なまえが行方知れずになって、数ヶ月が経った頃、真島吾朗は神室町にある某ホテルへとやって来ていた。理由は一つ、行方知れずだったなまえから連絡が入り、このホテルの一室で会いたいと約束を取り付けられたからだ。一人で約束の部屋へ向かう道中は、まるで初めて二人で転がり込んだ夜を思い出す。男女の戯れの果てに、女の底深い嫉妬に触れて酷い目に遭わされたのが昨日のことのように甦る。そして、翌日の朝には朝食に誘われたかと思えば、置き去りにされた手榴弾で吹き飛ばされそうになったりと、いつ命を落としてもおかしくないほどに過激な瞬間ばかりだったと口元が裂ける。
 なまえとは一切の連絡が取れず、真島は突然訪れた平穏に肩透かしを食らっていた。胸を騒がせるほどの誘惑も、気軽に戯れられる相手も居なくなってしまったこの街で退屈を持て余していたのだ。東城会の会長が変わってからと言うものの、組織の立て直しだとか、極道の在り方が金に寄って来たように思え、より退屈さに拍車がかかる。しかし、今夜は違う。鬱陶しいほどの退屈さを忘れさせてくれる再会が自身を待っているのだから。真島は遂に約束の部屋の前に辿り着くと、何の危機感も持たずにドアノブを回した。容易く開いたドアの先で待ち受けていたのは、落ち着いた色味のブロンドをドライヤーの熱風に遊ばせているなまえの姿だった。

「こんばんは、久しぶりね」

 シャワーを浴びたのか、装いはバスローブで、なまえは久々に再会した男のことよりも、自身の湿った髪を乾かすのに夢中になっていた。だが、男は、真島は見逃さなかった。女の肌にいくつかの傷跡があることを。革靴を脱ぎ捨てた真島はなまえの傍へと歩み寄ることなく、手頃な椅子に腰掛けるとだらしなく足を伸ばした。

「お姉ちゃんがこの街から居なくなって、俺は寂しかったで」
「あら、ほんと?嬉しいこと言ってくれるのね、」
「当たり前やないか、溜まりに溜まったモンが晴らせんで困っとったんや」
「可愛い子なら、この街にも居るでしょう?」

 つれへんこと言うなや、お姉ちゃんに一途なだけやないか。……私ね、そんな冗談じゃ嫉妬してあげないの。
 なら、今から洒落込むか?えぇ?と前のめりになる真島をあしらうと、さらりと揺れる暖かなブロンドで大きく開いた股ぐら、真島の太腿へと腰掛ける。不安定な姿勢に無骨な手が女の腰に添えられ、女は男の肩へ手を添える。そして、男はもう片方の手でバスローブから覗く女の胸元に触れた。革が邪魔だと人差し指の生地に歯を立て、器用に手袋を外しては左鎖骨を縦に走る傷跡をなぞっていく。

「……痛かったやろ、」
「ええ。でも、必要なことだったの」
「俺を置いて、一人で喧嘩に行ったことがか?」
「ごめんなさいね、楽しみを最後まで取っておけない性格なの」

 なまえは真島の耳元に顔を寄せると、こっそりと耳打ちをする。みんな、返り討ちにしてやったの。と嬉しそうに明かすなまえに真島も釣られて笑みを零す。どういう算段や、となまえへと視線を移す真島の隻眼を見つめたまま、なまえは語る。殺さずして相手の弱味につけ込んだだけだと。以前にも綴ったが、なまえは不殺の殺し屋という立場にあったおかげで、協力者と呼ばれる人間が多数存在しており、今回の反乱も無事に鎮静化へと向かっているそうだ。勿論、その協力者の中には賽の河原で世話になった花屋も含まれている。
 しかし、なまえにはまだやり残したことがあった。それは先代を暗殺した二代目の男への報復である。今までの相手は皆、家族、恋人と言った弱味を握ることで自身への関わりを断ち切らせることに成功したが、今度の相手ばかりはそうはいかない。だが、どのように覚悟を決めても時折、判断に苦しむのだ。手を下すべき相手であることは明白だ。それでも、生かして罪を償わせるべきだという思いもある。甘い、そう言われれば終わりだが、実際二の足を踏んでいる問題だ。だからこそ、なまえは真島に会わなければならなかった。自身の決心を後押ししてもらう為にも、会わなければならなかったのだ。

「私にやれると思う?」

 真島は至って真面目な顔で首を横に振った。やはり、そうだ。なまえという女は決して相手を殺めることは出来ないと、真島にさえ分かっていたことだったのだ。

「たとえ、どんなに憎い相手やったとしても、お姉ちゃんは絶対に手ェ掛けたりせえへん」

 寧ろ、気持ちがいいほどにきっぱりと言い切った真島に、なまえは内心救われていた。人にはどうしても後に引けない局面が訪れる。どうしても成し遂げなければならないと強迫観念に駆られ、正しい判断を下せなくなる瞬間が。過ちを過ちだと言えなくなってしまった時、人は獣へ戻る。真島は人間に与えられた理性を正しく使い、なまえに無理であると現実を突き付けたのだ。なまえという女は獣に在らず、人で在り続けられるように。

「そうね、ありがとう」

 肌をくすぐる指先をそのままに、なまえは真島に身を寄せると、いつの日かのように二人だけの時間を過ごすのだった。さながら、最後の逢瀬でこの時ばかりはなまえも一人の女として、可愛げのある振る舞いを見せた。どちらも野暮なことは口にせず、少しずつ削り取られていく今をただただ大切に切り崩していくのである。