昔から、人の物をとってはならない。と教えられてきた。小さい頃から何度も、それにとられない為に自分の物であると名前を書いておきなさい。とも教わった。男は独占欲の強い生き物だと我ながら自覚しているつもりだ、でなければ、知らぬ男の姓を名乗る女に手を出すことはなかっただろう。
自身はと言えば、元々黒に投じた身である。他者を欺き、大切なものを奪い取ろうとも、所詮黒に塗り潰された人間、今更その色が淡くなることも深くなることも無い。
そんな自身とは対照的に、女はいつも柔らかだった。髪も、肌も、唇も、笑顔も、言葉も、雰囲気でさえも、彼女を包むもの全てがそれであり、まるで手間のかかるドレスを着せられているかのように思えた。黒が触れるには、綺麗すぎる白に今、手を伸ばしている。自分以外の、顔も知らない、婚姻関係を結んだ男からこの女を掠め取ってしまいたい。それほどに彼女に毒されていた、浅はかで愚かに成り下がってしまった自分を卑下する。
「真島さん、」
女はいつも男をそう呼ぶ、そうとしか呼べない。彼女の薬指には指輪が嵌められている、偏った見方をするのなら、それはまるで、自分に着けられている首輪と同じ意味を成す物なのだろう。それに至る過程は違えど、それを受け入れると決めた筈なのに、彼女の心の揺らぎにどこか安心している自分がいた。幸せか不幸せか分からない日常をやり過ごし、満たされない現実を生きていくしかない、そんな二人はどこか似ている。真島は女の呼び掛けに答える、女は変わらず柔らかな表情でそこにいた。
「…今日は指輪、嵌めとらんのやな。どういうつもりや。」
やけに身軽そうな薬指に目を奪われ、女の言葉に耳を奪われる、意識も今は彼女の唇へ。
「真島さんこそ、今日はどうしてホテルなんかに。」
出来心と下心が部屋の中にある。今日こそは着重ねられたドレスを脱がしてしまいたいと、今日こそは薬指の白金に左右されまいと、裏の顔を二人は覗かせた。真島は彼女の左手を取り、いつも指輪が嵌められている肉を食んだ。指輪をつけ続けた長い時間が彼女の薬指に痕を残す。それでも指を食む真島の愚直な瞳に、女は常に纏っていた憂いを脱き去り、喜ぶように唇を震わせた。
「時間が止まってしまえばいいのに、」
ね、真島さん、と秘密を共有するように囁いた女の言葉に、真島は、そんなら俺が止めたるわ、と強い言葉で女の震えた唇を塞ぐ。小綺麗な印象を受けるホテルの一室、ベッド付近の床には憂いと深過ぎる欲望が呆気なく脱ぎ捨てられていた。
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