彼女との再会は秋山の予想もしないような形で突然訪れた。彼女と別れてからも暫くの間、秋山の路上生活は続いていた。冬の刺すように冷たい風に身を晒して、その日も何に期待するでもなく、ただ生きていた。いつもと変わらないどん底の日々をやり過ごすだけだと、そう思っていた。目の前に大量の一万円札が降ってくるまでは。
同日、ミレニアムタワー高層部で大規模な爆発があった。その爆発直後の神室町には無数の一万円紙幣が舞い、道行く人の足を止めた。誰もが皆、夜空に舞い、自分に降り注ぐ紙幣を夢中になって掴み取っていた、それは秋山も例外ではなく。
必死に、必死になって、掻き集めた紙幣を元手に秋山は、神室町にスカイファイナンスを開業させた。無利子、無担保、おまけに他の同業者が蹴ったような相手にさえ融資をする。そんな都合のいい噂が広がり、神室町の駆け込み寺と呼ばれるようになった。銀行員時代の後輩である花を事務員として迎え入れ、秋山と花の二人でスカイファイナンスを営み、日々融資を希望して、ここへやってくる人間にテストを課しては相手の本質を見極めていた。借りようとしている金額に相当する覚悟を持っているか、その金で人生を本気で変えようとしているのか。
スカイファイナンスを訪れる人間の全てがテストに合格出来ず、不平不満を口にして立ち去って行く。不平不満を吐き捨てていっても構わない、結局そこまでの生半可な気持ちでしかない人間達だったのだ。そんな相手に金を貸さなくて済む、それが救いだ。
まるで人を見る目を養う為、そんな毎日の繰り返しの中でそれは現れた。あまり珍しくない女性の融資希望者で、彼女が事務所を訪ねた時、秋山は咥えていた煙草を落としてしまう程の衝撃に襲われた。これは見間違いじゃない、見間違えるはずが無い、しかし、自分の目を疑ってしまう。社長、煙草!と落とした煙草を花に指摘され、急いで拾い、接客用のローテーブルにある灰皿で火を消すと、いらっしゃい。お客さん、だよね?と問い掛けた。
「はい。…あの、ここってスカイファイナンスで合ってますか、」
「ええ、そうですよ。今日は融資をご希望で?」
どこか思い詰めたような顔で頷く彼女に、秋山は内心緊張していた。自分だけが彼女に、なまえに気付いている。彼女はどうして自分に気付かない、あの時とは身なりが違っているからだろうか。
「ま、立ち話もなんですから、座ってください。それと花ちゃん、今から買い出しに行ってきてくれないかな。お茶っ葉、もうなくなるから。」
「ええ…?!社長がお茶っ葉の残りを見てるなんて…、どうかしちゃったんですか?!社長!」
「…花ちゃん、お客さんいるの忘れてない?俺だって、たまにはお茶っ葉くらい気にするよ、」
あ、ごめんなさい、と軽く頭を下げた花は、自分の目でも確かめようと缶容器の中を覗いてから、買い出しに事務所を出た。二人きり、事務所は沈黙を保っている。それに耐えられないと、先に口を開いたのは秋山だった。
「それで今日はどうしてウチに?」
「……その、今私は借金をしていまして、」
「その返済に、宛てたいってこと?でも、どうして借金なんか、」
キッ、と強い視線がこちらを射抜いた。秋山はその視線から彼女の怒りを感じ、すみませんね、ウチもこういう商売やってるもんですから、突っ込んだ発言しちゃう所がありましてね、と返せば、なまえは弾かれたように目を伏せた。苦々しい表情、閉ざされた瞼から、弱々しく謝罪の言葉を並べていく彼女はとても不安定だった。
初めて会った時とは違う、優しげな雰囲気さえ今はどこにもない。何がそこまで彼女を追い詰めているのか、何がそこまで彼女を痛めつけているのか。秋山は再度問う、どうして借金なんか、と。その問いに彼女は頷き、少し間をとってから、ゆっくりと自分の身に起きていること、そして実際に起きたことを話し始めた。
彼女の背負っている借金とやらは、本来は自分のものではなく、元々は顔見知り程度の友人の負債だと言う。彼女自身もその事実は知らず、自分の元へ取立てに来た男達からその話を聞き、自分がその連帯保証人であると気付かせられた。それからはどこかへ飛んだ友人の代わりに借金の支払いに追われ、日々やって来る男達の強い言葉に悩み、過ごす毎日を送って来たのだそうだ。
絶望に突き落とされ、人を信じることの意味を忘れかけていた時、偶然にも彼女はこのスカイファイナンスの噂を聞き付けた。無利子、無担保、無制限で金を貸してくれる金融屋があると、そして彼女は今日ここへ、スカイファイナンスへと辿り着いた。
「……そう、でしたか。それは辛かったでしょう、」
彼女は泣いていた、自身の経緯を話している内にどっと溢れ出る涙を抑えきれなかった。それから先は慰めるような言葉も労る言葉も見つからないまま、秋山はなまえの隣に座ると何を言わずに自身へと彼女を抱き寄せる。彼女の体はとても身軽に秋山の懐へと入り込んだ、抱き寄せた体は小さく丸まり、涙で声も震えていた。
「すみません、急に、こんな、」
「そんなことはいいから、好きなだけ泣いてください。もう嫌ってほど泣いて、落ち着いたら、これからどうするか話をしましょう。」
「ごめんなさい…、ありがとう、ございます……、」
彼女が泣いている、情けないと泣いている、恥を捨ててみっともなく泣いている。秋山は一人、天井を見ていた。何を考えているのかは秋山本人しか分からないことだが、秋山のその目は酷く冷たいものを宿しているようだった。
それから彼女が泣き止み、落ち着いた頃に再び今回の融資について話を進めて行く。事の経緯、融資希望額は五千万、そして融資者に必ず課しているテストについて、それがクリア出来なければ融資は出来ないという注意点について、秋山はなまえに一つずつ丁寧に話を続けた。なまえは同意を示し、秋山もなまえに課すべきテストの内容が決まったようで、彼女は懸命に秋山の話に耳を傾ける。
「みょうじさん、あなたにやってもらいたいことは一つです。俺はどうしてかあなたの昔を少しだけ知っている。だから、その昔について俺に教えてください。」
「つまり…、それは、」
「どうしても、あなたに聞きたいことがあるんです。それに答えてさえくれれば、今回の件、良しとしましょう。」
喜ぶでもなく、彼女は困惑していた。無理もない、五千万という大金を借りようとしている人間に、質問に答えるだけで簡単に金を貸すと、そう受け取れる発言だったからだ。なまえの困惑に気付いていながらも秋山は気付かないフリをした。秋山にはどうしても確かめなければならないことがある。
「あなたは昔、一人のホームレスと出会っていますね?」
「ええ。あれは確か、冬頃でした。仕事帰りに肩がぶつかってしまったんです、」
「その時、ホームレスの彼は何か物を落とした。あなたはそれを彼へと届けた。そうですよね?」
「はい。ボロボロのお財布が落ちていたんです、でもその人は全然気付かなくて、」
「それであなたは多少のお金を入れて、その財布を彼に渡した、と。」
「……どうして、そのことを知ってるんですか、」
「俺が聞きたいことってのは、あなたがどうしてホームレスの彼に金をやったのか、そのことなんです。」
秋山の問い掛けになまえは答えを差し出した。その答えは秋山にも予想の出来なかったもので、なまえもあの時は衝動に駆られたのだと言うような口振りだった。
「私がその財布にお金を入れたのは、ただの思いつきでした。きっとその人なら自分が持て余しているお金を大切に使ってくれる、そう思ったから入れたんです。」
「人助け、とかじゃなくて?」
「違います、本当にただの思いつきなんです。だから、人助けなんて、そんな大層なものじゃないんです。それに今となってはその余裕が羨ましいくらいで、でも私はあの時ああして良かったと思います。」
きっとあの時の私も、自分がお金の無駄使いをしてしまう、そうするくらいなら…と思ったんでしょうねそこまで言って、なまえは口を閉ざした。秋山はなまえに頷いてみせ、合格だと告げた。
動機が何であれ、実際に彼女から受け取った金で助けられた日があった。そうか、そんな理由で、と秋山はみょうじなまえという女の見方が変わったように感じられ、意図しない優しさに救われていたのだと、全てを理解する。そして、秋山は自分の取るべき行動を見つけ、信じられないと言いたそうな顔をしているなまえにこれからのことを持ち掛けた。綻んだ彼女の顔を見て思う。この人は笑顔の綺麗な女性であると。