父親は有名なヤクザだった。関東で最大勢力を誇る東城会で、随一の武闘派として知られる堂島宗兵。その父と母である弥生の間に生まれたのが自身である。物心ついた頃から、自身に対する周囲の接し方を見て、物言わぬ寂しさを覚えていた。たとえ、どんなに人間性を磨こうとも、勉学に励もうとも、人として良しとされる行動を取ろうとも、ヤクザの息子という貼られたレッテルは度外視されることはなかった。満足に年相応の友人が出来ない自身を持て囃すのは、いつだって父親の組の構成員か、一つのステータスとしてしか自身を見ていない不相応な相手ばかりだった。
 心の在り処を知っていながら、人としてどうすればいいのか説かれておきながら、世間はたった一人の子どもを許容出来ない。異物でしかなかったのだ、平穏を望む世界にとっては。平穏を望む教室では。すると、ありのままでいるよりも、皆が貼り付けたレッテル通りの人間になってしまった方が気が楽だった。あまりにも皮肉だった、普通でいることを望んだ子どもが行き着いた先が、ヤクザの息子としての堂島大吾だったのだから。

「はじめまして。あなた、大吾くんね?」

 綺麗な人だった。その日、母親の元に一人の子どもを連れて来た女性は自身と同じ目線まで身をかがめると挨拶をしてくれた。その後ろには、可愛らしいワンピースに身を包んだ、彼女がいた。眉にかかるほどの前髪、華奢な髪の束はさらりと流れるように揺れていた。恐らくこの綺麗な人の娘なのだろう、育ちの良さが見て取れる彼女でさえ、ヤクザの娘だったのだ。その事実を素直に信じられない一方で、今まで自身が感じてきた暗い感情が甦る。母親に促されて後ろの彼女は、緊張した顔で遅れて挨拶を口にした。小さく消え入りそうな声に、かつての自分の姿を見た。だから、彼女を連れて、なまえを連れて街に繰り出そうと思えたのだ。初めて、この女の子の笑った顔が見たいと思えた。
 そして、二人は神室町へと遊びに繰り出すことになる。知らずの内に結び付けられた縁を解きながら、本当の意味で子どもでいられるように。これは後から知ったことなのだが、やはりみょうじなまえは堂島大吾の許嫁としての話が秘密裏に進んでいたそうだ。話の発端は両者の父親同士で、なまえが東京を訪れたのは、地方の極道であるなまえの母が一連の無礼を詫びてのことだった。

『じゃあ、お前は好きでもないヤツと結婚出来んのかよ』

『お前だって嫌だろ?俺は嫌だね、好きじゃないヤツと結婚することが決まってるなんて』

 なまえへの言葉に嘘偽りはない。誰かの為に宛てがわれる生き方など、許せるはずがない。ただでさえ、自身らには自由がないのだから。何故、他人が敷いたレールの上を綺麗に走らなければならない。何故、心を殺してまで偶像の傀儡にならなければならない。何故、自身の為に未来を模索することを許されない。同じだった、堂島大吾も、みょうじなまえも。親が極道だったと言うだけで、ここまでの不利益を被り、理不尽さに晒されてきた。だが、それでも生きていかなければならない。割り切れないものがあろうと、歩みを止めてはならない。だから、だからこそ、支えになるものを見つけ、愚直にそれを守っていくことが出来れば、傀儡に成り果てようともこの先の人生で正解を見つけられる。そう、信じていた。みょうじなまえの父親の組が壊滅し、命からがらで逃げ延びてくるまでは。
 未だに忘れられない、弥生の気遣いで堂島組の若衆と自身でなまえを連れて、かつて遊び回った神室町の喫茶店で過ごした時のことを。生気の感じられない顔、唇は僅かに乾燥しており、切れた箇所が痛々しく、目元は相当泣き腫らしたと思われるほどに赤く腫れていた。初めは出された皿にも手が付けられず、沈黙が流れ、誰もが口を噤んでいた。だが、漠然とこのままではいけないような気になり、真っ先にテーブルの皿に手を付けたのだ。

「食え、飯が冷めちまう。それに気を遣ってくれてるコイツにも失礼だからな」
「若、そんなの気にしないでください」
「駄目だ、それで母さんが納得するとは思えない」
「でも、ついさっきまで危険な状況だったんでしょう?しかも、こんな小さな女の子が、」
「それでも、駄目なんだ。俺、なまえがちゃんと食べるまでここを出ないからな」
「……若はこう言ってるが、なにも無理しなくても、」

 今の今まで俯くばかりだったなまえは、口を開きはしなかったが、手元に並んだフォークを掴むとがむしゃらに料理を口に運んだ。どんなに見てくれの悪い食べ方だろうと、何かに抗うように必死に食事を食べ進める姿はなまえなりの反抗だったのかもしれないと、今ではそう思える。聞き分けだけは良い生き方をしてきた者同士、どうすればいいのかを熟知していた。決して誰も咎めたりはしなかった。それで良いと宥めるようにその食卓では重苦しい静寂のまま、食事が進められていった。
 なまえも、自分自身も、同行してくれた若衆も、その場を取り繕うような綺麗な食事ではなく、何かに感化されたように料理を口に運んでいた。まるで、たった今目の前に現れた理不尽に抗うように、今を生きる為に。確か好きなメニューを頼んだつもりだったが、何故だか泣きたくなるような味だったのを覚えている。この日、自分に出来ることはこれだけのことだったように思えた。