新しい部屋、見渡す限り綺麗な白の並ぶ部屋。
部屋と部屋を区切る壁、何もかもが初めてで見慣れない間取りをしている。
広くもなければ手狭でもない、二人が生活する分には何ら困らないそんな広さ。
今日からこの場所で、二人が生活を共にする。
余白だらけの空間になまえと真島はゆっくりと物を置いていった。
ソファーは二人が自然と寄り添えるように、ダイニングテーブルはたくさんの料理を並べて二人が食事出来るように、ローテーブルは灰皿を置いて彼がいつでも煙草を吸えるように。
家具や家電、それからちょっとしたものも、二人が必要で大切だと思えば、店まで赴き、二人の納得のいくものを選ぶようにした。
新生活の準備が整い、新しい環境にも慣れてきた所で、なまえはとある一つの問題に頭を悩ませていた。
「なにぼけっと突っ立っとんねん、はよ寝るで、」
「そう、なんですけど、…うう、なんて言うか、」
ダブルベッドと真島、なまえはベッドの手前で立ち止まって考えている。
真島は怪訝そうな顔をしてこちらを見ていた、一日の疲労のせいで一層目付きが悪くなっている。
なまえも最初は生活環境を整えようと、多忙な日々を過ごしていた。
そのお陰で真島と同じベッドに入ることをあまり気にしていなかった。
しかし、ようやくそれが落ち着いてしまった今。
「…やっぱり、私は今日リビングで寝ますね、」
「なんでそないな事になんねん、」
「それは、その…、」
真島は深い溜息を吐きながら、勢い良くベッドから起き上がると、のそのそと気だるげになまえに近付いた。
そして、がしっと力強く肩を抱き、ベッドの方へと連れて行こうとする。
しかし、なまえはそれに抵抗する様に足を止めた。
「だっ、だから、私は…!」
「何を照れくさっとんのかわからんが、まずは話せんと余計に拗れるだけや。」
ちゃうか?と諭す口調に宥められ、なまえは止めた足を前へと進ませた。
二人は柔らかなベッドに腰を下ろす、やんわりと弾む感触になまえは落ち着きを取り戻していく。
しかし、早まる鼓動だけはやけに正直なままだった。
「ほんで、なまえちゃんは何を嫌がっとんのや。」
真島の言葉が耳に刺さる、なまえの理由に嫌だという感情は含まれていない事をきちんと真島に伝えなければならない。
「い、嫌なことなんて、何も無いです……!」
「じゃあ、さっきのアレはなんやねん、」
「……笑わないで聞いてくれます?」
「おう、吾朗ちゃんを信用せえ、」
「ま、真島さんと、一緒にお布団に入るのが、…は、恥ずかしくて、」
まぁた真島さん言うとるで、なまえちゃん、と笑われはしなかったが、不慣れを指摘され、なまえは上手く回らない口で、ごめんなさい、と慌てふためいていた。
「ええ。にしてもや、恥ずかしいてなんやねん、」
「…どきどきするんです。最近は忙しくて、そう言ったこと気にしてませんでしたけど、もう落ち着いてきたし、だから、」
「確かになまえちゃんは、ちぃと奥手なところがあるからのぉ、」
「なので、今日は…、」
せやったら、俺がソファーで寝るわ。
淡々と言い返した真島の言葉に、なまえは驚いて目を丸くさせたかと思えば、今度は逆に真島を止めようとその手を握り締める。
「だ、だめです!真島さんは、きちんとお布団で寝ないと…!」
「俺がソファーで寝る言うたら、寝るんじゃ!」
「子供みたいなこと、言わないでください…!いい大人でしょう…!」
「そないに俺に布団で寝てもらいたいんか?」
「当たり前じゃないですか!毎日仕事で疲れてる、…お、夫の体を労るのは当然ですよ…!」
「ほぉん…、そこまで言うならここで寝たってもかまへんでぇ、」
本当ですか、と恐る恐る聞き返せば、にやりと口角を上げて、怖い笑みを浮かべている。
これは、この感じは、なにかまずいとなまえの直感が告げるのと同時に真島は口を開いた。
「なまえちゃんが俺の隣で寝てくれるんなら、俺もこの布団でおとなしゅう寝たるわ。」
「なっ……、」
「どないすんねや。労わってくれるんとちゃうんか?」
「また、そんなこと言って…!」
「ええんかァ?はよ決めんと、ソファーは俺が独占してまうでぇ?」
急かされた勢いでなまえは、遂に、分かりました、と力無く答えた。
真島は、よっしゃ、となまえと共にベッドに沈んでいた腰を上げると、はよ寝よか、と真っ先に布団に潜り込んだ。
大きく伸びをしている真島は心地よい眠気を思い出すのだろう、なまえ側の布団を捲ってはその箇所をぽんぽんと軽く叩いた。
まだ一歩を踏み出せないなまえに、真島はしゃあないのう、と自分の腕をなまえの枕元へと伸ばし、ほれ、腕枕したる、とこれまた怖い笑みを浮かべる。
「吾朗ちゃんの出血大サービスや、」
「…ありがとうございます、」
しかし、なまえはその腕を真島の方へと戻すと、…もうちょっと慣れてきたらお願いします、と恥じらいを顔に貼り付けたまま、ぎこちなく布団に潜った。
なんや、つれへんのぉ、と残念がる真島の顔が見れない。
言っている事とは真逆に笑っているのだろうと思ったからだ。
声が弾んでいる、真島はいつもなまえをからかう時、嬉しそうに声を弾ませるのだ。
本人は知らないかもしれないが、なまえはその真島に何度も困らされて来た。
それでも、嬉しそうに声を掛けてくる真島を嫌だとは思わなかった。
もぞもぞと動くなまえと真島の間には妙な隙間が存在する。
真島はそれを気に入らないと思っており、なまえはそれを境界線の一つだと思っていた。
「もっとこっち来んかい。せやないと、ベッドから落ちてまうやろが、」
「こ、これだけは…!」
布団を被り、こちらを見たなまえの表情は焦りが見え、真島はその焦りに免じて勘弁したる、と内心溜息を吐いた。
しかし、真島にとってこの隙間が気に入らないことには変わりなく。
隙間に一つ、蠢く何かがなまえの手を取った。
何も持たない華奢な手を包み込むように触れる、何度も触れたことのある暖かな手が戸惑う指先を撫でる。
手を繋ごう、もうぐだぐだ言う事はない、ただ眠りに落ちるまで、この行為に慣れるまで、手を繋ごうと真島の微睡む瞳が告げていた。
手のひらは暖かく大きい、眠りはもうすぐそこまでやって来ている。
なまえは抱えていた緊張や焦り、恥じらいを忘れたかのよう、真島の方へと僅かに身を寄せた。
先程より少しだけ近い、一旦解いた手も今度はなまえから繋いだ。
一つ目が微睡みと安堵に揺れる、瞬きは呼吸と同じく穏やか、そして静かである。
ええ子や、と眠気に低くなった声に頭を撫でられた。
じわりと顔が熱くなるのを感じ、視線を逸らすように目を閉じた。
早くこの熱が冷めることを祈っている内に、なまえは呆気なく眠りの淵へ落ちて行った。
ぱちり、と微かな陽の光に誘われ、なまえは目を覚ました。
眠りはなまえの後ろ髪を引く、確かにまだ眠いが、隣で眠る真島の事が気になり、体を起こそうとした時だった。
朧げだった視界がゆっくりと定まり、まず最初に見たものは。
昨日よりも近い、ほぼ零距離の所ですーすーと寝息を立てる真島の顔だった。
体が呼吸の度に揺れている、こんな近くまで来た覚えはない。
けれど、実際こうして目の前に眠る真島がいて、なまえは更なる感情に襲われる事になる。
真島の寝顔は無防備そのものだった。
危機に晒されることが無いと知り、安心して眠りに落ちている真島の寝顔に優しい気持ちを覚えた。
可愛いに似ているが、どこか笑みが零れてくるような、それでいて、ずっと見ていたくなる、そんな気持ち。
どうしてしまおう、キスのひとつでもしてしまおうかと再び体を起こそうとする。
しかし、それはなまえの上の布団に阻まれ、なまえは布団から抜け出ることが出来なかった。
よく見てみれば、なまえの上の布団の上に更に真島の腕が乗っていた。
布団が捲れてしまわないようにと思ったのだろうか、なまえが動こうとすれば何度も唸りながら、布団の端を掴み、なまえの肩まできっちりと手繰り寄せた。
まだ眠たい真島の事を思い、なまえは、ありがとう、と口にした瞬間、先程の襲われた感情について何かを知る。
その居心地の良さになまえは、これならすぐに慣れるかもしれない、と真島の腕の中で再び目を閉じた。
それからなまえと真島は日に日にベッド上での距離を詰めることに成功した。
最初は手を繋いだ、次は隙間を詰めて背中合わせに眠った、更にはあの腕枕をしてもらったりもした。
真島はとても多くのアプローチでなまえの緊張を拭い続けた。
その甲斐もあってか、なまえは今じゃ当たり前のように真島と同じベッドで眠る事に慣れ、抵抗や苦手意識と言ったものが無くなっていった。
そんなある夜。
「なまえちゃん、」
「はい、なんでしょう、」
「なまえちゃん、俺はなまえちゃんが好きや。」
「ええ、私も好きです、」
なまえは布団に足を潜り込ませ、真島はそんななまえの真っ直ぐに伸ばされた足の上に座っている。
妙に真剣な面持ちの真島を見て、様子がおかしい事に気付く。
中々次を言い出せず、しかし、何かを伝えたそうに見つめている瞳にクエスチョンマークが止まらない。
「なまえちゃん、その、なんや…、」
「どうしたんですか?」
「…なまえちゃんとここに住むようになって、一緒の布団で寝るようになった。」
「はい、」
「せやけど、俺も男や。まァ、なんちゅうか…、なまえちゃんとそう言った事がしたいと思うとる、」
そう言ったこと、と真島の言葉をなぞってすぐ、なまえは自分達が今いる部屋だったり、外が既に夜であることだったり、自分と真島が婚姻関係を結んでいることだったりが瞬時に脳裏を過ぎる。
どうして真島がいつものように快活にそれを言い出せないのか。
それは当然だ、真島が雰囲気すら利用して伝えているのは、肉体的接触についてなのだから。
「……したいですか、」
「…当たり前やないか。なまえちゃんは俺の女や。」
「あの、その事についてなんですけど、」
俯く瞳とそれを見つめる瞳。
「私たち、まだキスしかしたことないじゃないですか。…だから、」
不安が一欠片、真島の胸を刺す。
しかし、そうでは無いのだと次の言葉がその欠片を引き抜いた。
「……あの、お手柔らかにお願いします、」
自然と膝の上で互いを握り締め合うなまえの手があった。
もじもじと緊張を隠せないなまえに、真島はそっと距離を縮めると、なまえの後頭部に手を回し、自分の懐へと引き寄せる。
真島の懐に潜り、耳を胸元に当ててみれば、自分のものと同じ心音が聞こえてきた。
触れ合った箇所から温かさを感じ、なまえもゆっくりと背中に腕を回す。
「…お互い緊張しとるみたいやなァ、」
「なんだか恥ずかしいですね、」
「なまえちゃんはよう恥ずかしゅうなるのぉ、」
「…真島さんは、どうなんです…?」
ホンマは俺も同じや、真島の珍しく余裕のない声が頭上から降ってきた。
落ち着かない真島の手のひらが何度もなまえの頭を撫でていたが、次第にそれはぎこちないものへと変わっていく。
「なまえちゃん、…嫌やったら遠慮せんと言うんや、ええな、」
「い、嫌なことなんて、ないです…、」
「そないな言葉どこで覚えてきたんや、」
どこでしょうかね、と口ずさめば、見上げたなまえの唇に見下ろしていた真島の唇が触れる。
優しく触れ、静かに離れる、熱が吐息を染め、静寂が吐息で埋め尽くされる。
そして二人は徐々に素直さを取り戻しながら、初めての夜の中を流れていった。
情事を終えた寝室には静寂が漂う。
眠りに落ちた二人を揺り起こすものは何も無い。
眩しい朝日が柔らかくなまえと真島の瞼を照らすまで、二人は穏やかな眠りと温かなベッドに深く沈んでいく。