不衛生な公衆トイレの一番奥の個室に、賽の河原へと続く扉がある。なまえは自分が男子トイレの景観にそぐわないと分かっていながら、何も躊躇わずにその扉へと手を伸ばした。そして、サイの花屋の部下達を囲うビニールシートの群生地を後にし、廃れた地下鉄のホームに続く階段を降りていく。なまえが足を止めた先に広がっていたのは、何処までも欲が渦巻く歓楽街の景色そのものだった。

「ここが、賽の河原?」
「せや、ここら一帯を仕切っとるのが花屋や」
「とっても素敵なところじゃない」

 まるで招かれざる客であると突き付けられているかのような、冷めた視線が真島となまえを刺し貫いている。女を買い漁っていた男達はなまえを品定めしているようで、そして、猫なで声の女達は真島を見定めているようで。

「それじゃあ、早速会いに行きましょ」
「間違うても、そこら辺のおっさんに買われんようにな」
「じゃあ、しっかり見守っててくれる?」
「俺の心配はナシかいな」
「だって、組長さん。私のことが好きでしょう?」
「エラい自信満々やないか、あァ?」

 浮気したら、組長さんも相手の女も殺してやるから。と耳打ちし、心底本気と捉えられる程に笑っていない瞳で真島を射殺す。おお、怖い怖い。と口の端を片方だけ持ち上げて笑う真島の腕に身を寄せると、二人は赤いカーペットが敷かれた通路のど真ん中を誰にも遠慮せず歩いて行った。面白いくらいに人波が左右真っ二つに分かれていく。この二人に触れてはならないと察したようで、訝しげな視線だけはそのままで、誰も二人を止めたりはしなかった。春を買い、命を買い、富を買う。ここに溢れる人間の数だけ、欲望が数多に蠢いている。その欲に足を取られぬよう、二人は賽の河原の最深部へと向かう。朱色の架け橋を渡り、扉を隔てた先には神室町一の情報屋であるサイの花屋がいる。二人は一度だけ顔を見合わせると、目の前の扉に手を伸ばし、その向こうへと進んで行く。
 すると、先程までの歓楽街のような景観から一変し、静寂が辺りを包み込んでいた。西洋の神殿を思わせる柱が左右に対となるように佇んでおり、フロアの中心には一つ大きなテーブルが備え付けられている。そして、背後の壁面一帯が大きな水槽のようになっており、その中で泳ぐ魚達は自由そのものであった。なまえは初めて見る光景に目を輝かせながら、辺りをきょろきょろと見て回っていた。まさか、神室町の寂れた公園の地下にこのような巨大な施設があるとは思いもしないだろう。地上に構える西公園は今やホームレス達の溜まり場でしかない。だからこそ、うってつけだったのかもしれない。誰がホームレスの溜まり場に、このような娯楽施設があると考えるだろうか。

「真島。お前、ここは女連れで来るところじゃねえって知ってんだろ」

 フロアの中心で椅子にふんぞり返る男が、真島に声をかける。上半身半裸の男は、直に羽織りを身に着けており、真島の次はなまえへと声をかけた。

「殺し屋のお嬢ちゃん、ここに何の目的で来た?」
「どうして?私、まだ名乗ってないのに、」
「何言ってんだ、ここの真上で銃ぶっぱなして騒ぎを起こしてくれただろうが」
「もしかして、見てたの?あの日の喧嘩」
「銃声なんか聞こえるもんだから、サツまで飛んでくる始末だ」

 花屋の言葉になまえは終始驚いた顔をしており、その二人の会話に割って入ったのが神妙な面持ちをした真島だった。

「堂島組の人間やった、あの日俺らに喧嘩吹っ掛けてきたんは」
「まあ、そうだろうな。真島、桐生とつるんでるお前は堂島組から見たら、さぞ厄介だろうよ」
「桐生って、あの桐生一馬?……親殺しの、」
「せや。桐生ちゃんと約束したんや、筋が通っとったら喧嘩買うてもらう約束をな」

 曇った表情をしていたなまえも真島が交わした桐生との約束の内容を知ると、楽しそうに真島の話を聞いていた。時折、うんうんと頷いており、真島の約束事の違和感を全く感じていない。

「それにお前ら、堂島組だけじゃねえだろ。もう一つ、厄介な奴らに目ぇつけられてる」
「……ウチのことかしら、」
「お嬢ちゃんも随分と厄介なところの出身だ」
「ねえ。私達、その二つの人間の動向が知りたくて、あなたの所に来たの」
「それしかここに来る理由はねえ、俺だって薄々勘づいてはいたがな」

 でもよ、いきなりやって来て情報寄越せってのは虫が良過ぎねえか?
 花屋の言葉になまえと真島は互いに見合う。彼からどのような要求が飛び出してくるのか、想像もつかない。充分に蓄えた富を今更強請るような相手では無いことは明白だ。ほんなら、俺らに何をさせたいんや。と先に口火を切ったのは真島だった。魚心あれば水心、相手は今こちらの出方を伺っている。こちらも情報を求めるからには、それ相応の働きをしなければならないと覚悟を決め、ここにやって来たのだ。

「おう、話が早くて助かるぜ」
「まあな、もう腹ァ決めとんねん」

 真島の言葉に頷いた花屋は、真島だけでなく、なまえにも視線を移した後、二人でやってもらいたいことがある。と零す。

「勿論よ、それで内容は?」
「最近、ウチの闘技場も少しマンネリ化してきてな。普通に生きてりゃあ、お目にかかることのねえ命のやり取りが、だ」
「……人の生き死にがマンネリ化だなんて、」
「肥えちまったんだよ、ある一定の客は今の刺激じゃあ満足出来なくなってやがる」
「ホンマに悪趣味な奴らやで」

 そして、花屋に提示された条件は以下の通りだった。マンネリ化した客を繋ぎ止める為に、新しい試みに挑戦する。真島となまえの二人には、今回の試みに挑戦し、刺激に慣れ過ぎて目の肥えた客を満足させること。即ち、闘技場で開催される大会での優勝が、取引の必須条件であると。

「新しい試みぃ?俺らに何やらせようちゅうねん」
「真島は大会経験者で、今日は面白そうなお嬢ちゃんを連れてる」
「まさか、私達二人にやらせたいことって、」
「二対二のスペシャルタッグマッチだ。そこでお前達に観客達を死ぬほど盛り上げてもらう」

 花屋の告げた提案に、真島となまえは合図した訳でもなく、口の端を持ち上げて笑っていた。その後、二人は互いの表情を見て、より口角を鋭く吊り上げていく。