二人は再び、店前で立ち止まっていた。かつては自身の頭上に飾られていた宝石の輝きを見下ろすようになり、感慨深さをも感じている。幼い頃には宝石が放つ輝きばかりに目を奪われていたが、あれから長い時が流れたことで憧れよりも、心配の方が勝るようになってしまった。きっと安くない買い物になるだろう、と今の自身とは無縁な想像をしていると、隣に並んでいた大吾が気まぐれを口にする。
「なあ、お前は自分がどうなりたいとかあるのか」
「……どうなりたいかまでは考えてないけど、やりたいことならある」
「それは、向こうに戻ってからの話だろ」
そうだと答えると、真面目な顔をしていた大吾の口ぶりが何処か寂しそうに思えた。表情もあまり浮かないように見え、先程とは打って変わって別人のようだった。明言されていないものの、何故か大吾の秘めたる内心を覗き見ているような気がしている。
「行くなよ」
突如聞こえてきた冬の囁きに、なまえは咄嗟に大吾を見た。しかし、肝心の大吾は正面のガラスから目を離さないでいる。なまえもすぐに視線を元に戻すと、ごめん、と口にした。みょうじなまえという存在が傍にあることで、堂島大吾に齎される不利益がある。なまえは先の一件で自身は姿を眩ませた方がいいと痛感したのだ。
「東城会の六代目に迷惑かけたくないの、」
「……六代目じゃねえ、名前で呼べよ」
「大吾くんの弱みにだけはなりたくないから」
遂に大吾の表情は苦々しいものになり、唇を噛み締めている。なまえにも葛藤する夜があった。必ずしも離別が最適解ではない、力になりたい相手の傍にいる未来を描いても良いのではないかと。だが、どうしても全てを奪われた夜が脳裏を過ぎってしまう。両親を失い、命の恩人を失い、これ以上もう何も失いたくない。身勝手だろうか、大切な人を思って身を引く選択を強行しようとするのは。
「なまえの人生に口出す権利なんてねえのは分かってる。でも、」
身を引こうとした女の後ろ髪を運命が手繰り寄せている。出来ることなら、そのまま身を任せてしまいたいと思えた。
「俺には無理だ。……なまえが知らねえ奴の隣にいるなんざ、受け入れられねえ」
冬の外埃の匂いを切なさと錯覚する。視界が霞んでいく、ショーケースの照明に目が眩んでしまったのかもしれない。
「今まで何度も道を間違えてきた。でも、俺が抱いてる気持ちは間違いじゃない」
返事を返せなかった。あまりにも耳触りのよい言葉ばかりだったから。心が離れたくないと縋りついている。しかし、それではいけないと理性を奮い立たせれば、迷える唇でその場を取り繕うでもなく、大吾に対して気を使うでもなく、ひたすらに正しい返事を探していた。
「……でも、今は無理なんだろうな。今のままの俺じゃあ駄目なんだ」
力なく放たれる言葉がただただ辛かった。堂島大吾は初めから分かっていた、自身がみょうじなまえを引き止められないことを。思いを伝えたとしても、報われないことを。そして、あとは時間だけが解決してくれることを。何もかもを分かった上で、本心を吐露した大吾は悲しげではあったが、どこかすっきりとした顔付きをしている。
「だから、もしこの先、全てに決着がついたら、その時にもう一度聞かせてくれ」
ショーケースに逃がしていた視線をゆっくりとなまえへ合わせていく。真っ直ぐな瞳に射抜かれ、なまえは大きく頷いた。話せそうになかったのだ。不器用な男の思いを受け取れず、隣に立つことを放棄した自身の口で、何かを話すことが出来なかった。ぼろぼろと零れ落ちていく涙を強引に拭う。何度も唇を噛み、震わせ、涙を堪えようとしている。
「じゃあ、出来る限り待ってるね」
なまえが震えた声でたったそれだけを返すと、大吾は涙を堪える女の頬に触れ、何度も零れる涙を拭っていた。そして、この状況では街の中を歩けないからと近くのタクシーを呼び止め、なまえだけを先に帰すことにした。初めはなまえも驚いていたが、やり残したことがあると真剣な顔で言うものだから、なまえはそれ以上追求出来ず、滞在しているホテルへと単身帰って行った。
一人取り残された大吾は踵を返し、再びショーケースの奥に展示された指輪を見る。昔に見た豪勢なデザインではなく、控えめではあるが中央に嵌め込まれた小ぶりな宝石が小さく煌めいていた。街は時代と共に移ろい、その変化がやがて顕著に見えてくるのだ。大吾もなまえも時代に移ろい、変化を伴っていった。そして、それはこれからも皆に平等に訪れるものである。
「……出来る限り、か。アイツ、真面目だからな」
誰ともなく呟く。今までどれ程彼女を待たせてきたのだろうかと、過ぎ去った時に思いを馳せる。別れの迫る夜、堂島大吾は最後に自身が何をすべきか見つけられなかった。出来たことと言えば、果たせぬ本懐を明かしたことだけだ。底知れぬ未来は優しい顔をしているばかりではない。幾度となく与えられてきた試練はこの先にもいくつか転がっているはずだ。
店先で長居するのは迷惑だからとようやく大吾もル・マルシェを後にし、夕闇の街に溶け込んでいく。冬の木枯らしと共に街を行けば、急激に指先が悴んでいく。凍てつく指先を、心をどうにかしたくて、大吾は近くの店に立ち寄ってはたった一杯を流し込むのだった。