柄本曰く、手は尽くしたそうだ。一命は取り留めたものの、意識が戻るまでは予断を許さない状況であることには変わらないと告げられ、ベッドに寝かされた真島の頬へ静かに手を添えた。腹部に巻かれた包帯が痛々しいが、微かに動く腹部に一先ず安堵する。しかし、血色の悪さは取れておらず、柄本の言葉の信憑性が増していく。

「あんたもよく連れて来てくれたな」
「……私ね、あなたのこと知ってたから」
「知ってるってことは、前にもかかったことがあるのか」
「組長さんがここに来るのは、これが初めてじゃないでしょう?」
「ああ、前にも毒を飲まされてウチに来たことがあった」
「実はね、その毒は、」

 私が組長さんに飲ませたものなの。と顔色一つ変えずに口にしたなまえに、柄本は眉間の皺を深く刻む。医者からしてみれば、気持ちの良い話では無いことは承知していた。だが、この柄本と言う男は他所の医院と違い、信頼の置ける相手であると判断し、なまえは毒薬の使用者であることを明かしたのだ。

「そうか、あんただったのか。真島に火をつけたのは」
「その節はどうもありがとう。私が来るよりも先に組長さんを治してくれて」
「……どういうことだ、あんたは真島を殺したかったんだろう?」

 眠る真島の傍を離れ、なまえはソファーに腰掛ける。釣られるように柄本も対局に座し、話の続きを催促した。せがまれるまま、なまえは続きを語る。あの日のことと先程の言い回し、勿論それだけではなく、自身の正体について。全てを話し終えた頃、辺りには沈黙が流れていた。耳を疑う内容だと指摘されればそれまでだが、全て真実なのである。疑いの余地はあれど、捏造の余地はなく。

「驚いたな、まさかあんたがそんなことを」
「……まだ組長さんには言ってないの」
「そりゃあ、おいそれとは言えないだろう」
「でも、ちゃんと話すつもり。きっと組長さんは首を縦に振ってはくれないでしょうけど」
「ああ、アイツにはそういうものに興味がない男だからな」
「良い人ね、先生って」
「おだてても何も出んぞ」

 審判の時は近付いている。真島が目を覚まさなければ、真の意味でなまえは罪人と成り果てるだろう。全ては贖罪の為に働きかけてきたことだった。真島吾朗というイレギュラーと出会うまでは、何もかもが計画通りに進んでいたのだ。強い光に目を焼かれた者は、暗闇の中であろうとも幾度となく焼かれた光に目を奪われる。なまえにとって、真島吾朗は自身の目を焼くほどの強い光だったのだ。失われるべきではない、眩い光。今は眩さを覆い隠すように暗雲が立ち込めているが、なまえはどうしても失いたくなかった。

「真島は頑固な男だ、一度言ったことは曲げん。覚悟の上でなきゃ話にもならない」
「あの人のそういう所は分かってるつもり」
「……そうだな、上手くいくと良いな。期待は出来ないが、」
「ええ、私も頑張ってみるわ」

 ま、そん時には声を掛けてくれ。場所は都合してやる。ありがと、先生。
 蟠りが解けたようにすっきりとしているのは、秘密を共有出来たからだろうか。柄本の顔も心做しか、どこか柔らかい表情に見える。なまえの抱える秘密を知る人間はあまり多くない。柄本の他にも幾人かはこの秘密を知っているが、なまえはそれを滅多なことでは明かさないように決めていた。殺し屋と言う稼業の根幹を揺るがす程の隠匿性の高い内容故に、なまえは秘密を明かす人間を選別している。それは先代との約束であり、なまえが裏社会で生きていく為に必要なことだった。


『君にしか出来ないことをすればいい。ただ殺すだけの人間なんて、掃いて捨てるほど居る』

 記憶の渦に沈めておいたのは、綺麗に保存された彼との会話だ。当時のなまえは裏社会と共に生きる家系故に進むべき道を決められずにいた。黒に染まる歴史から逃れて、自分だけ都合良く白に混ざることは出来ず、黒として生きることを強いられていたなまえに進むべき指標を与えたのが、暗殺組織の先代である彼だった。偶然にも両親の元を訪ねていた彼は、なまえに先述の言葉を残して行った。選ぶべき道が一つしかないのなら、どのようにして受け入れていくかが大切だと説いてくれたのだ。
 白になれなくとも、自身の居る場所から白を見つめることは出来ると、彼は柔和な笑みで諭す。何をすべきかが肝要なのだと話し終える頃には、なまえにもようやく自身の在り方を見つけられたようで、最後にはただの男女として戯れ合って別れた。今まで、先代の言葉を一度たりとも忘れたことはない。今まで、先代の言葉に一度も背いたことはない。今まで、先代の言葉に一度も救われなかったことはない。

「どうした、急に黙り込んで、」
「ごめんなさい、少し昔のことを思い出してたの」
「昔のこと?」
「私がずっと好きな人のこと」
「おいおい、そんなの聞いたらアイツ、」
「……どうなるかしら、組長さん」
「腹の傷が開くのもお構い無しに、その男に会わせろって無茶するぞ」

 柄本の言葉通りの真島を想像するのは容易で、もう昔の男だからと宥めている自身の姿さえ思い浮かべられる。自分にしか出来ないことをすればいいと教えてくれた男の笑った顔が好きだと思い出せば、愛おしい笑顔に真島の面影が重なり、真島に見せた執着の核心に触れる。そうだ、そうだった、似ていたのだ、何処かが彼に。だから、目が離せなかった。だから、誰にも奪われたくなかった。だから、傍にいるのが心地よかった。だから、だから。なまえはようやく自覚し始めた恋慕に笑みを零す。どうして今まで気付けなかったのか。自身の鈍さに苦笑しては、真島に是が非でも目覚めてもらわねばならなくなったではないか。なまえはまだ自身の胸の奥に秘めた思いを真島に伝えていない。