"元気しとるか?お姉ちゃん。"

突然鳴った携帯を手に取り、その画面に現れたメールマークのアイコンになまえは顔を綻ばせた。
メールボックスを開く、その先頭にあるメールはアドレスが英数字の羅列のままだった。
このメールの送り主が誰かは考えるまでもない。
この間、なまえが別れる寂しさから押し付けるようにアドレスを渡した人物、真島からのものだ。

短文であるものの、彼の話す関西弁で綴られた文字を見つめる。
ゴシック体の文字だと言うのに、どこか真島の持つ雰囲気や彼らしさが感じられて、ようやくやってきた初めてのメールに笑みを零していた。
あの日二人が別れてから、一週間後の事だった。


"はい、私は元気です。真島さんはいかがですか?"

手紙を書く様に暖かな気持ちで、慣れた指先が文字を並べていく。
入力し終えた文面を何度も見返しては、おかしい所が無いかと確認を繰り返す。
緊張していたが送信さえしてしまえば、後はただ相手の返事を待つのみ。
真島は一体なんて返してくれるだろう、シンプルに元気やで。と打つのだろうか。
それとも、相変わらずや。と済ませてしまうのか。
どちらにせよ、なまえにとって真島からの返信が待ち遠しいのは変わらない事実だった。


待って数分、携帯から着信音が聞こえた。
あまり時間の掛からなかった返事に、真島は今時間があるのだろうとメールを開く。
どきどきと胸を高鳴らせて、それとちょっぴり緊張もして、なまえは携帯の画面を見た。

"いつも通り、絶好調や。"

それは良かった、と心の声が口から優しげな声音で出ていく。
その言葉に気付いたなまえは照れ隠しのように自分の口元に手を当てる。
自分の部屋に一人きりなのに、酷く照れ臭くて、なまえは辺りをきょろきょろと見回す。
当然の事ながら誰も居ないのだが、念の為になまえは自分は一人であると再確認したかったのだ。
また指先は文字を打つ、真島はどのような表情で返事をくれるのだろうか。
自分と同じ暖かな気持ちで微笑んでくれていたなら、とても嬉しい。

"今、お時間大丈夫なんですね。"
"せや。折角、お姉ちゃんが俺にメアド教えてくれたんや。送らな損やろ。"
"きっと真島さんはお忙しい方だから、いつでも終わりにして大丈夫ですからね。"
"そんなん嫌や。俺はどうでもええつまらん事より、こうしてお姉ちゃんとメールしてる方がええ。"
"真島さんって、その、はっきりした方ですよね。"
"俺は言いたい事を言っとるだけや。今から電話掛けるで。"

最後の文章を読み終えるまでに、携帯の画面に大きく『かっこええお兄さん』の文字が表示される。
突然の着信に小さく声を漏らし、驚きで高鳴る胸を落ち着かせながら、ボタンを一度押し込み、耳にそっと添える。

「…もしもし、」
「おう、俺や。お姉ちゃん。」
「真島さん、どうして急に電話なんて。」
「お姉ちゃんの声が聞きたくて、我慢出来へんかったんや。」

驚きが収まりつつあった胸にその言葉が突き刺さった。
なまえの耳を通じて、どすっと心の柔らかな部分に刺さってしまった。
えっと、あの、ああ…と上手く言葉を繋げられないでいるなまえに、何照れとんねん、そない照れるなや。言った俺まで恥ずかしゅうて堪らんわ。と零している。
す、すみません…。と返す、真島は照れたり、謝ったり、忙しいやっちゃのう。と口にする。

「この間はすまん。お姉ちゃんがっかりさせてもうて…、」
「いいえ、大丈夫です。お茶して、遊んで、ご飯も一緒に食べられて、私とっても楽しかったです。」
「それならええんや。ったく、ほんまに変なタイミングで用事入るん思わんかったわ。」
「私もです。携帯取った時の真島さん、ちょっと怖い顔してましたよ。」
「あったりまえやないか、お姉ちゃんとお散歩しとんのに水差す阿呆がおるか。時間の無駄やっちゅうねん。」
「本当は私ももう少し一緒に居たかったんですけどね。」

へへ、と笑みを交えながら、さほど深い意味を持たない言葉を発したつもりだった。
けれど、画面越しの真島が不意にほぉ、と呟いた気がした。

「お姉ちゃんは俺と一緒が良かったんやな?」
「え、ええ、とっても楽しかったから、」
「…なあ、お姉ちゃん。」
「はい、」

落ち着いた声で真島は話を続けた。
その声の変わり様になまえは息を呑む、何故だかまた緊張が顔を覗かせてくる。
聞こえないように努めて深呼吸を一つ、加えてもう一つ、そして続きを待つ。


「また俺と会うてくれるか。今度は散歩やのうて、デートや。どや、お姉ちゃんは行きたないか?」
「…デート、ですか、」

たった三文字、されど三文字。
なまえはこの言葉を何度も反復させる。
この間のお散歩の四文字とは言葉の重みが違った。
浮かれてしまいそうな程に甘美な言葉に、頭の中で取り急ぎ思考する。
少しの沈黙に耐えかねた真島が声を掛けた、なまえはそこでようやく意識を取り戻す。

「あかんか、」
「いいえ!そんな事ありません…!私も、私もそう思ってました…!」
「なんや、ベタ惚れやないか、お姉ちゃん。」
「ち、違います、私はまだ、あの時のお礼が出来てないから…、」
「そんなにお礼したいんか?せやったら、礼の代わりにこのデート、お姉ちゃん絶対付き合うてや。」
「も、勿論!…それで、あの、いつにしましょう?」

せやなァ…と考えている真島の声を聞きながら、なまえはまたあの三文字を反復させていた。
デート、その響きになまえは自分の頬が熱くなるのを感じつつ、また会える約束を取り付けている今が嬉しかった。

「お姉ちゃんの方はどうなんや。ええ日とか無いんか?」
「私の方は…、再来週なら大丈夫ですね。」
「結構、先やなァ…。」
「ご飯くらいだったら、仕事終わりでもご一緒出来ますけど…。どうでしょう?」
「なら、別に飯食いに行こか。またあの幸せそうな顔見せてや。」
「幸せそうな顔ってなんです。私そんなに幸せそうでしたか、」
「せやから、言うとんのやろ。あん時のお姉ちゃん、めっちゃ腹空かせとったからのぉ。」

ほんまにええ食べっぷりやったで。とそう言われてしまうと、なまえもやはり恥ずかしくなる様で、今度のご飯は落ち着いて食べられるようにしないと、と内心呟いた。

「真島さんの予定は大丈夫ですか?いつもは夕方くらいに仕事が終わるんですけど、」
「俺の予定は俺でもわからんからのう、ま、大丈夫やろ。」
「…ちょっぴり不安です。」
「そん時はまた連絡入れたるから安心せぇや。」

はい、の返事の後に、よっしゃ、決まりやな。と真島の明るい声が聞こえてくる。
その声になまえも綻んだままの顔で、明日、大丈夫そうなら電話しますね。と約束を投げ掛けた。

「おう。お姉ちゃんからの電話待っとるで。」
「はい、じゃあ、また明日。」

名残惜しくも通話が終了する。
しかし、今までと違い、きちんとした終わりだった。
終始笑顔でいられた真島との電話に、なまえの心が満たされていた。
決して暖かな感情が不足していた訳じゃない。
それでも何もかもを明るく塗り潰していく感覚に、明日が待ち遠しいと思えた。
心の空きを満たすように幸福が流れ込み、いつになく胸を詰まらせた。


「…明日のご飯、楽しみだなぁ。」

誰もいない部屋でなまえはそう口にした。
すると、不思議なもので、今日は早く寝ようだとか、明日はちょっと早く起きて準備をしようだとか、次から次へと明日の為に色々な事が思い浮かんでくる。
まずは一つずつ、となまえは電話に構って放っておいた湯船の存在を思い出し、駆け込むように脱衣所へと向かっていった。

洗面台に備え付けられた鏡に、自分の姿が映る。
どこか嬉しそうな表情でこちらを見ている、今の自分の表情とは言え、そのあまりにも嬉しそうな様になまえは単純だと思った。
しかし、単純だと思ったそれが自分でも好きな表情で、明日もその表情で真島さんと会えたらいいのに、と緩んだ笑みでなまえは自分の服に手を掛けた。