むぎゅ、むぎゅ。
真四角の空間に詰め込まれていく。
むぎゅむぎゅ。
四角のスペースいっぱいに詰め込まれたブンちゃんの目を見てしまうと、少々辛い思いがあった。
最後にロッカーを閉めれば終わりなのだが、なまえは中々その扉を閉める事が出来ずにいる。
真島は既にあのジャンボブンちゃんを詰め込んだ後で、その手にはA5のコインロッカーの鍵が握られていた。
なまえは丁度、その上のA4のコインロッカーにブンちゃんを詰め込んでいる最中だった。
「お姉ちゃん、」
「はい、大丈夫です。」
真島の呼ぶ声になまえはようやくそのロッカーの扉を閉めた。
そして手早く鍵を引き抜き、真島の元へと戻って行った。
あれからここに到着するまで走り切ったなまえからは、すっかり熱が抜け、落ち着きを取り戻していた。
勿論、その頃には真島のからかいの雨も止み、二人は空いているロッカーに無事荷物を収納する事が出来た。
「お待たせしました、」
「おう、待っとらんで、」
「真島さんらしいですね、」
「何のことや、俺らしいってなんやねん、」
「いいえ、ありがとうございます。」
真島のからかいには困ったものだが、こうして自分の事を待ってくれる真島には感謝している。
天邪鬼みたいな言葉を並べても、待っていてくれた事実に変わりはない。
素直ではない、のが、真島なのだろうか。
なまえは自分が手にしたロッカーキーを鞄へと潜らせ、真島のものも同様に預かろうと手を差し出したが、真島からそのロッカーキーを受け取る事は出来なかった。
「真島さん?」
「いや、これは俺が持っとくわ。」
「分かりました。無くさないように気を付けましょうね、」
「おう、」
真島は懐へロッカーキーを収めた。
なまえに渡しても良かった、しかし、何故だかそれを手放したくなかった。
まるで何かを惜しむ感情が、真島の腕を重くさせたかのように。
その意図は真島自身も分からなかったが、その感情に従い、渡さない選択肢を選んだ。
「にしても、疲れましたね…、」
「そりゃあ、急に走り出すからやないか。」
「だって…、」
「だって、なんやねん、」
「…自分が恥ずかしくて、ですね、」
気の向くままに自然と歩き出した体が二つ横に並びながら、通りの人混みに混ざっていく。
なまえはまだ先程の事を引きずっているようだった。
その視線は下方ばかりを向いていて、口角も下がったままだ。
あの言葉の意味に期待していたのだろうか。
疑いを持たず、ありのままに飲み込んでしまったのだろうか。
「今日のお姉ちゃんは忙しいのぉ…、」
笑ったり、怖がったり、驚いたり、喜んだり、恥ずかしがったり、寂しがったり。
なまえの表情の変化は真島では追いつけないほどに忙しいものだった。
しかし、それが真島の一番欲するものだった。
「それがええんやないか、お姉ちゃんのそれが、」
「……?それがええんやないか、って…?」
「俺が今日見たいのは、素直なお姉ちゃんや。せやから、無理に綺麗に取り繕った顔なんぞ興味ないわ、」
下向きの瞳が、睫毛が、顔が、真島を捉える。
「ホンマもんのお姉ちゃんとデートしたいんや、俺は。」
二人の足は自然とその場に止まっていた。
背の低いなまえに顔を寄せ、不意を突かれて驚いているなまえの目線を遮った。
ゆらりと滑らかな動きで視界に滑り込み、真島はなまえの顔を覗き見ている。
黒目と黒目が重なる、なまえの胸に巣食う恥じらいや落ち込み、暗い感情を見られているような気がした。
そして、真島の一言がなまえの感情を優しく取り上げたのだ。
そのままの君でいて欲しいと、素直に言えない真島の一言が。
晒してしまった弱味さえも自分のいい所である、と口にしてくれた真島と目を逸らす理由なんて無い。
瞬きを挟もうとも、決して目を逸らしはしなかった。
真島の気が済むまで、なまえは出来る限り視線を合わせ続けた。
眼帯の奥に存在していた今は無き左目と、真剣に見つめ返す右目を。
「目ェ逸らさへんのやなァ…、」
距離をとって離れていく真島は満足げに笑う。
愉しそうだ、なまえを見下ろす瞳が爛々と光っている。
先に視線の束縛を解いてくれたのは真島だった。
真島のその行動が蛇を彷彿させた、それと同時に真島の持つ蛇の尻尾が見えた。
「真島さんも、逸らしませんでしたね…、」
「あったりまえやろ、俺はにらめっこも強いんや。」
「今のにらめっこだったんですか…?!」
「せやでぇ、お姉ちゃんの本気な顔が見たくてなァ、」
「…もう、からかわないでください。本当に真島さんって分からない人ですね…、」
「せや、それが俺や。」
真島の答えに数秒間を置き、はい、と首を縦に振ったなまえは何かが吹っ切れたようで、晴れ晴れとした表情をして笑っていた。
初めは小さくクスクスと笑っていたが、いつの間にか声を上げて笑うようになり、恥じらいに落ち込んでいたなまえはもう居ない。
また前へと歩き出した二人を人の波が攫う。
どこ行く波か分からないまま、二人は流れに身を任せて歩いて行く。
二人の間には繋がる指先があった。
どちらかが意識して言い出した訳では無い。
それは歩き出すのと同時に、日課の一つのような気軽さで二人を繋いでくれる。
「なんか、真島さんと神室町で会った時を思い出しますね。」
「あァ、俺が他に引き連れとった時か、」
「あの時は逃げるみたいになっちゃいましたけど、」
「…まァ、アレはちとまずかった思うとるで、」
「そう言えば…。真島さん、一緒にいた人って、多分、その、」
「せや、ウチのモンや、」
あの時の記憶をなぞったのだろう、なまえの顔が今度は真っ青に染まっていく。
「あ、あの、真島さん、確か、その人達の事を…、」
「安心せぇや、ちゃあんと手加減しとったわ、」
「…ほ、本当、ですか?」
「……いつもと比べたら、甘かった筈や、」
「いつも…?」
なまえが触れるにはまずい話題に真島は咳払いを一つ置き、ちらりと横目でなまえを見た。
他人への心配と不安げに揺れている瞳を見つけ、何か次の話題を探す事にした。
このままでは居た堪れない、真島は手当り次第に目に見えたもの、耳で聞こえたものを彼女に投げ掛けた。
話題が切り替わった事でなまえも、あの日の一件から思考が逸れ、真っ青だった顔もいつしか元の顔色に戻っていた。
そこから二人は自由気ままに気の向く所へ、唐突に行きたくなった場所やちょっとした寄り道、デートよりも散歩気分で、神室町を探検するように歩き回った。
小腹が減り、近くのコンビニで中華まんを買えば、二人で半分ずつ分け合った。
疲れを察すれば、近くの公園のベンチに腰掛け、揺蕩う雲を静かにのんびりと眺めた。
予定の詰まったデートも良いが、息抜きをするように好きな気分で好きな場所へ向かう自由度の高いデートも良いと思った。
二人が中華まんを分け合った時、それをお互いに口にして美味しい、美味いと声にした時、誰も居ない明るい公園のベンチに座った時、二人は何度も胸が暖かくなるのを感じた。
真島がなまえの手を引く事があれば、今度はなまえが真島の手を引き、青く澄んだ空が夕焼けに染まるまで、コンクリート色の町がネオンや光を纏うまで、神室町の冒険は続いた。
そして、二人の冒険に終わりを告げたのは、毎度お馴染みのあの音だった。
「…あ、」
「お姉ちゃんは顔だけやのうて、胃袋も素直やなァ、」
「真島さんといると、お腹が減るのかな〜なんて、」
いっつも腹空かせとるのがお姉ちゃんやろ、となまえにつっこみを入れてすぐ、なまえと同じあのお馴染みの音が真島の腹部からも聞こえてきた。
「何か言っておきたいこと、あります?」
「…お姉ちゃんと居ると腹減るみたいや。ホンマ、不思議なモンやで、」
「ふふっ、真島さんもお腹減ってたんですね、」
照れ臭そうに後頭部をガリガリと掻く真島と、遠目に見えた夕日になまえは一つの伝言を思い出す。
真島と夕食を食べるならあの店しかない、なまえがこの日まで取っておいた彼との約束だ。
「真島さん、私、行きたいお店があるんです。」
目を丸くさせ、こちらを見た真島になまえはあの店の名前を告げる。
真島はそれを聞くと、しゃあないのう…、お姉ちゃんのお気に入りなら行かなあかんわ、となまえの肩を抱いた。
「俺もあの店の定食が食いたかったんや、丁度ええ、」
真島が左の口角を吊り上げる、なまえはあの日言われた居酒屋の男の言葉を取り出していた。
それは鮮明に再生された、換気扇の音、厨房のあの人の落ち着いた声音、カランカランとコップの中で鳴る氷の音も、何もかもあの日のまま。
『じゃあ、今度は二人におまけするから、絶対うちに来てね、』
彼との約束を果たす時は近い。
もしかしたら真島の驚く姿が見られるかもしれないと思うと、自然と笑みが零れた。
一人で笑って何がそないおもろいんや?と真島の痛い言葉が耳に刺さるが、なまえは、なんでもないです、とだけ返して、視線を橙に染まり切った空へと逃がした。