「正直、似合わへんて思うやろ。」

また灰皿に灰を落す、もう何回目になるか分からない。
仄かに香る煙草の匂いにも慣れてしまった。
入店してすぐは、なんて似合わない人だろうと思っていたのだが、こうして彼が煙草を吹かしている姿を見ている内に、似合わなくも無いと思えるようになった。
そんなことないですよ、と伝えてみれば、やっぱり変わっとるのう。と返ってきた。
なまえはこの店のメニューを眺めていた、けれど、本当は真正面から真島と向き合うのが少し照れ臭い、だからせめてもの照れ隠しとしてメニュー片手にこっそりと真島を見ている。

「真島さんは何か注文します?」
「俺はどないしよ、お姉ちゃんは決まっとんのか。」
「私は何か甘いものでもいただこうかと、」
「ええのう、お姉ちゃんも女の子やなぁ。」

結局、真島はコーヒーを、なまえはケーキを頼む事にした。
近くを通りかかったウェイターを真島が捕まえ、なまえが注文を伝える。
そして、真島となまえはお互いにぽつりぽつりと、けれど、お互いに興味津々と言った様子で会話を再開させていく。
真島は短くなってしまった煙草の火を灰皿で揉み消す、なまえは手にしていたメニューを元のブックスタンドへ戻す。
二人のテーブルには、いつの間にか中身が半分くらいまで減ってしまったグラスだけがあった。


「あの、真島さん、」
「ん、どないしたん、」
「そろそろ、あの続きのお話がしたいです。」

あの続き?と頭を傾げた真島はすぐに何の事かを理解すると、そやったなあ!と身を乗り出す。
あの続きの話、それはなまえが初めて真島と電話をした時の事である。
本当なら、なまえはあの後自分の名前を名乗るつもりだったのだ。
なまえが真島を呼ぶように、なまえも真島に『お姉ちゃん』では無く、きちんと名前で呼んで欲しかったのだ。
しかし、内心、真島に『お姉ちゃん』と呼ばれる事に抵抗は無い、むしろ好きとも言えるが、真島にもなまえの何かを知っていて欲しかった。

「私の名前、聞いてくれますか。」
「俺に付き纏われても、もう文句言えんで。」

悪戯に笑ってみせる、その表情がどちらかと言うと好きな表情で、なまえは大丈夫です。と告げると、それは真剣な顔で真島を見つめる。

「みょうじなまえと言います。真島さん、お姉ちゃんって呼んでも良いですけど…、」
「みょうじちゃん。」
「…え、」
「みょうじちゃん、言うとんねん。」
「あ、はい…!」
「なんや、俺にそう呼んでほしかったんやないんか、」
「そう、なんですけど、」

不意を突かれた。
なまえは別に本名で呼ばれる事に何も抵抗なんて無かった、その予定が意外な方に転んでしまったのだ。
今更、本名で呼ばれてしまうと、なんだか不思議と照れてしまう。
あまりにも『お姉ちゃん』がしっくり来てしまっていたからか、なまえは『みょうじちゃん』と呼ぶ真島の事をまともに見る事が出来なかった。

「しゃーないのう、じゃあまた暫くは『お姉ちゃん』て呼ばせてもらうわ。」
「…すみません、お願いします。」

今度こそとちらりと視線を外す。
とても落ち着いている眼差しは、グラスを転がしながら、なまえをしっかり捉えていた。



「お待たせいたしました。こちらに失礼します。」

緊張の空気を一新させてくれたのは、その手にケーキとコーヒーカップを乗せたトレイを運ぶ、あのウェイターだった。
それはお冷のグラスと同じ様に向かい合わせに食器が並べられた。
メニューにあった本日のケーキとやらは、シンプルなショートケーキだった。
なまえはフォークを取る前に、先に口を開いた。

「今度は真島さんのことを聞いても?」
「俺の事やと?あんまおもろ無いで。それにお姉ちゃん、また泣き出してまうかも知れへんしなァ、」

一瞬で、あの路地裏での出来事が甦る。
ぼろぼろと涙を流す様に真島は狼狽えていたのを覚えている。

「…あの時は、安心したら、ついうっかり涙が、」
「ほんまに驚いたで、なんで泣いとんねん!てな、」
「だ、だって、笑える状況じゃないですよ、」
「俺はおもろかったんやけどなァ、」
「真島さんって…、」

「怖いか?」

会話の隙間に真島の言葉が割り込んで来た。
確かに、真島のあの行動は常軌を逸していた。
けれど、それでも助けて貰ったことには変わりない、ただ少し真島と言う男の癖が強いだけだと思えた。
だから、怖いとは思わない。

「そんな事ありません、真島さんは私を助けてくれました。そんな人を怖いと思う訳ないです。」
「…自分、物好きやろ。」

意外にあっさりとした返事だった。
自分で少し出来過ぎた言葉を口にした事が恥ずかしくなる。
俯く直前、視界は朧げに真島の感情の変化を見つけた。
それは喧嘩の最中に見た狂気を孕んだものでも、無邪気さを気取った少年のようなものでも無く、大人びた暖かい眼差しで微笑んだように見えた。

なまえは半ば強引にケーキに添えられたフォークを手に取り、一口分掬っては口の中へと連れていく。
甘く香り、ほろほろと解けていくその食感で、無理矢理気分転換をしようとしたのだ。
彼はようやく手元のコーヒーに口を付けた、コーヒーカップが傾いている。

一呼吸、お互いに間を置く。
そして、それは緩やかに、自然と二人を会話の中へと引き戻していく。

「真島さんはよくここに来るんですか?」
「お姉ちゃんが店通うんやったら、寄ったってもええわ。」
「てことは、ここにはあまり来ないんですね。」
「まあ、滅多にはな。それに俺は夜行性やねん、遅い時間なら、そこら辺よう歩いとるで。」
「じゃあ、今日はついてますね。こんな時間に会えるなんて。」

せや、今日はええ日や。よかったのう、お姉ちゃん。とまたコーヒーを流し込んでいる。
温かな湯気に紛れて、コーヒー特有の大人びた香ばしい匂いが漂う。
不意に口内にあの苦味が広がる、触発されてしまった感覚から、なまえは再びフォークでケーキを一口、二口。
不思議と甘く感じられた、最初の一口目よりも甘い。

「真島さんは普段は何を?」
「普段っちゅうと、いつも何してるかって事やな…?」

ここで初めて真島は言葉を詰まらせる事になる。
なまえに対して、言葉を慎重に選んでいた。
自分自身の事だ、けれど、既に真島は誤魔化していたのだ。
街角で子分を連れ歩いていたあの時、彼女に啖呵切っていった自分の組の者を軽く痛め付けた事で。
反射的であったとは言え、無関係を装ってしまったのだから、今更正直に話す事は出来そうに無い。
下手な事してもうた、と内心頭を抱える。
そして、たった数分の間で真島が選んだ言葉が告げられる。


「ワシは、俺は普段…、町の用心棒みたいなもんをしとる。」
「町の、用心棒…?」
「せや、俺はようこの辺歩いとる言うたやろ、そう言うことや。」

聞き慣れない言葉を聞いたなまえは、まるで綺麗な物を見つけた子供のように目を輝かせていた。
憧れ、尊敬、興味、その内のどれに該当するか分からない、眩しい感情でこちらを見つめている。
その言葉は真島にとって都合のいい言葉だった。
毎日どこかの連中と喧嘩に明け暮れる、それは確かに悪人を制していると言っても良い。
なまえは何かに合点がいった様で黒目を丸くした後に、明るい声音で言葉を口にする。

「だから、助けてくれたんですね。私が知らない人達に捕まったあの時。」
「まあ、簡単に言うとそうやな、ああ、そうや。困っとるお姉ちゃんがおったら助けなあかんやろ?」
「私、本当は真島さんの事、映画に出て来る様な怖い人かもって思ってたんです。」
「さっきは怖ない言っとったやないか、」
「きちんとお話出来なかったから。でも、やっぱり真島さんはそんな人じゃないんですね。」

安心しました。と胸を撫で下ろす様が、真島の胸に痛い。
その視線から逃れる様に真島はコーヒーカップに手を伸ばす。
口に広がる苦味が更に深みを増した、悩ましげにもう一口と啜る。
取り急ぎ平静を取り戻すべく、熱く流れ込むそれでごくりと喉を鳴らした。