週刊誌曰く、その日遺体が見つかったのだそうだ。場所は埠頭にある、コンテナの中で。無理矢理こじ開けられたコンテナの積み荷に紛れ込むように、『彼』は遺棄されていたと。損傷の激しい状態の為、身元特定に時間を要したと記事には書かれているが、本当だろうか。このインタビューを受けた警察関係者は確かにそうなのかもしれないが、その裏で全てを掌握している人物がいるとは知りもしないのだろう。
 だが、ここから先は事件関係者も知らなかったことが綴られている。まず、遺体の数は二つあること。次に、その二人は痴情のもつれで言い争っていたこと。最後に、『彼女』は逆上した『彼』に殺されたということ。そして、肝心の『彼女』の遺体は海に浮かんでいたそうだ。どの記者もそのように事実を書き立てた。誰も疑いはしない。皆がそう書いているのだから、事実そのものだ。ならば、必然的にその亡くなった二人の氏名も公表される。女の名は『みょうじなまえ』、男の名は ────。


***


 所詮、こんなものは週刊誌に掲載される程度のお粗末な事件だ。確かに男女共に常軌を逸した死因で亡くなってはいるが、神室町の治安を考えればあまり恐ろしくはない。大して気に留めるでもなく、次のページを捲った。その記事では、世界待望の新薬が人体に対しても、マウスと同様に脳細胞機能の回復を有すると書かれていた。そして、日本が開発した新薬はやがて世界へと羽ばたき、アルツハイマー型認知症患者の希望となるだろうと。開発者である研究員、または『夢の薬』を実現させた創薬開発センターは大々的に取り上げられ、賞賛の嵐に見舞われるだろう。喜ばしいことではないか、まるで明けぬ夜に光が差したかのように。
 更にもう一ページ捲ると、今度は以前から注目を集めていた時の人である女性官僚が、次期厚生労働事務次官として将来を期待されている旨の記事が載っていた。そこには彼女の厚労官僚としての物事に取り組む真っ直ぐな姿勢や、彼女が何に重きを置いているのか。そして、彼女を知る直近の人間によるインタビューが綴られ、如何に彼女が一本筋の通った人物であるかを雄弁に語っている。ここで誰かの言葉を思い出す。国民は誰もが黒を嫌う。だからこそ、その事実が露呈した日には必ず白に塗り替えなければならない。その為の人材は何人抱えていても構わないのだと。


 大衆雑誌から視線を他に逃がす。少し、疲れてしまった。ここ最近は慌ただしく、中々まとまった休息が取れずにいた。身辺整理、他所への引越し。私事だが、新しく仕事も変えた。忙しかった、本当に。二人の手を借りなければ、今こうして雑誌を手に部屋で寛ぐことなど出来なかったはずだ。ぶるり、と固く、何かが振動する音が聞こえた。テーブルに置き去りにしていた携帯が、自分に用があるのだと告げている。雑誌を適当に置き、携帯に手を伸ばす。通知画面が表示された画面には黒岩の名があった。端的な文章で、こちらへ寄る旨が綴られていた。先日の一件のことかもしれないと、その表示されたメッセージに触れる。専用のアプリが起動し、黒岩に宛てて返信をしようとした時だった。

「また随分と良い部屋をくれたもんだ、黒岩さんは」

 こちらに寄ると連絡してきた黒岩ではなく、もう一人の男である相馬が廊下で佇んでいた。明るい時間には滅多に現れない相手だからこそ、その色白の素肌がどこか冷たく見える。だが、彼の機嫌はいい。すこぶる、いい。きっと、これから先、彼が自分の前で不機嫌になることはないのだろう。部屋のあちこちに視線を投げ、自分の真隣にやって来ると、テーブルに置かれた雑誌を手に取り、こんなの読んでたの?と鼻で笑う。

「事の真相を知ってるなまえさんには、必要ないものでしょ」
「たまたまです、コンビニで見かけて」
「へえ、なまえさんってコンビニ行くんだ。意外だなあ」
「黒岩さんもある程度の外出は認めてくれています」
「そう、黒岩さんはね」

 でも、と続けた相馬は感情の見えない笑みを浮かべて、耳元で囁いた。俺なら、まだ潜ってもらって、完全にほとぼりが冷めるまで隠居生活をお願いするね。全く笑っていない目が、視界の隅を突き刺す。目を見れなかった、相馬という男の闇を垣間見た瞬間だった。相馬は少し変わったように思う。自分が裏社会に復帰を果たしてからと言うものの、狂気に満ちた熱を向けることが多くなった。そう痛感しているのは、以前より黒岩満を敵対視しているからだ。そして、自分に酷く執着している。

「俺は今回の件、なまえさん無くして成功はあり得なかったと考えてる」

 薄ら笑いを浮かべる。相変わらず、目は笑っていない。

「それに今まで遠慮してたのは、なまえさんが完全にカタギだったから」

 まるで、自制していたかのような口振りで話している。

「今はもう、カタギじゃない。あの子はとっくに死んでんだ、目の前の正体不明の女をかっ攫うのに許可なんか要らないだろ」

 ずっと、ずっと前からそうだったではないか。相馬和樹は常にそれが欲しいと口にしていたではないか。この選択は本当に正しかったのだろうか。同じ過ちを繰り返しているのではないか。だが、誰がそれを正解だ、誤りだと分別出来るのだろうか。黒岩さんが怒りますよ。と形だけの問い掛けをすれば、俺たちは同じ穴の狢なんだろうけど、仲間なんて認識は持っちゃいないよ。と極めて淡白に切り付けられ、指先が痺れたかのように熱を失っていく。

「今度は俺の番。黒岩さんにばかりかまけてたら俺が困る」
「相馬さんにはまだ仕事があるんですか、」
「そりゃあ、俺のような存在が必要な連中は山のように居る。何にでも手出すぜ、俺は」
「確かに、それなら困りますね」
「なんかさ、吹っ切れたでしょ。こっちに戻って来てから」

 蛇に睨まれているようだった。ざらついた見た目とは裏腹に滑らかな鱗を持ち合わせた、体内に凶悪な猛毒を秘めたる蛇が三日月のように裂けた口から舌を覗かせて、こちらを見ている。縦に真っ直ぐ亀裂の入った瞳が逃げることを許さない。相馬の言う通りだった、確かに吹っ切れたと言える状況ではある。だが、やはり古巣から飛び立てずにいる。丸呑みにされる蛙にも多少なりの信条があるのだと沈黙を選ぶ。すると、相馬は更に耳元で恐ろしさの欠片を吐き出した。

「もう、この世の中は良くなった。以前とは比べ物にならないくらいに、何もかもが良い方向に向かい出した」

 ──── でも、ここまで上手く事が運ぶと、故意に粗探しをし始める連中が現れるんだ。そんな連中が現れた時、俺や黒岩さんは駆り出される。どうしてかって、そう言う存在だから。

「だから、そろそろ俺にも番が来なきゃ不公平だろ?でなきゃ、この先どこかで間違いが起きる」

 間違い?と反射的に聞き返せば、真隣には相馬ではなく、三日月に裂けた口を大きく開けた大蛇がいた。組織と言うものはとても厄介な運命共同体だ。上下だけがはっきりと決められており、白か黒であるかは大した問題ではなく、必要ならば大義名分を振りかざし、粛清してみせる。そうだ、相馬と黒岩は本質的には全く同じ組織だが、確かな違いもある。それは、

「あの夜、なまえさんが無事で良かった」

 あそこでグサリ、なんてやられたらたまったもんじゃない。
 相馬も同じだった。汚れた手で平気で触れる、そんな人間だった。血で汚した手のひらで、頬を撫でる。相馬はあの日の夜から、会社の後輩に殴られた頬を気にかけている。相馬和樹は潔癖症である。それ故に、自身の所有物を見知らぬ誰かの、汚れた手で触れられるのが嫌だったのだろう。この首には二つ首輪が掛けられており、それに繋がれたリードは両極端に引っ張られ続けている。いつか、この首は爆ぜるのではないか。

「俺は傷一つない、なまえさんの顔が好きだからさ」

 あんまり、黒岩さんの好きにさせないでよ。と頬に触れていた手を後頭部に這わせると、あとは引力の問題だった。蝕。月が、太陽が、互いを蝕むように、二つの人工惑星は重なり合った。柔らかな着地、少しずつ酸素を奪い合って、熱を帯びる。黒く塗り潰された闇の中で、瞳だけが煌々と輝いていた。ぬるり、と心地よく滑り込む感触に目眩を覚える寸前、声が聞こえてきた。

「間違いが起きる時は、お前もコイツも生きてねえよ」

 日蝕も月蝕も、不完全に終わる。それで良かったのかもしれない。全てを奪われるように取り込まれるくらいなら、多少身を削ぐくらいでいいのだと。けれど、逆らえぬ引力があると気付くのに数秒遅れてしまった。たった今、大きく口を開けていた大蛇がようやくその歯牙を蛙に向けたのだ。無理にでも蝕は進む。相馬は不機嫌だった、黒岩の声が聞こえてすぐ。だから、無理にでも口づけをやめたくなかったのだろう。
 食む、喰む。誇示していた、独占欲を。遠慮する必要がないと言っていた理由が分かった。黒岩はどのような顔でこちらを見ているのだろう、その間にも呼吸が乱れて苦しくなっていく。酸素欠乏寸前のところで解放され、チカチカと点滅する視界の住人である黒岩はこちらを涼しい顔で見つめていた。不意に心臓が高鳴る。

「さっさと終わらせろ」
「始まったばかりでそれ言う?」
「相馬、お前に言ったんじゃねえ。なまえに言ってんだ」
「ふうん。……だとしても、すぐに終わるわけないでしょ」
「分からねえか?抱かせてやるっつってんだよ、」
「そりゃあ、嬉しいね」
「俺はな、もうコイツに執着してねえ」

 そんな生半可なもんじゃねえんだよ、俺とコイツは。
 黒岩の視線が突き刺さる。かつて、自分は黒岩満の作り出した『綺麗事』だった。それを勝手に壊したのは自分で、許容してくれたのもまた黒岩満だ。手を切られてもおかしくないだろうに、未だにこうして共に居るのだから、まだ自分には利用価値があるのだろう。だからこそ、誰と肉体関係を結ぼうとも、死の危険性がなければどうでもいいのだ。そう、思っていたのに、自分に突き刺さる黒岩の視線からまた別の黒いものを感じている。黒岩の言葉は何かを孕んでいる。

「いいか、さっさと済ませて連絡しろ」

 それだけを言い残して、黒岩は立ち去ってしまった。もしかしたら、何か用があったのかもしれない。あまり深入りせずに、黒岩は立ち去ってしまったのだ。唇は未だに火傷でひりついて痛い。黒岩さんだって、なまえさんのことが好きなくせに。と相馬が呟き、自分はただその呟きの意味をぼんやりと考えていた。日蝕と月蝕、結局どちらも成功しなかった。