「……許嫁?お前が?」

 一九八八年、某日。
 日中の神室町に二人の少年少女が公園で立ち話をしていた。どちらも良い身なりをしており、サスペンダーに蝶ネクタイの少年は淡い色のワンピースを着た少女に怪訝そうな顔を見せる。少女はその表情につられて浮かない顔をしており、気弱な一面が垣間見えた。

「じゃあ、お前は好きでもないヤツと結婚出来んのかよ」

 少年の言葉に少女は俯き、……わたし、その、と返事を返せずに困っている。手元は手持ち無沙汰が辛かったのか、膝にかかるワンピースの布をぎゅっと両手で握り締めていた。言葉が強すぎたと少年はバツの悪い顔をしながらも、強く言いすぎたことを謝る。しかし、譲れない主張はそのままだった。

「お前だって嫌だろ?俺は嫌だね、好きじゃないヤツと結婚することが決まってるなんて」

 少女は小さく頷くことしか出来なかった。少年は溜め息を吐きながら、少女の顔を覗き込んではポケットから母に持たされたハンカチを取り出し、うっすらと濡れた頬や目の周りにそれを押し当てた。鼻の頭を赤くした彼女に少年は言って聞かせる。

「お前も極道の家の子なら、もう少しちゃんと自分を持てよな」
「自分、って……?」
「何でもかんでも親や周りのヤツの言う通りになるなってこと、」
「……うん、」

 ようやく涙が止まった少女は自身の腕で最後の涙を拭い、目の前の少年にこう言った。ありがとう、大吾くん。と。大吾と呼ばれた少年は、この神室町に名を轟かせている堂島宗兵の子息である。堂島組と言えば、東城会直系であり、中でもかなりの勢力を誇る名の知れた組である。対照的に少女の名は、みょうじなまえと言い、地方にある極道一家の令嬢だった。何故、神室町の極道の息子と地方の極道の娘が二人でいるのか。それは本日、なまえ側の予定であった東京観光が大きく関係している。
 東京観光、と言えば聞こえが良いが、実際は極道一家同士の付き合いのようなものだった。大吾の母である堂島弥生と、なまえの母は旧知の仲であり、なまえが生まれる前から親交があった。丁度、同い年の子供がいる者同士、挨拶も兼ねて顔合わせがしたいという理由だった。久しぶりの顔合わせに、密かに浮き足立つ母と共になまえは、堂島大吾の元へとやって来た。見慣れぬ景色、聞き慣れぬ雑踏、それに加えて冒頭での会話。極道一家の子どもらは、何処に住処を構えていても尽きぬ問題を抱えているのは同じだった。

「いいか。とにかく自分が無いと駄目なんだよ、俺たちは」
「うん、」
「だから、今日はここで自分のやりたいこと、気が済むまでやるぞ」
「……ここって、神室町で?」

 なまえの途端に見せた不安そうな顔に、大吾は慌ててフォローを入れる。終始曇ったままのなまえの顔色をどうにかしたいが故の行動だった。

「俺に任せとけって。俺、結構この街には遊びに来てるからさ」
「大吾くん、一人で……?」

 すごいね、と羨望の眼差しを向けるなまえに大吾は気分が良かった。そして、同時になまえにも今日という日を思い切り楽しんで欲しいと思った。ヤクザの子どもという肩書きが持つ、負の側面は嫌というほどに目にしてきた。時には言葉で、時には態度で、時には目線で。それは互いの日常に染み付いている呪いだった。だからこそ、同年代の子ども達の中でも胸に抱えた靄を理解し合える者同士が『普通』や『当たり前』を手にしても良いはずだ。認知に多少のズレはあれど、友達のように接することが出来る相手など、互いに初めてだと思えた。

「じゃあ、今日はよろしくお願いします」
「堅苦しいのはやめろって、俺ら同い年なんだし、」
「そうだね。ありがとう、大吾くん」

 なまえは泣いていたことを忘れて、屈託のない笑顔を見せた。心の底から嬉しそうな笑顔に大吾は胸が熱くなるのを感じ、しかし、それを悟られまいと誤魔化すようにして駆け出した。待って、というなまえの声にその場に立ち止まっては踵を返し、遅れて駆け出したなまえの手を取って真昼の神室町へと飛び込んで行く。握った手の感触さえ、初めてのことだった。熱の増していく頬を冷ますように街の冷たい風に身を投じていけば、心臓が小さく高鳴っているのを感じていた。駆け出した苦しさではない、何か。だが、十一歳の大吾がその何かを知っている訳もなく、ただの一時的なものだと大して気に留めてもいなかった。たった一人、何も言わずに頬を赤くするなまえを除いて。


***


 昼間の質素なビルが軒を連ねる神室町を街に似合わぬ二人が歩いていく。夜の繁華街としての名残りが残る、下世話な看板や上りの旗、路面には蓄積された大人の残骸が打ち捨てられており、あまり治安の良い街ではないと告げている。しかし、なまえは初めて来たこの街をどこか特別視していた。友達と呼んでいいのか分からないが、堂島大吾という存在がこの街への抵抗感を薄めてくれている。時折、歩く速度を遅めてはこちらの様子を気にかけてくれており、なまえはそれがとても嬉しかった。
 大吾がなまえを連れて回ったのは、中道通りにあるゲームセンターだった。一度中に入ると、店内に各種様々な機体から耳を劈くほどの音が響き渡っている。専用のシートに座り、画面に映るプレイヤーを操作するレーシングゲーム。並べられた景品を専用のアームで掴んで獲得するUFOキャッチャー。向かい合うプレイヤーらが一つのゲームで勝敗を競い合う格闘ゲーム……と軽快な電子音で存在を主張する機体たちに目を奪われていると、こっち、こっち!と強く手を引かれ、とある機体の前で立ち止まる。

「これって何?」
「UFOキャッチャー。あのアームを動かして、中の景品を取るんだ」
「……難しそうだけど、大吾くん出来るの?」
「まあね、前に一回上手い人のプレイを見せてもらったから」
「じ、じゃあ、アレ、取れる……?」

 なまえが控えめに指を指したのは、コロッとした丸いフォルムが可愛らしい文鳥のぬいぐるみだった。どうやら、そのぬいぐるみは二種類あるようで、帽子が赤いものと帽子が緑のものがそれぞれ綺麗に並べられている。アレが欲しいのか?と訊ねられ、なまえは頷く。大吾は少し考えた後に、分かった。とズボンから財布を取り出す。なまえもワンピースのポケットに手を入れたが、いや、いい。俺が取ってやるから。見てろよ。と止められてしまった。申し訳ない気持ちのまま、大吾の隣でUFOキャッチャーのアームを行方を見つめれば、どうか取れますように。と密かに祈る。ふと、隣に視線を滑らせれば、隣で奮闘する大吾の姿があり、その横顔に線香花火のような火花に似た輝きが散っていく気がした。
 結末は、ゲームセンターから目を輝かせて出てきたなまえの顔が全てを物語っている。その手にはふかふかな肌触りの良い文鳥のぬいぐるみがあった。しかも、それだけではない。隣に並んで出て来た大吾の手にも全く同じものがあったのだ。まさか、一度に二つも取れるとは思っていなかったと、興奮の色が透けて見える。大吾は得意げになまえに声を掛けた。気分が良いのが一目で分かるほどに笑顔だったのだ。

「な、言ったろ?俺が取ってやるって!」
「うん!すごいね、本当に取っちゃうなんて」
「桐生の兄貴がやってたのを真似したんだ」
「桐生の兄貴?そういう人がいるの?」

 今度は大吾が目を輝かせて、『桐生の兄貴』という人物がいかに凄い相手なのかを語り始める。自分の父親の組員で滅法喧嘩に強く、しかし、こういった遊びの場でも手を抜かない。先程興じたUFOキャッチャーも、その桐生のテクニックを目の当たりにして盗んだものだと大吾は胸を張る。桐生の兄貴も凄いが、その技を我が物にした大吾も同じくらい凄いとなまえは声を大にする。すると、大吾はなまえの予想外の言葉に目を丸くしていた。

「なんだよ、ちゃんとはっきり言えんじゃん」
「あ、……ほんとだ」

 二人は顔を見合い、僅かに笑みをこぼす。よし、じゃあ次行くぞ!と意気込む大吾の手に、自分の手を重ねたのはなまえだった。同じタイミング、同じスピードで二人は駆け出す。通りに響く二人の足音は子どものそれで、無邪気さの名残りが風に吹かれて消えていった。