してやり、息苦しさを覚えさせてやる。しかし、元から慣れていた節があるようで、きゅっと内壁が締まる感覚に男は体を震わせる。溢れて止まらない。支配欲も、征服感も、加虐心も、何もかもが。女の目はどろどろに溶けた視線を男に向ける。熱に犯されているのは自分だけではないと告げるように。もう少しだけ貪欲になりたいと、男は女の髪を横に逃がす。すると、綺麗に見えるのだ。自分がつけた生傷のそれが。暗がりにあるというのに、時折強い輝きを放っている。これは幻だろうか。
 深く打ちつければ体は反り、浅く引き抜けば口から喘ぎが出ていく。快楽は次第に積み重ねられていった。臀部に両手を添え、深く抉るように密着させては離れてを繰り返す。先に絶頂を覗きかけたのは彼女だった。体を強ばらせ、求めるように自分の名を呼び、迫り来る快楽の波にその時を待ち続けている。か細い指先でベッドのシーツを力いっぱいに握り締め、髪を振り乱し、 今にも弾けてしまいそうだった。

「流石にここまで頑張らせちゃ、黒岩さんに怒られるかな」

 自分の声が届いていないことは明白だ。彼女は今、寸前のところで足踏みをしている状態なのだから。響いていた肉の音や水音は聞こえてこない。代わりに乱れた呼吸音とシーツの擦れる音だけが部屋に響く。女はじっとりとした視線を男に送っている。なまえは相馬だけを見つめている。体が体を強く結び付け、繋ぎ止め、理性や建前をなし崩しにしていく。あの男にとって替えが利かない彼女が、相馬も欲しかった。

「みょうじさん、聞こえてる?おーい、」

 指の背で彼女の頬を優しく叩いてみたが、切羽詰まっている状態なのか、それはぽつりと吐き出された。

「……すごく、せつない、です」

 ぽろぽろと呆れるくらいに容易く涙がこぼれ落ちていった。彼女は泣いていた、切ないのだと鳴いていた。悪い熱に浮かされた女が切ないのだと泣き、悪い熱を持ってきた男は女の弱みに悦に浸る。こんな時、ふと思い出す言葉がある。


「確かに生殺しは良くない」

 特に、蛇の生殺しはね。
 快楽を貪る行為に耽っていると言うのに、相馬という男は飄々としていながら、内なる狂気を垣間見せる。彼女の疼く肉壁は何度もその先を急かすようにやんわりと収縮する。俺ももう少しみょうじさんに優しくするよ。ともう何度目になるか分からない、キスを交わす。口内に侵入してきたそれを受け止めるように互いの舌先が生々しく絡まり合い、苦しげな吐息が漏れる。まるで脳内まで犯されているかのような水音になまえは目眩がした。そして、それと同時に再び絶頂の傍へと上り詰めていくことになる。
 熱塊である相馬自身はまったく衰えない。なまえとの時間を過ごす度に、より多く、より深くを求めた。今度こそ逃れられないように、彼女の体を抱き締めるような体勢をとる。密接であればあるほど、それは疼く芯により近くなる。そして、何かを掻き出すように、もしくは深くを抉るように体を打ち付けていく。なまえの嬌声は甘ったるく変化していった。普段の姿からは想像も出来ないくらいに甘い声に、込み上げる熱意を全てぶつけてしまいたいとさえ思った。

 なまえは切なさが全身を駆け巡ったのか、相馬の背に手を回すと、再び体を徐々に強ばらせた。もうその時は近い。今度ばかりは情けをかけてやろう、慈悲を与えてやろうと自分の懐にいる彼女をじっと見下ろしていた。苦しそうに瞼は強く閉ざされ、遂にそれは訪れた。嬌声が単音だけを発し、彼女は身を捩らせる。そして、たった一度大きく跳ねたかと思えば、内壁の締め付けるような収縮に相馬はなまえの肌を啄んだ。首筋から始まり、胸元、腹部、だらん、と力の抜けた手などを好きに弄ぶ。だが、微々たる痙攣に絶頂の余韻を引き摺っている彼女に、もう暫くほど無理強いをしなければならない。

「みょうじさんはそのままでいいから、じっとしてて。後は俺が勝手にやっとくから」

 シーツの波間に体を休めていたなまえは相馬の言葉に目を丸くしていた。下腹部に走る嫌な感覚を感じ取ったのだろうか。それとも、あからさまに笑って見せたからだろうか。

「そりゃあ、ヤってんだから『お互い様』でしょ?」

 余裕が微塵もない彼女に、大丈夫。もう意地悪しないよ。と言い聞かせ、後は半ば強引にその続きに耽る。だが、あんまりにも逃げ腰である彼女に一つ提案する。そんなに身悶えして苦しいのなら、うつ伏せになって体をベッドに預けてしまえばいいと。切ないのは自分も同じだと蕩けきった目を覗き込む。あと少しだけ、毒蛇は暗闇に囁く。シーツの波に身を沈めていく彼女の背中には自分の残した愛咬が痣を伴って浮かんでいる。斑模様の体はまるで自分より劣る非力な蛇のように見え、毒蛇はゆっくりとその尾を絡めていく。滑らかに肌をなぞり、まずはゆるゆると締めていった。そして、解けるのことないよう、しっかりと絡まり合うのだ。
 うつ伏せになった女の背後に男の体があり、覆い被さっては欲情するままに濡れる肉を虐げている。何処にも逃げられない体位であると、理解出来ない頭でだらしのない刺激に晒される。だが、抵抗の許されない体勢は悪癖を生み出すばかりで、なまえは喘ぎを抑えられなかった。枕に顔を埋め、縋り付き、与えられるがままの状態は快楽を一度覗いた彼女にとって辛いものだった。何度、シーツに爪を立て、握り締めていたか分からない。そして、再び予兆が降りてくる。その予兆は彼女のものだった。

 組み敷かれた足は迫り来るそれに微かに震え、 身動きの取れない体は相馬の影の中から抜け出せない。背筋から徐々に這い上がってくる感覚が恐ろしくもあり、肌を粟立たせるほどに甘美な誘いであった。女が堪えようとすればするほど、男はその手を休めない。涙目、プラチナ、生傷、愛咬。自分のせいで心を掻き乱され、体を弄ばれている。彼女は加虐心に火をつけるのがひどく上手いらしい。被虐めいた体で、目で、声で悪戯に火遊びをしているのだ。しかも、これが無自覚なのだから恐ろしい。だから、黒岩や自分のような人間に付け込まれてしまうのだろう。
 肉が戦慄く。彼女の中で駆け巡っていく感覚が、やがて自身にも飛び火する。ぞわぞわと不快に肌を撫で、不自然に体を硬直させていく。熱がせり上がって、直に弾けた。彼女を後ろから抱き締め、この言い表しようのない底なしの快楽が体に走る感覚だけを共有している。時折、小刻みに痙攣する女がたまらなく愛おしい。非力なものほど、慈しみたくなる。愛でたくなる。細い手首に手を伸ばし、しっかりと握り締めた。まるで脈を掴んでいるような気分だった。彼女の命に繋がる一本の赤い糸を手中に収めているかのような。


「本当にみょうじさんとお近付きになりたいだけだって。アイツよりね」

 返事はない。口を噤んでいる様子もない。乱れた髪の隙間からは意識が途切れそうにぼんやりとしている目が見えた。もう間もなく、彼女は意識を手放すのだろう。熱が体を駆け巡った後の疲労はさぞ心地よいことだろうと、相馬はやっと温もりを帯びた手のひらでなまえの頭をやんわりと撫で続けた。よく自分に応えてくれたと、散々鞭打った体に今更飴をくれてやるように。
 しかし、心変わりは見込めない。これを機に気が変わってしまえばいいのに、と静寂の人を見下ろす。絶頂を覗いた後では、愛おしさや慈しみは続かないものだ。既に温もりの抜け始めた指先に、相馬は醒めた目でなまえを見下ろしていた。肉壁から熱塊だったそれを引きずり出せば、じわりと熱の名残りが溢れ出る。彼女の為の『偽善』を取り外し、生理的嫌悪が込み上げて来る前にそれを処理しようと身軽な男は彼女を残して、さざ波のベッドを離れた。


***


 この短期間で相馬和樹は二人の女と関係を持った。一人は廃工場で、もう一人は今し方。対極的な二人だった。廃工場の彼女は神室町の夜に溶け込むような人物で、なまえはそれとは程遠い場所にいるような人物だ。廃工場の彼女は、確か亡くなってしまったそうだ。寂れた工場に連れ込まれ、拘束され、必要な情報を聞き出すだけ聞き出せたらお払い箱。尋問の際に両手の爪は剥がし取ってしまった。彼女のおしゃべりが過ぎた結果だった。相馬としては、埃が平気で舞うような場所で長々と話を聞くつもりは毛頭なかった。手っ取り早く必要な情報を、必要な分だけ提供してもらえばそれで充分なのだ。命乞いも、情報も、悲鳴も聞き飽きるほどに一つずつ潰していき、残ったのは彼女の無惨な死体だけだ。
 しかし、彼女の犠牲で得られたものは大きかった。いや、正確に言うなれば、三人の犠牲のお陰だ。まずは廃工場の彼女、あと二人は自分を売り払ってくれた部下の二人。恐らく黒岩は重要参考人の代わりに、健康体である成人男性を二人ほど得られたことだろう。裏で何をやっているかは触れないでおくが、随分と崇高な仕事にありついているようだった。それはとても、崇高で偉大な ────。