気付けば、自身の人生の至る所には彼、堂島大吾の存在があったように思う。狂ったように人の生き死にに囚われ、不眠の夜を明かす時も。初めて敷かれたレールの上から逃げ出し、触り心地のよい砂浜を踏み締めた時にも。いつだって堂島大吾は覚束無い足取りの自身に寄り添い、支えてくれていた。言い表せないほどの感謝と返しきれない恩。そして、いつの間にか夢に見ることを覚えた幼い心臓。患っていた、病を。いつから?ずっと前、遠い昔から。

「それで、大吾くんは元気にしてた?」
「そうだな……、まあ、昔っから体だけは丈夫だからな」

 もしかしたら、母である弥生に突っつかれて今日、このような場を設定したのかもしれない。そう思えるほどに、日常的な話をしようとする大吾は慣れていないのか、どこかぎこちなく話し始める。

「なまえは戻るんだろ?今の生活がある場所に」
「うん。そこでの仕事があるから、帰らなくちゃ」
「向こうでしっかりやってるんだもんな、なまえは」
「大吾くんはきっと忙しくなるね」

 両手で包み込んだコーヒーカップの中に注がれた黒い水面を見つめていた。不安そうな顔をした女が穏やかな表情を取り繕っているのが見える。かたや、男の視線の先には寂しげでありながらも、互いの道の先へ進むことを厭わない女の強かさが垣間見えた。さみしいと素直に言えなくなった二人の間の沈黙を取り持つのは、いつだって街の音だった。店内のざわめき、キッチンから聞こえてくる調理音、店員の丁寧な接客。肝心な時ほど言葉が出なくなると言うが、それでも二人は沈黙を交えながら会話を進めていった。

「なんだか、昔みてぇだな」
「え?」
「初めて、なまえと会った時のことを思い出すよ」
「……ふふ、大吾くんが私を泣かせた時のこと?」

 もうすっかりなまえの中では笑い話になっていたあの頃のことを耳にした大吾は首を軽く横に振ると、更にこう続ける。

「なまえが帰る日のことだ。あの時の俺、本当は泣くの我慢してたんだ」
「……そうだったんだ、」

 暗に寂しいのだと告げる大吾に、なまえは瞼の裏にあの日の光景を映し出していた。今でもその光景は色鮮やかに甦る。初めての東京、優しく出迎えてくれた優しい母の友人、小学生特有の遠慮のない言葉を投げ掛けてくる男の子。なまえにとってはその全てが興味深い未知で、かけがえの無い大切で、いつまでも忘れられない刹那だった。
 回想が巡り終えて、すとん、と腑に落ちる。大吾となまえ、その二人が互いに何を隠し持っているのか。本当はずっと後ろ手に隠し持っていたものを見ようとせず、運命の思うがままに今まで生きてきてしまった。だが、それを悔やみたいのではない。数多くの時間を費やしてきたことで、ようやく自身に残されたものを知ることが出来たのだ。

「本当はさ、私、大吾くんに会うまで友達っていう子がいなかったの」

 夕焼けに一人影を落とす日々があった。たとえ、十一歳の少女であっても世の中の風当たりは強く、決してその手を緩めることはなかった。

「だから、すごく嬉しかった。お母さんに東京へ連れてってもらって、初めて友達って呼べる相手が出来て」

 あの時以上に誰かとの別れを惜しんだことはない。初めて出来た友達の隣に居られることの心地良さを知ってしまったからこそ、なまえは別れ際もひどく泣いていたのだと言う。

「それはお前だけじゃねぇよ、俺だってそうだ」

 大吾自身も、親の持つ力にあやかって神室町で好き勝手していたところを兄貴と慕う桐生に窘められたことがあった。恥ずかしい話だと苦々しい笑みを浮かべる大吾になまえも釣られて微笑む。

「お前を見送った後、柄じゃねえって分かっていながら、手紙の一つでも出そうか悩んだくらいだ」
「手紙?出してくれてもよかったのに、」
「十一歳って多感な時期だろ。それに、いつかまた会えるって思ってたからな」

 あの日の別れの舞台裏を知り、なまえは自分だけが寂しかったのではないと密かに胸を撫で下ろす。確かに多感な時期の少女の胸に、その少年が焼き付いて離れない時もあった。話せば話すほど、二人は互いが不器用で、中々素直になれなかったことを知っていった。恐らく、それは今も大して変わっていないように思える。

「ねえ、何か食べない?お腹減っちゃって、」
「ああ、好きなもん選べよ」
「ほら、大吾くんも一緒にメニュー見よう」
「じゃあ、真ん中に広げるぞ」

 何気なく、二人の中間距離に広げられた店のメニューは当時と内容がいくつか変わっているようで、二人は前のめりに空腹を満たしてくれる一皿を探す。やがて、なまえも大吾も自身の一皿を見つけると、難なく注文を済ませ、どちらともなく会話を楽しむ。注文の皿がテーブルへ運ばれると、二人は備え付けのフォークやスプーンを手に、二人だけの食事を始める。一人はカレーを、一人はナポリタンを、丁度ひと口分だけ掬い、そのひと口を分け合うのだった。