村の入口で待つ車に乗せてもらい、なまえは真島らと共にゴロー丸へと向かう。車内は西田と南、真島にノアとゴローが乗り合わせ、賑やかな雰囲気のまま山を越え、海が見える道を走り抜けていく。夜の海を眺めていると、不意に声を掛けられる。その声の主はノアと呼ばれている少年だった。毛先がくるくると跳ねたやんちゃな赤毛の少年はなまえを好奇心に満ちた目で見つめていた。
「初めまして、あなたのお名前は?」
「俺、ノア。こっちは俺の飼ってる猫のゴロー」
「……虎じゃなくて?」
「猫だよ、ゴローは猫」
ゴローと紹介された虎……ではなく、猫はノアの膝に座っており、その額には特徴的な星形の模様があった。確かに虎も猫も同じ分類だと聞くが、どう見ても虎にしか見えないゴローはその大きくつぶらな瞳でなまえを直視している。大きな括りで見れば、猫であることには間違いない。そう自身に言い聞かせ、なまえはゴローについてそれ以上追求することをしなかった。
試しに恐る恐る手を伸ばしてみれば、ゴローはふっくらとしたその口元をぐいぐいと手の甲に押し付けている。警戒はしていないようだったが、余計に敵対されていた冴島が可哀想に思えた。
「お姉さんは?」
「私はなまえ、日本から冴島さんと一緒に来たの。ほら、あの大きな男の人」
「ああ、船長とやり合ってた人。一緒に来たってことは、なまえさんは冴島の奥さんなの?」
二人のやり取りを聞いていた西田と南が一斉に吹き出し、その話が聞こえた真島は露骨に怪訝そうな顔をする。三者三様の反応になまえは破顔して笑っていた。冴島とはそのような関係ではなく、あくまでも知人の仲であることを告げると、いつの間にか張り詰めていた車内の空気が徐々に和らいでいく。
「冴島の奥さんじゃないってことは船長と関係のある人?」
「ええ、そうよ。長いこと会えないでいたから、ここまで来たの」
「記憶を失くす前の俺もモテてしゃあないっちゅうこっちゃ、」
「うん、本当だね」
ゴロー丸に到着するまでの間はノアの冒険譚を聞き、時々窓の外の流れていく景色を見ていた。そして、ぼんやりと思うのはどうしてこれほどまでに真島の傍は居心地が良いのかということだ。船が難破し、ノアの住むリッチ島に漂着した時は一人だったはずなのに気が付けば、頼もしい仲間に囲まれている。
真島吾朗には人を惹きつけるカリスマのようなものがある。それは極道の世界でも、今のこの世界でも不変のものなのだろう。大阪での一人暮らしが長すぎて忘れていた感覚だ。そんなに楽しく冒険されては一人で帰りを待ち続けたなまえの面目が立たない。ほんの少し拗ねそうになる内心をありのままに受け止め、視線を車内に向けた時だった。
まるで予めそうなることが決まっていたかのように、車内の暗がりで隻眼と目が合う。互いに何かを口伝いさせることはしなかったが、視線だけが沈黙の中を闊歩していく。人知れず熱を伝えているような、明かせぬ秘密を抱えていることを伝えているような、饒舌な沈黙は二人の間だけを長く取り持つ。先に視線を切ったのはなまえだった。
これ以上、真島の目を見続けることが出来なかったからだ。秘密を隠し持つことが後ろめたいわけではない、なまえは真島とノアの冒険を足止めしたくなかった。この沈黙に焦がれて何度も身分を明かしてしまいたい欲に駆られた。だが、今ここで身分を明かしたことで真島が何かを躊躇う理由になってしまうくらいなら、何も明かさず秘密を秘密として抱え込むと決めたのだ。あまりにも自分勝手だろうか。
「今夜はえらい綺麗な月が浮かんどる」
誰ともなく呟いた男の言葉は車内の沈黙に掻き消えていくが、この時誰しもが女へ向けた言葉であると知っていた。それ故になまえも自然と窓の外の月を探す。見てみたかった、真島が綺麗だと呟いた月の姿を見てみたかったのだ。
***
程なくして、真島達を乗せた車はネレ島の港へと到着する。真島の言っていた通り、そこには大きな海賊船が停泊していた。潮風をいっぱいに受ける帆には海賊の顔とも言える、特徴的な髑髏の模様が入っている。皆が次々に降車する後を追うと、港と海賊船の間には心許ない木の板が一枚掛けられていた。
ノアとゴローは慣れた足取りで、西田と南は初めおっかなびっくりではあったが無事に渡り切る。残るは真島となまえなのだが、なまえは恐怖が先行してしまい、中々一歩を踏み出せない。すると、不安で動けないなまえへ真島が救いの手を差し伸べる。
「もう一度、お手を」
自信に満ちた笑みを口元に浮かべる真島の手をとると、真島はすぐさま左手でなまえの手を、右手はなまえの腰を支えるように触れる。そして、ゆっくりで良いから歩くように指示し、真島は板には乗らず、その場でなまえのことを支えていた。初めはどうしても不安が勝っていたが、真島の支えによって一歩、また一歩を足を踏み出し、真島の手が離れる頃にはある程度慣れたようで、そのままゴロー丸へと乗船する。
「ありがとうございます、真島さん」
「怖がっとるなまえちゃんを無理に乗せただけや。頑張ったんは自分やで」
軽い足取りなのは真島のいつもの革靴で、なまえはネレ島行きの船とはまるっきり違うゴロー丸からの景色を一望しては、胸いっぱいに潮風を吸い込む。凪いだ海辺からは真島が綺麗だと言っていた月が見える。
「なまえちゃんも無事に船に乗れたことやし、今日はもう休もか」
「うん、明日に備えて休まないとだね」
ノアの言葉を合図に場は休息ムードが流れ出す。西田と南はノア達が利用している、船内部にある談話室近くのベッドを使うように言われ、なまえは来客として船長室で一晩休むこととなった。それぞれが自分が休むベッドへと戻っていく中、船長室へ通されたなまえは真島との二人きりの空間に緊張していた。
「なまえちゃんはここ使うてな」
「真島さんはどこで眠るんです?」
「そらぁ、床に布団敷いて寝るわ」
「私だけソファーで眠るなんて出来ません、真島さんが使ってください……!」
「女の子、床に寝かすアホが何処におんねん」
真島の言い分は尤もだが、なまえは気が引けて仕方ない。徒労も多い真島を床に寝かせる真似は出来ない。だが、真島からしてみれば、わざわざ遠方から自身を訪ねてきた女を床に寝かせられない。かと言って、他の男共が眠る談話室傍のベッドも使わせられない。
「じゃあさ、三人で床に寝ようよ。そうすれば、誰もソファー使わないから不満ないよね?」
「三人やと?俺となまえちゃんの他に誰寝かすんや、」
「それはもちろん、俺だよ。俺」
ゴローも一緒だけど、いいよね?とあっけらかんとした顔で二人の間に割って入る赤毛の少年に、真島となまえは目を丸くする。てっきり西田達と談話室で過ごしているとばかり思っていたが、大の大人の仲裁に入ってくるとは。しかし、誰もソファーを使おうとしない現状においては、ノアの提案が二人にとっての落としどころであることに間違いない。ノアの足元で大きなあくびをするゴローがそろそろ寝る時間だと告げている気がした。