──── 海鳴りの地で潮騒に紛れて銃声を聞いた。真島は、未だに帰って来ていない。

 埠頭に到着したなまえはタクシーの傍で見送った真島の帰りを待っていた。海辺を漂う潮風に髪を遊ばせながら、真島と桐生の意外な関係についてぼんやりと考えている。まさか、あの二人に接点があるとは思いもよらなかった。親殺しの末に十年も刑務所に居た桐生一馬と。東城会は近江同様、大規模な極道組織だ。よくよく考えれば、同じ組織に属しているのだから、何処かのタイミングで何かしらの繋がりがあってもおかしくはない。もしかしたら、二人並んで仲良く戻って来るかもしれないと冗談めいたことを考えていた時だった。

 そう遠くない海辺に響く一発の銃声に、なまえは背筋に冷たいものが走る感覚を覚えた。音もなく血の気が引いていき、肝が冷えていく悪寒にも似た嫌な何かになまえは未だに戻らぬ真島のことが気になって仕方がなかった。指先が悴んで上手く動かせないまま、運転手に少しの間離れる旨を告げて、なまえは真島が行った道を辿って蛇革を探した。拓けた場所には倒れ込んだスーツ姿の男達がおり、恐らく堂島組の人間が桐生と真島に返り討ちに遭ったのだと知る。至急、その内の適当な男に声を掛けるが、誰も意識を手放したままで一向に話にならない。真島の行方が知れず、心身共に摩耗していくなまえが見つけたのは、たった一人だけ拳銃を手にして倒れている男だった。銃口は海へと向いており、銃弾の動線を目で辿った先に誰かの血痕が続いている。
 確信はない、ないが胸のざわめきが大きくなっていく。脳裏にひたすら危険信号が発せられ、体は真っ先に駆け出し、血痕の傍で足を止めれば、真っ赤に滲んだ水面が視界に入り、次の瞬間には海に飛び込んでいた。真冬の寒さだとか、人違いかもしれないなどと他人行儀な理由をまともに取り合わず、なまえは海に落ちた誰かを探して辺りを見渡しては水中を目視する。すると、辺りに血が漂って広がっている場所の中心に、なまえが探し続けていた男の姿があることに気付く。その男の正体は腹部から血を流す真島だった。

 呼吸を整えるべく一度浮上し、胸いっぱいに大きく息を吸い込むと真島の元へと泳いでいく。水中のあちこちに薄らと赤いベールが広がり、視界の悪さに眉を顰めつつも、なまえは真島の体を支えて海面を目指す。やはり周辺に漂っているのは真島自身の血で、その血の出処は銃で撃たれたと見られる腹部からだった。急いで顔を出した先には階段があり、まずは自身が海から上がると濡れた体が吸い込んだ水分でどれほど重かろうと、真冬の風に体温を奪われようと意に介さず、真島の体を引っ張り上げた。大きく揺れていた波、腹部を貫通した銃弾、止まらぬ出血。早急な応急処置が必要だった。必死に頭を働かせていると、不意に聞こえた声でなまえは真島に意識があることに気付く。

「……お姉ちゃん、すまん」
「喋らないで、お腹撃たれてるの」

 真島の冷えた脇腹を生暖かい血液が流れ出ていく。なまえは身につけていたシャツを脱いで、その布地を無理矢理に引き裂いていく。出血が見られる患部への圧迫による止血を真島への応急処置とし、なまえは待たせてあるタクシーの運転手に事情を告げ、とある医者の元へと運ぶように伝えると、運転手は血相を変えてなまえと共に真島を神室町へと搬送するのだった。


***


「お願いよ、助けて欲しいの」
「何があった、」
「銃で撃たれてる、だから、」
「……まずいな、あんたはここで待ってろ」

 場所は神室町、泰平通り西にある柄本医院。柄本は自身の元へ連れ込まれたのが真島であり、腹部に巻かれた布に染みる血の意味を察すると、険しい顔を崩さずにすぐに手術室へと真島を連れて閉じ篭った。なまえはと言えば、運転手の男の気遣いにより、真新しい服に身を包んでいた。海に飛び込んで濡れたままでは、なまえの体に障ると機転を利かせてのことだ。別れの時には、真島の無事を祈る言葉を残して仕事へと戻って行った。
 真島の手術は数時間経った今でも続いている。無理もない、銃で撃たれただけでなく夥しい量の血液が流れ出てしまった。一刻を争う事態には変わらない。深刻さの増す空気感の中、なまえは一人で考えていることがあった。それは真島吾朗とのこれからについてだ。恐らく今回の件で、堂島組による真島への報復は一旦、終わる筈だ。当分の間の標的は桐生一馬になるだろうが、それでも危機が去ったとは言い難い状況だ。真島吾朗は桐生一馬に肩入れしている。その事実が、第二の今日を生み出しかねない。

 恐ろしかった、水面に広がる血液の赤を見た時、心臓は痛いほどに高鳴り、脳は目の前の現実を受け止め切れないでいた。脳裏には、既に事切れた真島の悪趣味な想像ばかりで埋め尽くされ、あの時に体が自然と動き出さなかったら……と思うと酷く恐怖に駆られる。何故、人は直面した問題が膨大であればある程、今まで毛ほども気にかけなかった神に祈るのだろう。諦観に押し潰されないよう、藁にもすがる思いで神へ乞う。
 もう二度と世話にはならないから、となまえは真島の無事を祈り、一方で心を決めていた。今のままではいけないと気付いてしまったから。そして、いつの日にか口にした、真島を守ると言う言葉に背くことのないようにありたいと願ったから。なまえは薄らと赤く腫れた目で真っ直ぐ、ひたすら真っ直ぐに手術室の扉を見つめていた。その手には真島の愛用する鬼炎のドスが握られ、自身の役目を今一度思い出したのだ。