東城会会長の座と弥生の奪取を目論む新藤との激突は桐生によって鎮静化されたものの、近江の魔の手が組織内部にも及んでいるのだと知った堂島弥生は全組員へ告ぐ。この神室町で近江の人間を見掛けることがあれば、力づくでも叩き出すのだと。この日をもって、東城会と近江連合の対立は確固たるものとなったのだ。
 騒動後、弥生は大吾を引き連れてとある場所へと向かっていた。それはなまえが隔離されていると思わしき部屋だった。新藤の部下でありながら、まるでこちらの意図を汲むかのような素振りをしてみせた男のことが弥生は気掛かりで仕方なかった。似ていたのだ、数年前に自身の元を訪ねてきたあの男に。当時、まだ幼いなまえを連れた彼に。

 ──── 逃げて、お母さん……!
 気を失う直前のなまえが悲痛な顔をして、自身へと呼び掛けた一言が今も胸の奥に留まっている。たった一人の娘の言葉がここまで胸に迫り、愛おしく響き続けるのは弥生自身もなまえのことを心から実の娘のように思っていたからなのだと知る。早まる足に、その後ろをついて行く大吾は一心になまえの無事を祈るばかりだった。正直、弥生の直感は半信半疑に思っている節があった。相手はあの新藤の手下なのだから、最悪の結末になろうものなら容赦なく手を打つだけだと。
 やがて二人はとある部屋の前で足を止める。そこは五代目であった寺田がかつての東城会の姿を閉じ込めた部屋だった。ここに立ち入れる人間はそう多くは無いが、内部の人間であった新藤からすれば人質を隠しておくには都合のいい部屋であると知っていたのだろう。弥生の勘が当たったと言わんばかりに、その部屋の鍵は既に解錠されており、自身ら以外の侵入者がいたことを物語る。

「開けるぜ、」

 扉に手を掛けたのは大吾で、弥生はその言葉に頷くと大きく開かれた扉の向こうで横たわるなまえとその傍らで寄り添うように地べたへ座り込む一人の男がいた。男は羽織っていた上着をなまえに掛けてやり、時間を持て余すかのように煙草を燻らせていた。

「てめぇ、今すぐなまえから離れろ!」
「……お待ちしていました」

 大吾の怒号もものともせず、男は言われるがままなまえの傍を離れると、弥生と大吾と向き合うようして正面に佇む。

「少し顔を貸しな、お前に話がある」
「お袋、こいつはあの新藤の……!」
「分かってる。だけどね、この男は私らに手を出しゃしないよ」

 大吾、なまえの意識が戻るまで傍にいてやっておくれ。と言い付け、弥生は新藤の部下だった男を部屋の外へと連れ出す。弥生自身もこれから男へ話す内容を大吾やなまえに聞かれてはいけないと察していたが故の行動だった。人気のない通路は先程まで新藤の反乱が無かったことのように静寂を保っている。言葉少なな男も弥生らと合流したことで、どこか安堵しているように見えた。

「アンタ、あの時のだね?」
「この姿でお会いするのは初めてですが、よくお分かりに」
「とうの昔に死んじまったとばかり思っていたが、まさかその姿で身内にいたとはね」
「運の良い偶然でした」

 ただの偶然だと語る男は、数年前になまえを組から連れ出し、弥生に彼女の身柄を託した張本人だった。だが、なまえを弥生の元に託してすぐに男は東京を離れ、なまえの両親であり、自身の組を壊滅させた人間を探し出すことを目的としていた。だからこそ、弥生はこの男と二度と再会出来るとは思ってもいなかった。

「顔を変えたんだね、あの子もアンタの正体を分かっちゃいないだろう」
「あの子は、……お嬢は既に意識を失ってましたから、自分のことは何も」

 男曰く、前の組が壊滅し、復讐を果たす為に生きていた矢先に、東城会の人間と知り合ったのだと言う。最後の標的を排除したタイミングでの出会いはまさに偶然としか言いようがなかったのだと。自身と盃を交わしたのは、錦山彰だった。復讐の悪鬼と化していた自身を気に入り、各方面に手配を回してくれたのも錦山で、彼と出会わなければ今の自身は存在しないと男は語る。

「あの錦山がアンタに手を貸したのかい?」
「錦山組長は多くを語りませんでしたが、恐らく同じ修羅の道に踏み入ったことのある人なのでしょう」

 錦山の件は東城会という組織に深い傷を追わせるきっかけとなった事件だ。その中でも殺害された堂島宗兵の妻弥生、息子の大吾。そして、親殺しの汚名を被った桐生一馬の中に一生残る傷でもある。弥生はこの時、錦山と眼前の男がどこか重なって見えていた。大切なものの為に修羅の道を突き進まざるを得なかった男の姿が、とてもよく似ていた。

「……今回のことは助かったよ、アンタが居てくれたおかげで私はあの子を失わずに済んだ」

 男は一瞬、言葉を詰まらせながらも頭を垂れては謝罪を口にした。彼女を守れても、彼女の大切な家族である貴女を守ることは出来なかったと苦々しく告げる男に、もう終わったことだよ。と弥生は首を横に振る。そして、最後の質問であるかのように弥生は男へ訊ねる。

「アンタはこれから先、どうするんだい」

 あの日と同じ問い掛けだった。男はその言葉に咄嗟に口を開く。男の出した答えに弥生は目を丸くしたものの、すぐに頷き、手短に礼を告げた。あの日とはたった一つだけ違う結末を知った弥生は、その場を後にする男の背中を黙って見つめていた。