青みがかった細長い瓶の中でビー玉が一つきらきらと小さく輝いている。その下ではまだ残ったラムネがシュワシュワと音を立てて弾けていた。ゆっくりと抜けていく炭酸に、口の中に残る甘みが次を急かす。もう一口だけ瓶を傾けようとしたところで、ふと手が止まる。自分の隣で両目をビー玉のように輝かせてこちらを見ている彼女の姿に、今の今まで自分が油断していたと気付かされた。

「あなたの分はちゃんとあるでしょう」

 蝉が今日という日を謳歌している、その鳴き声が自然と背景に溶け込む季節に、峯義孝は彼女が住む小さなアパートの窓際に座していた。見渡す限り真っ青に広がる空にはのんびりと夏の雲が流れていくばかり。ビー玉の瞳の彼女は、そうじゃなくて。と首を横に振る。彼女の言いたいことは概ね想像がついているのだが、峯は敢えて先を急がずに彼女に委ねてみようと考えた。

「そんなに珍しいんですか?俺がラムネを口にしているのが」

 静かに問いかける。威圧的になってしまうのは最早、治しようがない程の癖だ。実際、峯が身を置いている世界ではそれが大切な要素のひとつで、今彼女の前で晒している油断は決して見せてはならないもののひとつだが、不思議と彼女の前では肩の力を抜いてもいいと思えた。だから、こうして何度も彼女の元に足を運んでしまうのだろう。
 何処かの家の風鈴が遠くで鳴り、室外機は慌ただしくファンを回し、今まで聞こえてこなかった蝉の声に別の種類の蝉が居るのだと知らされ、彼女がラムネの瓶を傾けた。カラン、とビー玉が瓶の内壁に当たり、小さく鳴る。閉ざしていた瞼の隙間から、真っ黒なガラス玉に星が浮かんでいるのが見えた。きっと今、彼女の喉を爽やかに炭酸が流れていったのだろう。再びビー玉がカラン、と鳴り、また今日も峯さんの隣で私の夏が一日過ぎていくんです。と彼女は呟いた。

「夏なんてまた来年も来ますよ。当然のように」

 この言葉は自分でも意外なほどに優しい言葉だった。解釈の仕方によっては皮肉に受け取られてしまう恐れがあるが、彼女は決してそのような受け取り方をしない。それじゃあ、また来年もラムネ飲みに来てください。二人分、用意して待ってますから。と微笑む彼女にいよいよラムネを飲まずにはいられず、峯も瓶の中のビー玉を慣れたように転がしていた。自分が来年まで悠長に待てる人間ではないと伝える必要がある。


***


 今日も、からん、ころん、と涼しげな音を鳴らして、ラムネ瓶を傾けている影があった。この部屋に足りていないのはもうひとつの影。たった一人、窓際で真っ青な青空にかかる白い雲を見つめていた。口元に残る爽やかな後味が少しだけ味気なく感じる。彼は、いない。夏なんてまた来年も来ると軽口を叩いていた彼が、いないのだ。膝を抱え、一人きりでは寂しすぎるラムネ瓶を床に置き、励ますことも出来やしない空気がただ黙って流れていくだけだった。あの暑苦しいジャケットを脱がしてやることも出来ない。冷蔵庫にはもう一人分のラムネ瓶がずっと冷やされている。

「少し間に合わなかっただけでしょう、」

 慌ただしく部屋に駆け上がって来た足音に振り向くと、珍しく額に汗をかき、息を荒らげた男が立っていた。抱えていた膝と別れ、反射的にその場を離れて男の元へと向かった。遅いですよ。俺も調整はしてたつもりですがね。もうちょっと早く来てくれたら、一緒に飲めたのに。一緒に飲めた?もしかして、もう先に?……喉、乾いてて。我慢くらい覚えた方がいいですよ。
 まるで小突かれるような戯れ。それがからっとした暑さの部屋に静かに響く。夏空の窓際、二人の影が仲良くラムネ瓶を手にして座っている。部屋は夏空に負けて真っ暗がり。アルミ製の窓枠にはめ込まれた真夏の絵画があまりにも色鮮やかだからと、今度はどちらも寂しくないようにその二人を描いていた。

「言ったでしょう、夏なんて何度でも来ると」

 それはまるで一生涯の約束事のように聞こえた。そうだ、ここにいる限り何度でも四季は訪れる。生きた分だけ同じ数の夏がやって来る。そして、それを指折り数える時にはきっと隣には彼がいるのだろう。ね、峯さん。暑いですね。と話しかければ、堅苦しいネクタイを緩め、胸元のボタンを外しているのが見えた。額はうっすらと汗をかいているようで、また夏がやって来たのだとようやく実感が湧いたのだった。

「開けてもらえますか」

 胸元から熱気を逃がすのに忙しい彼のラムネ瓶を預かり、中のビー玉をラムネの湖に落としてみた。炭酸が弾ける音を聴き、隣の男が軽装になっていくのを見ながら、密かに開けたばかりのラムネ瓶を傾けてみた。シュワシュワと弾ける炭酸の水面に、これから楽しい何かがやって来ると約束された気がした。



| きみとはいつもラムネだね、 |


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