「お姉さん、ちょっといいですか。」
紺色の制服を着て、目深に被った警察官と思われる男性は真面目に閉ざした口元のまま、なまえに近付いてきた。特にやましいことなど無いはずなのに、自分が何かしてしまったのでは、と変に緊張してしまう。正義の象徴だからなのか、なまえは拒むこと無く、その場で足を止めた。なまえは今日、ちょっとした買い出しに外へと出て来ていた。
「あの、おまわりさん。どうかしましたか、」
「いやあ、お姉さん一人やったから。最近ここいらで若い女性を狙う不届き者がおるらしいで。」
「はあ…、わざわざありが……、」
ん、と急になにかに気付く。違和感とどこかで聞いたことがあるような話し方に、まじまじと目の前のお巡りさんを見つめていると、次から次へとぼんやりとしていた心当たりが次第に確かなものになっていた。帽子の鍔の下から、ぎらりと眼光鋭く、でもどこか爛々としている瞳を覗かせる、この警察官。
瞳は一つ。窪んだ瞼に沿うように眉が伸び、左に黒の眼帯を付けている。なまえはこの警察官の正体を知っていた、そして、知っていたからこそ、何故この人はこんなことをしているのだろうと思った。
「…あの、お巡りさん。」
「はい、なんでしょう。」
「あの、真島さんですよね?」
「いえ、人違いです。」
「私の顔を真っ直ぐに見て、よくそんなこと言えましたね…、」
いえ、本官は街の平和を守る一警官であります。と敬礼してみせるが、この人もなかなかしぶといと言うか諦めが悪い。一旦視線をちらりと外し、あ、と口にする。すると、つられたのか、ん?と真島巡査の視線が辺りを泳ぎ始める。そして一言、桐生さんだ、と口にすれば、真島はそれ以上お巡りさんの役に徹すること無く、ぼろを出した。
「どこや、どこや!一体どこに桐生ちゃんがおるんや!」
「真島さん、」
「…あかん、バレてもうたか。まあ、そんなことはええ。なまえ、桐生ちゃんはどこにおんねん。」
「いないですよ、ていうかやっぱり真島さんじゃないですか。」
「なにィ…!なまえ、お前ワシに嘘ついたんか!」
「えっと、まあ、はい、そうですね。」
「なんやとぉ…、これは公務執行妨害や!」
「逮捕、させてもらうで。」
カシャリ、と簡素な音が聞こえるのと同時になまえの両手首には手錠が嵌められていた。しかし、実物よりも重量感が無くお粗末でチープに見える、おもちゃだろうか。
「ま、真島さん!なんですか、これ!」
「なにって見たらわかるやろ、逃げられへんように身柄を拘束しとんのやろが。」
「身柄を拘束してどうするんですか、」
「連行して事情聴取や。ほな、行くで。」
ふん、と鼻息荒く、真島はなまえの肩を抱く様な形で歩き始めた。なまえはまた碌でもない事に巻き込まれるのだと思うと、帰巣本能が刺激されて、ただただ家に帰りたいとだけ思う様になっていた。
やはり真島の格好はそれなりに目立つようで、人通りの多い道だと言うのになまえ達を避けるように人の波が割れていく。中には、ひそひそとよからぬことを勘ぐっている話し声も聞こえたが、それを気にしている余裕は無い。周りの視線が突き刺さって痛いが、がっちり肩を抱かれては逃げようが無いので、少し俯きながらなまえは歩いていた。
暫くは無言で歩いていたかもしれない。人混みの中、すれ違う人たちを避けながら歩いていた筈なのに、いつの間にか閑散とした道を真島とひたすらに歩いている。しかし、不思議なことにこの道、見覚えがある。なまえは買い出しに出た際にこの道を通っていた。真島はそれを知ってか知らずか、まるで二人で家に帰るかのように通り慣れた道ばかり選んでいく。
「真島さん、」
先に声を掛けたのはなまえだった。両手首に居座る手錠の鎖がしゃらしゃらと揺れてうるさい。
「なんやねん。」
「どこに連行するおつもりで…、」
「そりゃあ、ワシの行きたいとこに決まっとるやろが!」
「それって…、」
「ええか、今のお前はワシに嘘をつくほどの凶悪犯や。そんなヤツを野放しにする程、この真島巡査は甘くないで!」
凶悪犯ですか…、と呟けば、嘘つきは泥棒の始まりって言うやろ。と返ってくる。じゃあ、真島さんのことを欺いたりしたらどうなるのだろう、と考えてはみたが、この人のことだ、きっと間違いなく、とんでもないことになると考えるのをやめる。
悪い人ではないけど、悪い人。それは彼の立場がそうである、けれど今のように接してくれる真島さんを悪い人だなんて一概に言えない。考えていることは全く分からないが、こうして優しく肩を抱いてくれるのだ、こんな遊びにも付き合わなければいけない気がして。
視線を外す度に真島のささやかな優しさに触れる。やはり彼の選んだ道は全てなまえの家へと繋がるルートばかりだった。こんな夜遅くには何が起きるか分からないほど、人気も少なく辺りも暗い。なまえは真島へと瞳を揺らす、眼帯を付けたその横顔はなまえの視線に気が付かないようで、辺りを見渡している。いつ気が付くか、なまえはぼんやりと痩けた頬を見つめていた。
「そない熱〜く見つめられたら、顔に穴が空いてまうわ。」
不意に小さく声が漏れた。それは思ったよりも早く、全く意図しないタイミングでの発言で、なまえは驚いていた。本当はあの眼帯の下は見えていて、こちらの様子がうっすらとでも分かるのではないかと思った。
「こんな遅い時間に何しとったんや、」
「急にお菓子が食べたくなって、買い出しに。」
「でもひとりはあかん思わなかったんか。見てみい、辺り真っ暗やで。」
「確かに今思うと、出ない方が良かったかもしれないですね、」
「ほんまやで、碌でもない奴に襲われんでよかったのう。」
どこか安心したかのように告げる。真島の含み笑いになまえは自然と笑みを零した。今度は真島の瞳ときちんと目が合い、どきりと体が強ばる。
「真島さんは、どうしてこんな時間に?」
「ん、ワシか。そやなあ、なんでやろなあ。」
「しかも、そんな格好で。」
「なまえ、お前に会いたかったのかもしれへんなあ。」
してやったり。そう言いたそうな表情をしている。会心の一撃のようになまえの胸に刺さったその言葉が引き寄せる結末。図らずも頬を赤く染めたなまえに別れを告げるように、二人の足はとある場所へと辿り着いてしまった。
「着いてもうたわ。ほな、もう夜遅くに出歩かんようにな。」
密かに肩を抱いていた腕は引っ込んでしまい、今はなまえと真島の間に少しばかりの隙間が出来ていた。なまえはそれを名残惜しいと思い、真島も少なからずはそう思ったのだろう、懐から手錠の鍵を取り出す様は躊躇っているようにも見えた。
粗末なおもちゃの手錠が解錠される。それを鍵と一緒に懐へ収めようとする腕を掴んだ。なんや、とだけ零す真島は大して驚いていないようで、なまえはまだ、と返す。
「まだ、私のこと何も聞いてないじゃないですか。…そのためにここまで来たんじゃなかったんですか。」
「…ええんか。自分の言うとる意味、分からへんなんて通用せえへんで。」
「どうぞ。わたし…、」
凶悪犯なんで。素直じゃないと言えば、二人ともそうだった。上手い誘い文句を口に出来るほど、どちらとも器用ではない。してやったり、今度はなまえが同じ表情で返した。真島は自然と緩んだ口元を引き締め、せやったなァ、と再びその腕をなまえの肩に回すと、なら、とことん話聞いたろやないかい。と呟いた。
こうして偽警官と凶悪犯は二人仲良く酒を飲み明かし、翌日に待ち受ける二日酔いに苛まれることになる。
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