沈黙の間に繰り返しているのは、手にした銃の引き金を引くという最悪の結末。決して外してはならない、とどめ損ねたヤクザほどタチの悪いものはない。そうならない結末の方がよっぽど良いと分かっている。だが、物分かりがいいだけで生きていけるほど、この世は甘くない。遂に代償を払う時が来たのだ、自分一人だけが生き残った意味があたかもそうであったかのように錯覚していく。
 自身の行動を正当化する様はまるっきり新藤と同じなのだが、なまえはどうしても譲れなかった。何も出来ずに失われたあの光景が目の前で再現されようとしているのに、どうして無条件に降伏することが出来ようか。もう二度と大切な母を失いたくないと泣き喚く子どもは果たして愚かなのだろうか。救いようがないほどに憐れなのだろうか。しかし、素人の脅しを本業が恐るはずもなく、なまえの不安定な覚悟を上回る新藤の凄みに場は気圧され、その場しのぎの支配は朽ち果てていく。

「ほら、どうした。撃てよ」

 一歩、また一歩と歩を進める新藤は大胆不敵に笑う。この時、誰もが分かっていた。この女は新藤を撃ち殺すことなど出来やしないのだと。恐れているのならば、いっそのこと全て終わらせてしまえばいい。しかし、それすら出来ずに引き金に掛けた指は慎重にその位置を調整し続けている。そして、遂に無鉄砲に突き付けただけの銃口が新藤の懐に触れた次の瞬間、なまえは頬に強い衝撃が走るのと同時に床に倒れ込んでいた。
 痛みに蹲る暇などないと、涙の浮かぶ目で新藤を睨み付ける。頬を打たれた程度で心が折れてしまうほど、今まで生半可な地獄を見てきたわけではない。新藤はなまえから取り上げた拳銃を一旦懐へ戻すと、今度はその場で身を屈めてなまえの前髪を掴んでは自身へと引き寄せる。

「やめとくれ、新藤!その子に、なまえに手を出すんじゃないよ……!」
「姐さん、俺ぁこの女を殺すつもりはねえんです。安心してください。にしても、」

 再び新藤の審美眼の前に晒される。何かを推し量る目付きに背筋が凍るように感じられた。

「なあ、お前。本当に姐さんと血ィ繋がってねえのか?ええ?」

 新藤が向ける眼差しの不穏な熱に、弥生が晒されていたのかと思うと酷く吐き気がする。込み上げるのは底なしの不快感と、いつも抗えぬ自身の無力さへの怒りだった。決して修羅にはなれぬ女の惨めさに腹が立つ。何故、いつになっても奪われる側から脱却することが出来ない?何故、奪われることを強いられる?何故、誰かの犠牲の上に安穏と生きていかねばならない?何故、

「この気の強えところなんか、そっくりじゃねえか」

 ──── 何故、一線を越えることを躊躇っている?
 ここでようやく視界が滲み始める。自問自答の末に残ったのは、何も出来ない無力な自分自身という答えだったからだ。だが、なまえは知らない。一線を越えるかどうかを委ねられた時、それを踏み止まれる人間と言うのは、誰かに愛され、健やかに育まれた存在なのだと。倫理観を一から積み上げ、他者へ与えるべき深い慈愛を説き、生きる意味を日々証明してみせることの偉大さがどれほどかは計り知れない。
 それは時に亡き両親から、時に消息を絶った彼から、時に堂島弥生から、時に堂島大吾から、確かに与えられてきたものだった。だからこそ、牙を剥くことの不必要さを知っており、生きていくには血の繋がりが全てではないと知ることが出来たのだ。

「女の泣き顔も悪かねえが、俺の一番は姐さんだ」

 乱暴に捕まれた前髪を解かれ、なまえは額に走る強い痛みに悶えながらも、抵抗の手を緩めなかった。自身を解放した新藤を足止めすべく、後を追えば部下の手によって拘束され、体の自由を奪われる。どれほど暴れようとも、拘束は解けないまま、痺れを切らした新藤になまえは気絶させられることとなる。しかし、その直前になまえはこう口にした。

「に、逃げて……、お母さ……、」

 今まで一度たりとも、そう呼ぶことの出来なかった娘の言葉を最後まで聞くことの出来ない無念が弥生の内心に渦巻く。なまえの言葉を遮るように、新藤は懐に戻していた拳銃のフレームの角でなまえの頭部を強打した。その強い衝撃になまえは意識を失うと、その場でだらりと脱力し、新藤の部下に体を預けた状態で気絶してしまった。
 そして、さながら事務的に連れ出されていくなまえの姿を縋り付くような目で追っていると、妙な違和感に気付く。なまえを預けられた新藤の部下がたった一度だけ、部屋を出て行く寸前で軽く会釈をしているように見えたのだ。そうしたくとも、取り乱すことの許されない立場である弥生の内心を知っているかのように、その男は真っ直ぐに弥生を見た後にこの部屋を出て行った。

「さ、姐さん。やっと二人きりになれたんです、ゆっくり話でもしましょう」

 何故だか、なまえのことはあの連れ出した男に預けても良いと直感が呼び掛ける。ならば、彼女への心配は今一度手放すとして、これから東城会に謀反を企てた新藤と向き合わなければならないと弥生は唇を密かに噛み締めた。