なまえと再会し、桐生一馬とも再会を果たした堂島大吾は酷く物思いに耽っていた。高校退学より、まともに会えなかった彼女との再会は実に惨めなものだった。自身に怯えた目を向ける姿に、やるせなさだけではなく、やり場のない怒りさえ覚えていたのだ。本来ならば、彼女に差し向ける感情ではないと分かっていながら、よく出来た人生を歩んでいるなまえを羨み、妬んでいたのだろう。彼女の過去を知っていながら、自身が不在の間に弥生の支えになってくれていたと知りながら。
 見えぬ苦労は誰にでもある、大吾自身もそうだ。皆の夢を守りたいからと体を張った時と同じだった。なまえも誰かの為に、何かの為に体を張ったはずだった。昔の面影の残る泣き顔が瞼の裏に焼き付いて離れないのは、かつて自身が守り抜きたかったくせに、自らの手で粗末にしてしまった罰なのかもしれない。

 すっかり痛みの抜けた頬に触れる。なまえも、さぞ痛かったことだろう。大吾からして見れば、なんてことの無い一撃だった。だが、今まで何度か喧嘩で殴られることがあったが、その中でも一番と言って良いほどに痛みが勝る。こんなやり方でしか、彼女と対峙することが出来なかった憐れで幼稚な自身を悔やむ。
 入り浸っている店にあの電話がかかってきた時、大吾は不意に何かが変わるような予感がしていた。彼女と、みょうじなまえと再会することで何かが変わる、いや、変わってくれるような気が。しかし、顔を合わせた途端に心変わりを許せなくなっていた。たった一人の女に会ったところで、今の人生が変わるはずもない。実際に再会した瞬間のなまえは酷く動揺していた。その動揺した目を見てからは、淡い期待など抱くべきではなかったのだと知る。

 ──── お前が必要なんだ。
 桐生の言葉が胸に空いた穴に落ちていく。そのまますり抜けて地に落ちてしまえばいいものを、いつまでも胸の内に留まっては、未だ癒えぬ古傷をこじ開けようとしている。近江との因縁、郷田龍司という存在、屈辱の五年間、弱体化の一途を辿る東城会。そして、みょうじなまえとの再会。
 このままで居られるのなら、きっとその方が良い。惰性と諦観を友とし、毎日浴びるように酒を飲めばいいのだから。しかし、結局はただの先延ばしでしかなく、いずれ人は自身の災難と対峙し、乗り越えなければならない。桐生一馬という存在がいる今なら、ようやく向き合えるのかもしれない。雪辱を濯ぎ、今一度自身の足で立てる最後の機会なのだと。

「……何も縋り付きたい訳じゃねえ、ただ、」

 ただ、もう一度だけアイツに会ってちゃんと謝りたい。独白の内に大吾は自身の本心を見た。意味もなく傷付けてしまった彼女への贖罪である。まずは今までの全てに決着をつけ、過去のしがらみを清算しなければ、再び彼女の前に立つことは出来ないだろう。吐き出したい言葉を飲み込めば──── 。


***


 ふと意識が引き戻される。揺れる車両、深くもたれかかった硬い座席の居心地の悪さ、今は努めて冷静でいるべきだと食んだ煙草。窓の外を眺めようにも遅い時間帯の新幹線ということもあり、味気ない夜闇が広がっているばかり。一時的に席を立った桐生の帰りをぼんやりと待ちながら、何度も後味の悪い感情を反芻していた。
 すると、思っていた以上に時間が過ぎていたのか、片手に缶コーヒーを持って桐生が自席へと腰を下ろす。七色のカラーリングが鮮やかな缶コーヒーを大吾の前に置いては、桐生も自身の缶を開け、ゆっくりと傾ける。それから大吾はぽつぽつと近江に関わる過去の因縁を零し、桐生に用心すべきだと告げると、間を置いて意外な言葉が返ってきた。

「そういや、昨日本部でお前の友人に会った」
「……友人だあ?しかも、本部でって」
「柏木さんに関西へ向かうことを話に行ってたんだが、その帰りにな」
「そんな奴なんか居ねえよ。変なネズミかなんかじゃねえのか?」
「ああ、俺もそうだとばかり思っていたんだ」

 桐生の言う『友人』という言葉に全く心当たりのなかった大吾は怪訝そうな顔で話の続きを聞いていた。しかし、話が進むにつれて徐々に『友人』と称した人間の正体に気付くことになる。

「でも、そいつはお前が関西に行くと知り、俺に声をかけてきたらしい」
「それで、何て?」
「お前のことをよろしく頼むと言っていた」
「……俺のことを、」
「相手はお前と同年代ぐらいの女だった」
「まさか、なまえか?」

 桐生はその名に覚えがないようだったが、大吾の中でそれは確信に近いものだった。東城会の本部に出入り出来る人間など限られている中、関係者以外の人間が足を踏み入れることは不可能だ。ならば、東城会関係者の女となるが、そもそもヤクザの色が特別な事情もなく本部に立ち入ることは有り得ない。だが、たった一人だけそれが可能な人物がいる。

『私は、ただ、あいたかったの』

 かつて堂島組に身を置き、現会長代行を務めている堂島弥生の侍女だった女が。そして、その女は今、この神室町に戻って来ていた。東堂ビルの裏口にあった車の意味をここで初めて知る。なまえは恐らく、自身の出所を聞きつけ、単独で神室町に戻って来たのだろう。そして、組のツテを使って大吾との接触を図った。だが、無条件で取り付けた約束ではなかったが為に、東城会本部、母である堂島弥生の元へ連れられる予定だったのではないか、と。

「友人、か。そうか、確かにそうだった」
「この件が落ち着いたら顔でも見せてやればいい」
「……ああ、そうするよ」

 色々と話したいことがあるんだ。と返したのを最後に大吾はもう一度、窓の外を見た。ほんの少しだけ泣きたくなる気持ちを飲み込み、手元の煙草を口に添える。何故、彼女は自身との関係を『友人』と称したのか。何故、彼女は桐生一馬に自身の無事を祈って頭を下げたのか。物事が動き始めた今なら、何となく理解出来る。
 彼女の中には、きらきらと眩く楽しかったあの頃が生きているのだろう。一九八八年の神室町での出来事が。何でもかんでも周りの奴らの言うことを聞くなと忠告した頃が懐かしい。確かに彼女は自身にとっての『友人』であり、『家族』であり、『大切』だった。寂しげな心情を抱えた大吾を乗せた新幹線は関西方面へと夜闇を切り裂くように駆け抜けていく。